1886年初頭のコンサート・ツアーでサン=サーンス不在中の国民音楽協会の記録をみると、フランクの若い弟子達が頻繁に登場していることが目に付きます。鬼のいぬ間にという感じですが、次第にフランク派が存在感を増していく様子がうかがえます。