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没後100年特別企画サン=サーンス


第2回 〜夜明け〜

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では、これよりサン=サーンスの生涯に沿ってフルート作品を紹介していきますが、今回はパリ音楽院入学から卒業後に発表したフルート、クラリネット、ピアノのための『タランテラOp.6』まで、つまり13歳から22歳までのお話をいたします。

パリ音楽院入学。わが師は図書館 !!?

前回、神童サン=サーンスが飾った鮮烈なデビュー・リサイタルについてお話ししました。師スタマティは、この機を逃さず一気に神童として売り出すことを訴えましたが、更なる高みを目指すために、今はしっかり勉強すべきという母親との間に軋轢を生み、師弟関係はやがて断絶することとなります。

サン=サーンスは13歳になると、師スタマティからパリ音楽院オルガン科教授フランソワ・ブノワを紹介され、先ずは聴講生として在籍し、1849年1月16日正式に入学を許可されます。ここでなぜ花形のピアノ科ではなくオルガン科を選択したのかという疑問を持ちます。それが本人や家族の意向なのかまでは証言が無いので分かりませんが、もしかしたらコンサートピアニストとして生き抜いていくより、より将来が保証されるオルガニストを目指す方が堅実と考えたのかもしれません。

新たな師ブノワは、且つてローマ大賞まで受賞し、半世紀もの間パリ音楽院オルガン科教授として君臨した人物ですが、サン=サーンスは後に「皆から親しみを持ってペール・ブノワ(父ブノワ)と呼ばれる素晴らしくチャーミングな人物」「教師としては優れていたが、オルガニストとしてはごく凡庸」と述懐しています。

ジャック・アレヴィ
(1799-1862)

15歳になるとオルガン科に籍を置きながら作曲科のジャック=フロマンタル・アレヴィのクラスにも在籍します。アレヴィは1835年のグランド・オペラ『ユダヤの女』によって国際的な名声を勝ち得たフランス人作曲家ですが、そのアレヴィのことさえも「彼は時間のある時にしか来ず、自分のクラスを酷くおざなりにした」と否定的にみており、「レッスンが休講となると私は図書館に行き自分の教育を補完し、信じられないほど新旧数多の音楽をむさぼるように吸収した」と述べています。

結局、サン=サーンスはスタマティ、ブノワ、アレヴィの3人に師事しましたが、真に師と呼べる人物は居なかったのかもしれません。

後にサン=サーンス自身はフォーレを育成し、生涯の友としてまるで家族の様な関係を築きます。1905年愛弟子フォーレがパリ音楽院院長になった時、執務室に飾られた師サン=サーンスの胸像に対し、「自分の胸像を置くのにふさわしい場所、私が学んだ図書館に置いて欲しい」というサン=サーンスの言葉が残されています。サン=サーンスを広大な世界へと誘い、その礎を築かせたのは、パリ音楽院の図書館だったのかもしれません。


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