1999年9月に「恋のうぐいす」というタイトルのCDを出しました。フルートだけでなくピッコロやアルトフルートも使い、伴奏はハープまたはピアノという多彩な組み合わせが楽しめる心やすらぐ内容のものです。

フルートばかりでなくピッコロやアルトにも興味を持って勉強しようと思ったきっかけは、M.ラベルが、ダフニスとクロエ第2組曲の中でピッコロ、第1フルート、第2フルート、アルト・フルートと次々にスケールを受け渡しをさせて、これら三つの楽器を一つの楽器としてしまうマジックを体験したときからでした。ちょうど小さな魚や鳥たちが群や編隊を成して大きな魚や鳥に見せるように、フルートにもそして自分にもスケールの大きさを求めていたからなのです。
同族楽器とはいうもののピッコロからフルートやアルト・フルートへの急な持ち換え(その反対もまた同様に)は非常に難しいものでした。でもそのお陰でフルートの奏法を三角測量的にピッコロやアルトから考えることができたことは大きな収穫でした。

アンサンブルでは東京フルートアンサンブルアカデミーのメンバーとして国の内外でのたくさんの音楽会や録音等を経験しました。そこでは私の定位置はなくピッコロからアルトまでいつも持って出かけ、その場で言われたパートを演奏していますが、この体験からは実に多くのことを学んでいます。また東京フルートクワルテットの代表としてCD制作や音楽会、クリニック等の活動もしています。フルートを基本としてピッコロやアルトフルートのレッスンもしています。

私のレッスンに通ってくる生徒さんは多様です。小学校の先生、銀行員、コンピューター関連著作者、出版社にお勤めの方、また音大を出られて音楽教室等でレッスンをされているレスナーの方、音大受験を目指している方など色々な方が居られます。皆さんそれぞれに、学校へ通ったりお仕事をしながら、熱心に練習に励まれてどんどん上達しています。

レッスンでは良い音の出し方をメインに、力を抜いた姿勢作りを基本に、合理的な練習法を考えることを通して、各人に合ったフルート奏法の確立を目指しています。レッスンはたまには辛く苦しいこともあります。なぜならレッスンを受けるという事は自分の短所、性格的な欠点と否応なしに向かい合ってしまうことであり、それを乗り越えて自分を変えて行かなければならないからです。本当に解るということは自分を変えるということなのです。私にとってもレッスンすることで、皆さんから習うということはないけれどもたくさんの事を学んでいます。レッスン一回一回が本当に貴重なリアルな体験の場なのです。

最近、フルートのイメージは「野うさぎ」ではないかと思っています。「野うさぎ」は、いつもぴょんぴょん跳ねていて、ここにいたと思ったらもうあちら、捕まりそうで決して捕まらない。罠を仕掛けておいてもそれをするりとかわしてしまって、そ知らぬ顔をしてあらぬ方を見ている。女性のようでもあるし男性のようにも見える。そんな野うさぎだから、漫画や物語の世界ではこの世とあの世を行き来して、しかもどちらの世界にも属していない、境界線上で生きる不思議な生き物として描かれていることが多いのです(そういえばラスベガスのカジノ―そこは天国と地獄の交差点―にもたくさんの美しいバニーガールがいましたが)。フルートはそんな「野うさぎ」と同じ境界線上で生きている楽器なのです。それ故に静寂と喧噪、貧困と豪奢、軽さと重たさ、といったものの境界線上で安定したものからの離脱をはかり、調性の裏をかくように自由に飛び跳ねている、捕まりそうで捕まらない、野うさぎの様なプーランクのソナタはまさにフルートの音楽の代表作品の一つであると考えます。

そして私は今「境界線上」という所に芸術の在処を見ています。また境界線を踏み越えてさらに新しい境界線を作り上げるのが芸術の役目なのではないかと考えています。リアルな体験をしたいという欲求はこの「境界線上」でかなえられるのです。生と死、喜びと悲しみ、明と暗、といった二元論的に対立する概念の境界線上で、金属でありながらフルフルと振るえている水銀のようなフルートの音を通して、真にリアルな体験をして見ませんか。