サン=サーンスの言論の目的は、パリからワーグナー作品を排除することにありました。
ことワーグナーになると激しい対立を生む場がパリでしたが、1887年5月3日にフランスの指揮者、シャルル・ラムルーがエデン座で行った『ローエングリン』公演を境に、その対立は次第に穏やかなものとなり、90年代に入ると、どこもかしこもワーグナー作品オンパレードとなります。

第1次世界大戦中のサン=サーンスの言論活動は、再びその対立を煽る結果となり、過敏に反応したフランスの音楽評論家ジャン・マルノルドは、サン=サーンスに対する扇動的な記事を連載し非難します。