サン=サーンスは「この作品を遺作にする」といった言葉を残していますが、生前の再演を禁じた真意までは述べていません。そのため現在では様々な説が存在しますが、私は著作権が主たる理由であったと考えます。
『動物の謝肉祭』が誕生した頃、既にフランスには著作権管理団体(SACEM)が存在しており、サン=サーンスは1875年4月6日に正会員となっています。同時に作曲家協会の会員(会長職は1887~1891)でもあったことから、著作者の権利を守る模範的立場にあったはずです。置かれた立場上、他者の作品を多く拝借した『動物の謝肉祭』を堂々と出版・再演することが憚られたのではないでしょうか。

また、例外的な再演には「厳重なる非公開の下」「非公式」という注意書きが執拗に謳われていることも、裏を返せば指導的立場にあるサン=サーンスが、著作権を遵守していることを世間に示す宣伝としての意図を感じます。