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季刊誌「ムラマツ」に掲載されたエッセイをご紹介いたします。
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エッセイ「もがりぶえ」 ESSAY
文:團 伊玖磨
12 「歯のはなし 1」
 子供の頃から歯には悩まされ通しだった。小さい頃の記憶で最も鮮烈なものは、痛くて痛くて我慢出来ぬ齲歯の痛みに泣き叫びながら、その頃は広かった家の板敷きの廊下を転げ回っていた事である。五つか六つの頃から既にこんな事がよく起こっていたのである。乳歯が生え変る前からこんなだった歯は、八つで生え変ってから益々僕を苦しめた。いっそ抜いてしまえばよいものの、子供の歯だったから抜く事をせずに、適当な処置だけを続けた医師のお陰で、歯は次々と叛乱を起こした。

 そのうちに戦争になって、思うように処置が出来なくなり、仕方無しに、痛んだ末にぐらついて来た歯は癇癪を起こして自分で抜いた。どうするのかというと、痛む歯を強い糸で結んで、その一端を机の脚に結(ゆ)わき付けておいて、えいとばかりに身を引くのである。歯を抜いた跡へはメンソレータムを塗り込んで置くだけだった。僕は今でこそ静かな老紳士だが、昔はこんな事を平気でする乱暴な面があったのである。その結果、自分で抜いた歯が6本になった。

 戦争が1945年に終わり、僕は時々痛む悪い歯の儘働いていた。1956年の夏、二度目に行ったヨーロッパで、とうとう僕の悪い歯は大叛乱を起こした。ベルリンのクルフュールステンダムの大通りを歩いていた時、突然今迄に感じた事の無い程の歯痛が起こり、ホテルで寝ている間に、見る見る顔の下半分が腫れ上がった。早速下宿先だったロンドンに取って返して、歯科病院に駆け込んだ。3人の歯科医――1人は治療、1人は抜歯、もう1人は義歯(いれば)作りの専門家と後に知った――が相談の末に、僕は4日間の入院を命じられて、入院した夜に全身麻酔を打たれて、いきなり18本の歯を抜かれた。後の話だが、ひどい歯根膜炎を起こしていて、敗血症の危険があったので、こうせねばならなかったのだそうである。前から自分が抜いたものが6本、日本で医師が抜いたものが2本、その上18本が抜かれたために、残った僕の歯は6本だけになった。惨澹たるものである。

 抜歯後、1ヶ月は義歯作りにその病院へ通い、一見ぴかぴかの歯になって僕は日本に帰って来た。

 その後暫らくはそれで良かった。今迄歯が悪いために食べられなかった海老の鬼がら焼きや、冷えるとしみるために舐められなかったアイス・クリームも楽しめるようになって調子が良かったのだが、それも束の間(つかのま)、2年程して、今度は残った6本のうちの2本が痛み始め、1本がぐらぐらし始めた。義歯の力がかかるためにこういう事が起こったのだと思う。

 そこで、心安めの処置をしても、何(いず)れは又痛んだり悪くなったりする訳だから、いっそ全部抜いてしまおうと考えて、横須賀交響楽団の楽団長であり、コントラ・バス奏者でもあり、有名な歯科医でもある根本俊男医学博士を訪ねた。

 根本博士は、僕の歯を診(み)てから
「團さんは作曲家で良かったですね、もし管楽器奏者だったとしたら、この歯では失業か廃業ですよ。」
と言った。                                                      (続く)

(このエッセイは、1983年より93年まで、季刊 『ムラマツ』の巻頭言として、團 伊玖磨氏に執筆していただいたものを、そのまま転載したものです。)
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