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季刊誌「ムラマツ」に掲載されたエッセイをご紹介いたします。
トップページエッセイ「もがりぶえ」 > 19. 海の音
エッセイ「もがりぶえ」 ESSAY
文:團 伊玖磨
19 「海の音」
 もう何十年もの間、海のほとりに住んでいるので、僕にとって心象の外側にある風景の第一は海である。例えば "景色" という言葉、 "自然" という言葉、"広い" "雄大" "見はるかす" などの言葉を聞いて何を思うかと問われれば、僕が第一に思うものは海である。

 朝起きて寝室のカーテンを開ける。眼の前に相模湾のブルーが広がる。一日の天気を思う。当然海と同時に空を見る。そして今日一日の予定と机の上の作業を思う。海はじっとしている時もあるし、激しく動いている時もある。夏の眩しい海、秋の澄み切った海、冬の鉛色の、春の霞の中の、――― 海はさまざまな表情を浮かべながら広い。

 海には音がある。波の音とか、荒れ狂う颱風に飛ばされる波頭の悲鳴とか、そういった具体的な音もだが、それよりも、僕の聴く海の音は、そうした音響とは異った心象の音である。心を静めてじっと海に対する時に心の中に鳴る音は、万物の母としての海の千変万化の和音(ハーモニー)である。そして、秀れた和音進行が必ず伴う "息遣(いきづか)い" である。―― 詰まり、ハーモニーに伴うリズムである。

 海に馴れない人は、海の色を見、広大さを見ても、潮の干満に気付かないのが常である。然し、海辺に暮らす人々にとっては、干満という海のリズムは、最も細密な注意を注ぐ現象である。漁師の生活にとっては潮の干満は時計の針よりも大切かも知れない。―― 例えば、魚は上げ潮の時に動き、干潮の時に休むものが多く、魚が就餌する時は上げ潮三分から七分が絶頂期だ。この時を逸しては魚は釣れない。磯渡りをするのは干潮の時以外は無理だし、暗礁の多い海での船の航行は満潮時に限られる。

 海に育った者には干満の状態は一目で判る。海面に顔を出している岩礁の下方が濡れていれば、先刻迄その部分が海中に没していた訳だから下げ潮中である事を物語るし、岩礁が全く濡れていなければ現在が上げ潮の最中だと判る。但し、これは海が凪の場合であって、波浪が磯をかぶっている場合、雨の場合は判らない。

 一日中家で仕事をしている場合は、息抜きに日に何度も海を見る。又、気が向けば海岸を歩くし、釣りにも行く。そうして親しく接する海は一刻として同じ表情をしていない。干満の地球のリズムも加えて、僕は立ち昇るハーモニーを聴き、さまざまな音色を聴く。

 今日はこの原稿を書き終えたら、今が盛りの青海苔(のり)を採りにすぐ下に見える磯に行こうと思う。青海苔は冬の最中が季節である。丁度午後が下げ潮。やがて磯に春が来る前の海辺の楽しみの一つである。磯に蹲(うずく)まって海苔を集めながら、今日はどういう海の音が聴けるかが楽しみである。

(このエッセイは、1983年より93年まで、季刊 『ムラマツ』の巻頭言として、團 伊玖磨氏に執筆していただいたものを、そのまま転載したものです。)
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