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このウィンドウを閉じるレオポルト・モーツァルト
ザルツブルグの大司教の宮廷副楽長を務めた作曲家、ヴァイオリン奏者、音楽理論家。自費出版した教則本『ヴァイオリン奏法』はヨーロッパ中に普及し、現在でも当時の演奏法を知るための重要な資料の一つとなっている。
 
このウィンドウを閉じるグレゴリオ・アレグリ
ルネサンス音楽後期の宗教音楽の楽派であるローマ楽派に属する、イタリアの作曲家、司祭、カストラート歌手。
 
このウィンドウを閉じるマルティーニ神父
イタリアのボローニャで活躍し、イタリア全土の尊敬を集めた教会音楽の作曲家、音楽理論家、学者、教育者。ヨハン・クリスティアン・バッハも彼から対位法を学んだ。
 
このウィンドウを閉じるカール・フリードリヒ・ツェルター
ドイツの作曲家、音楽教育家。J.S.バッハの復興に尽力し、メンデルスゾーンをはじめ多数の弟子を育てた。ゲーテとの親交は有名で、200曲以上の歌曲、合唱曲を作曲した。
 
このウィンドウを閉じるミヒャエル・ハイドン
「交響曲の父」として知られるヨーゼフ・ハイドンの、5歳下の弟。ザルツブルクの宮廷楽長やオルガニストを歴任し、多数の宗教曲と40曲以上の交響曲や室内楽作品を作曲した。レオポルト・モーツァルトとは同僚であり、モーツァルト一家とも親交が深かった。歌劇<魔弾の射手>で有名なウェーバーの作曲の師でもあった。
 
このウィンドウを閉じるヨハン・ショーベルト
出自については不明であるが、1760年頃からパリで活躍したチェンバロ奏者、作曲家。30曲以上のチェンバロのためのソナタ(室内楽も含める)や、5つのチェンバロ協奏曲などが残されているが、モーツァルトはそのいくつかの作品を模倣し、改作や編曲して、ピアノ協奏曲やピアノ・ソナタに組み込んでいる。
 
このウィンドウを閉じるヨハン・クリスティアン・バッハ
大バッハの末っ子で、20歳からイタリアのミラノ大聖堂のオルガン奏者として活躍後、27歳からはイギリスに移住し、以後20年間にわたりロンドンで活躍したことから、『ロンドンのバッハ』と呼ばれる。交響曲や多くのクラヴィーア作品、そしてオペラなど450曲以上作曲した。
 
このウィンドウを閉じるスヴィーテン男爵
オーストリア皇帝に仕え、外交官や宮廷図書館長、書籍検閲委員長などを歴任した。音楽愛好家で、のちのウィーン楽友協会の前身の音楽協会を設立したり、バッハやヘンデルの楽譜を多数収集しただけでなく、自宅で演奏会を開いて、モーツァルトのみでなく、ハイドンやベートーヴェンにもバロック音楽を紹介した。1770年から1777年まで、駐プロイセン大使としてベルリンに滞在した時には、フリードリッヒ大王に仕えていた、大バッハの次男C.Ph.E.バッハとも知り合った。