現在のパレ・ガルニエ(パリ・オペラ座)以前のパリのオペラ座で、1821年に建築され1873年まで使われ、1873年10月28~29日の火災で焼失した。これによりパレ・ガルニエが建築される事になる。オペラ・ル・ペルティエは、正式名称が時代によって少し異なり、王立音楽アカデミー、国立音楽アカデミー、帝室音楽アカデミー、再び国立音楽アカデミーと変遷している。ペルティエ通りにあったのでオペラ・ル・ペルティエ、あるいはペルティエ通りのオペラと呼ぶのが一般的。実はそれ以前に別の場所にオペラ座があり、リシュリュー通りのオペラ、あるいはサル・モンタンシェと呼ばれ、1794年~1820年まではここがパリのオペラ座だったが、1820年にこのオペラ座のエントランスでベリー公爵が暗殺され、ルイ18世によって建物の取り壊しが行われた。ドガの絵画、「バレーのレッスン」やアルテスが描かれている「オペラ座のオーケストラ」は、オペラ・ル・ペルティエの情景である。
オペラ・ル・ペルティエ
エドガー・ドガ《オペラ座のオーケストラ》