このような対立の発端は、1860年1~2月にパリのイタリア劇場で行われたワーグナー作品による演奏会にあるといえます。フランスの詩人ボードレールは、音楽批評を通しワーグナーを賛美しその輪を広げていく一方、ベルリオーズはこのような動向を将来の音楽界の分断に発展する危険な動きと察し、「もしこのような宗教があるとすれば、それは非常に新しいもの」「自分は決してその一派には属さない」と新聞紙上で述べています。