野
菜
夏野菜が冬に、冬野菜が夏に店先に並ぶことが当たり前になってきてしまった。しかもその季節はずれのものが、何となく偉そうで、値段も高い。夏に冬の野菜が食ベられるのは、ある意味では魅力かも知れないが、これをどう考えればいいのだろう。
東京を離れたときに、その土地の農協の直売所などを覗いてみると、昔ながらの曲がったきゅうりや茄子、ひび割れたトマトなどが並べられていて、袋には生産者番号が付けられている。スーパーなどで買い求めるそれらの野菜と違って、昔ながらの味が懐かしい。
曲がったきゅうりが、なぜ商品価値がないのかどうしても理解できないが、型を揃えるということがどうやら重要なことらしい。全員が同じようにという、今の義務教育の妙な基本的教育方針をつい思い浮かべてしまうのだが、きゅうりやトマトにも個性が欲しい。
きゅうりのあの独特な青臭さや、トマトのあの太陽の香りは一体どこへ行ってしまったのだろう。型を揃えられ、本来の個性的な味まで変えられてしまった野菜達の将来を考えると、そのものの味よりも、格好や見てくれだけが尊重されていくような気がする。
子供の頃に畑の中を走り回って日が暮れるまで遊んだ者にとっては、のどの渇きを潤すために畑で失敬したトマトの味が忘れられないのだが、それを知らない人達の世代になったときには、冬のスーパーの店先に、トマトが何となく偉そうに並ぶのかも知れない。 |
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