食
事 は 楽 し く
食事というものは、本来、時間をかけてゆっくりと楽しむものだと思う。目覚まし時計に叩き起こされて、洗面所と台所の間を小走りに往復しながら、立ったままでというよりも、寧ろ走りながら食べ物を口に含むという姿は、風刺のドラマだけであって欲しい。
健康のためにと、自分の食べたいものを制限しなければならないと、これも辛い。健康診断などで、標準の数値から外れていることを知らされると、死んでもいいから好きな物をというよりも、やはり命が惜しくなって、食事制限を守る努力をするから不思議だ。
昔に比べて、外で食事をする機会が多くなったことも確かだが、唯単に外で食事をする便利さを求めてしまっていることも見逃せない。食事の楽しさや、味、栄養などを考えるよりも、駅の立食い蕎麦やハンバーガーなどの機能性の方が求められてしまっている。
“おふくろの味” というのが商売になるということは、それぞれの家庭の中にそれが無くなってしまったということを意味しているのだから、これはちょっと寂しい。
“○○家庭料理” 的な看板も目につくようになってきたということは、今度はちょっと恐ろしい。
一家の主の座る席が決まっていて、そこだけは一品多くなっているという必要はなくても、食事はせめて一家団欒の場でありたい。バランスのとれた食物を、家族みんなが顔を合わせて、楽しく味わって食べるということは、遥か昔の話になってしまったようだ。 |
|