エッセイ

フルートで料理

6.バリエーション

  • 料理の味は、その素材の善し悪しで決まると言っても過言ではない。カウンター越しに目にするその食材が、明らかに素晴らしい物であることは分かっても、料理人が、それをどれだけ努力をし、奔走して手に入れてきたかということは、唯々想像するしかない。

    便利な世の中になったからといっても、毎日決まったところから配達される物では、どうしても自分の思っている物とは違うという拘りが料理人にはあるようだ。同じところから出た物であるかも知れないが、自分の目で確かめたいという辺りの拘りが面白い。

    メニューを決めるのが先か、その日手に入れた食材からメニューを決めることになるのかといえば、私のような、素人料理の場合には絶対に後者が当てはまるし、料理人自らその日の献立を筆でしたためるような超高級料理店の場合にも、おそらく後者であろう。

    他人にとってはどうであれ、自分で満足して手に入れた物は、それが高級品であるかないかということには全く関係なく、自分の頭の中で、どんどん料理が進んでいく。素人料理の場合には、それを食べさせる相手の顔までが、その料理の手順の中に浮かんでくる。
  • 挿画
とんでもないアイディアが閃いた瞬間、料理人は密かにほくそ笑む。その瞬間から、今度は、それを現実にするための苦悶と格闘が始まる。いよいよ、料理人が技を発揮させるときである。料理の基本を忠実に守りながら、新しい物を生み出す瞬間。


ところで、音楽を勉強していくときに、必ず “変奏曲” という形式に出会う。テーマに基づいて幾つかの変奏を施していくのだが、そのテーマの善し悪しが変奏曲の価値を決めるといっても過言ではないから、作曲家は、テーマを求めて奔走する努力を惜しまない。

明らかに、先人が既に変奏曲を作ってしまったテーマであっても、それとはまた違った変奏曲を作ってみたいという拘りが、作曲家にはあるようだ。それが素晴らしいテーマであればあるほど、自分の手による変奏曲を作ってみたいという辺りの拘りが面白い。

一つの変奏曲をどのように演奏するかというときに、夫々の変奏においてテーマの変貌していく様を、一つ一つ音符を追いかけることによって楽しむのも良いが、プロの演奏家の場合には、その作曲家以上の閃きを持って対応しなければならないような気がする。

変奏曲のテーマは、大抵とても単純な物が多い。そして、一度耳にすると忘れられない何かを持っている。テーマを演奏するときには、既にその先の変奏が頭の中で育ち、成長していて、演奏者自らは、その変貌していく様の全てを心得ていなければならない。

作曲家以上のアイディアが閃いた瞬間、演奏家は密かにほくそ笑む。その瞬間から、今度は、それを現実にするための苦悶と格闘が始まる。いよいよ、演奏家が技を発揮させるときである。音楽の基本を忠実に守りながら、新しい物を生み出す瞬間でもある。

文:齊藤賀雄(元読売日本交響楽団フルート奏者 東京音楽大学教授)

画:おおのまもる(元読売日本交響楽団オーボエ奏者)