サル・プレイエル

Salle Pleyel プレイエル・ホール / フランス語でサルsalleとは、「部屋」の意味で、この場合はホールを意味する。この先もsalleという言葉は出て来ます。このホールの起源は、1807年に有名なピアノ工場Pleyelの創設者であり作曲家であるIgnace Pleyelの息子Camille Pleyelによって建てられたもので、後の1839年12月に550席のホールとして工場の隣に移設された。ショパンはここで1848年に最後のコンサートを行い、サン=サーンス、フランク、アントン・ルービンシュタインなどがデビュー。1927年になるとエトワール広場近くに新しく建てられ、3000人収容のメインホールSalle Pleyel、Salle Chopin(509席)、Salle Debussy(150席)の3つのホールを持つ複合施設になり、ゴーベール指揮パリ音楽院管弦楽団によるオープン記念コンサートが行われた。2016年以降メインホールではクラシックの演奏はほぼ行われなくなった。

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現在のサル・プレイエル
Pline, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons