サン=サーンスはリストやワーグナーから計り知れない影響を受けましたが、一方そのリストやワーグナーに影響を与えたフランス人にベルリオーズが居ました。フランスではなかなか正当に評価されないベルリオーズの価値をリストは高く評価し、積極的にドイツに紹介したことにより、ベルリオーズは国外で活躍するフランス人としてのパイオニアとなりました。しかしベルリオーズは、パリで台頭し始めるワーグナーに批判的な記事を書き、リストやドイツ国民から反感を買ってしまったことと、家族の不幸が重なり、1863年以降外国での活動はしだいに立ち消えとなっていきます。そのベルリオーズと入れ替わるように国外での活動を増していくのがサン=サーンスです。そのサン=サーンスもまた、リストに積極的に紹介されたおかげで、ドイツでの活動が多くなります。