エッセイ

フルートで料理

20.煮浸し

  • 食材を如何に旨く食すかということについては、昔から様々な試みがなされ、それが、色々な形となって現在へと受け継がれてきた。煮る、焼く、蒸す、揚げる、炒めるなど、調理方法の一つ一つには、食材を活かすために、先人達の知恵が秘められてる。

    農家が畑で直売する新鮮な野菜を見たときに、港の市場で新鮮な魚を見つけたときと同じ位に嬉しくなってしまうのは、自分が齢を重ねた所為だろうか。それが葉物や根菜だったりすると、煮るという調理方法が頭に浮かぶが、ここに秘められた知恵が凄い。

    30年以上も昔の話になってしまうが、留学先のドイツから何度かイタリアに旅したことがあった。そのときに、とある片田舎の村のレストランで口にした野菜スープの味が忘れられず、日本に帰ってからも、そのこくのある味に何度も挑戦したことがあった。

    留学先ではどうしても分からなかったが、日本に帰ってきて、懐かしい “お袋の味” の数々を口にしていたときに、その謎が解けた。糠味噌漬けのお新香もかなりのヒントを与えてくれたが、極めつけはそれまで殆ど気にも留めていなかった菜っ葉の煮浸しだった。
  • 挿画
調理の段階で最終的な味を決めてしまうものと思い込んでいたのは浅はかだった。菜っ葉の煮浸しには、 “煮る” という調理の後に、 “浸す” という妙が秘められていた。熱い鍋の中身が冷えながら変わりゆく過程を想像できるという調理は、まさに絶妙だ。


ところで、フルートを如何に巧く演奏するかということについては、様々な試みがなされ、それが、色々な形となって現在へと受け継がれてきた。息使いは元より、タンギングや運指など、奏法の一つ一つには、音楽を活かすために先人達の知恵が秘められている。

若い人がその年齢に応じた新鮮な音楽を聴かせてくれたときに、ベテランの演奏家が円熟した音楽を聴かせてくれたときと同じ位に嬉しくなってしまうのは、自分が齢を重ねた所為だろうか。それが単純な旋律であればある程、息に秘められた哲学的な知恵が凄い。

30年以上も昔の話になってしまうが、留学先のドイツから何度かイタリアに旅したことがあった。そのときに、とある片田舎の村の教会で耳にした聖歌が忘れられず、日本に帰ってからも、その響きが自分に訴えかけたものが何だったのかを考えたことがあった。

留学先ではどうしても分からなかったが、日本に帰ってきて、懐かしい日本の曲を演奏する機会があったときに、その謎が解けた。楽譜に書かれた音符が言葉を作っていたのだが、極めつけはその言葉を使って作りだした物語を自ら聴衆に語りかけることだった。

練習の段階で最終的な物語を決めてしまうものと思いこんでいたのは浅はかだった。一度仕上げた曲を、暫くしてから再び取り上げてみると、言葉や物語が更に深く変化しているのだが、時間とともに変わりゆく過程まで想像できる練習の妙は、まさに絶妙だ。

文:齊藤賀雄(元読売日本交響楽団フルート奏者 東京音楽大学教授)

画:おおのまもる(元読売日本交響楽団オーボエ奏者)