(図1)『Antidotum tarantulae
(毒グモの解毒剤)』
タランテラは、南イタリアの小都市ターラントにその起源があり、毒蜘蛛タランチュラに刺された人が、その毒を抜くために狂ったように踊ったことから始まります。その後、激しく踊り続ける特殊な病気自体のことも「タラント病/タランティズム」と呼ばれるようになりました。17世紀の学者アタナシウス・キルヒャー(1601〜1680)は、タランチュラの毒について述べた幾つかの研究書を残しましたが、その中に「毒グモの解毒剤」(図1)の口絵があります。イタリアターラントに生息するタランチュラの絵の上に書かれた楽譜は、タランチュラに刺された人間に対する解毒用の音楽ということになります。
皆さんは毒蜘蛛に刺された時、医者にこのような処方箋を出されたら目が点になり、即刻主治医を変えると思いますが、血清など解毒薬がない時代には、踊るしか手は無かったのですね。いずれにしろ、後に音楽作品として発展をみせる「タランテラ」の源泉がここにあります。
私は情報がある限りのタランテラ作品を一覧にしてみましたが、オベールとロッシーニの2つの声楽作品にある起点がみてとれます。
オベールのオペラ『ポルティチの唖娘』第3 幕のタランテラは1828年、ロッシーニの歌曲集『音楽の夜会』8曲目「踊り」のタランテラは1830〜35年にそれぞれ書かれました。
この2つのタランテラに共通する点として、拍子は6/8拍子、忙しなく動き回る8分音符の主題(譜例1)と、まるでスキップをするような陽気なリズム(譜例2)、この3点があります。忙しなさの中にもどことなく素朴な陽気さを感じさせるこの2作品は、情緒的な作品といえます。
オベールとロッシーニの2作品は、発表されて間もなく、リストとショパンによりピアノ独奏用作品に編作されます。19世紀前半のサロンでは、オペラや民謡などのいわゆるヒット・ソングを華やかに飾り立てた幻想曲や変奏曲がもてはやされましたが、この編作もその一環と思われます。そしてそのショパンの作品もまた、その後カロル・リピンスキーによりヴァイオリン独奏用、4手のピアノ作品用に編作されます。このように『タランテラ』は、オベールとロッシーニの作品が起点となり、特に器楽作品として流行を広げ、後のヴィエニャフスキーやサラサーテなどの名曲へと繋がります。
『タランテラ』は、サロン文化やヴィルトゥオーゾ時代の時流に乗り、一つの性格的小品として確立しますが、その多くは超絶技巧の代名詞のような作品です。私は以前、フルート用にアレンジされたサラサーテの『序奏とタランテラOp.43』に挑戦したことがありますが、「もう鬼!悪魔!!#%」と叫びたくなるほどの難しさで、腱鞘炎になりかけ挫折したことがあります。
ちなみにこの「悪魔」ですが、1830年代のパリではマイアベーアのグランド・オペラ『悪魔のロベール』の大ヒットや、怪奇小説やファンタジー文学が流行するなど空前の「悪魔ブーム」というものがありました(日本でも1990年代にオカルト・ブームがありましたが...)。この「悪魔」という言葉は、しばしばパガニーニやリストなど神がかった演奏に対し「悪魔的」と用いられましたが、ヴィルトゥオーゾとしての『タランテラ』もまた「悪魔的」作品といえます。
サン=サーンスのタランテラは、決して超絶技巧路線の作品ではありませんが、音楽的情緒を重んじる作品としてロッシーニと同一線上にあるといえます。冒頭 pp で奏でられたオスティナート・バスは段階的に音を強め、中間部直前には ff まで盛り上がります。これはロッシーニの得意としたいわゆる「ロッシーニ・クレッシェンド」を意識し書いたといえます。イ長調に転調した中間部の平和的な歌もどことなくロッシーニ的です。また短前打音によって強調された同音反復もこの作品の特徴となっていますが、まるで毒蜘蛛の毒に犯された人間の奇怪な動きのようで、滑稽さすら覚えます。(譜例3)
この作品は7分程度の短い小品ですが、その後ドリュスのフルート(後にタファネル)との共演で、生涯にわたって幾度も再演を重ねるサン=サーンスお気に入りの作品となります。
次回は、国民音楽協会設立後に生み出された『ロマンスOp.37』をご紹介いたします。