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没後100年特別企画サン=サーンス


第1回 〜光と闇〜

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ほんとうに花の都パリ?

誰もが憧れるパリ。歴史と文化薫るパリはその街並みと相俟り「花の都」と讃えられ、訪れた人、これから訪れようとする人は特別な想いをもってこの都市を語ります。しかしこれはパリを現在からみたよきパリの一面であり、かつてこの街には色濃い「光と闇」が存在していました。

18世紀のフランスは、ブルボン家(ルイ王朝)による絶対主義国家でしたが、「朕は国家なり」と言わしめるほどの権力をもったルイ14世治世時にその絶頂を迎えました。国王はその権威を誇示するために文化・芸術を庇護し、ヴェルサイユ宮廷に世界に類を見ない華を咲かせたのです。私たちはこの様な光り輝くフランスの栄光に目を奪われます。しかし光は強烈に発すれば発する程、その奥にある闇もまた色濃く反映されます。

ルイ王朝が文化・芸術を庇護した裏には、絶えず繰り返される対外戦争のために搾取され続ける民衆がいました。相次ぐ戦争により、やがてフランスの国家財政は破綻の際に達し、王室は財政立て直しのために新たな租税を課そうとします。その結果民衆の不満は沸点に達し、旧体制の象徴であるバスティーユ牢獄を襲撃することで、ここにフランス革命が勃発するのです。この革命によって多くの命が失われましたが、流された血は、伝統的な封建体制と秩序を破壊し、近代国家へ生まれ変わるための痛みとなりました。しかしこの革命をもってすべてが刷新されたわけではなく、その後、過去の体制(アンシャン・レジーム)や特権を取り戻そうとする人々との駆け引きが続き、実に約70年間(1870年の第3共和政誕生まで)もの間、目まぐるしく政治体制が移り変わる不安定な時代に入るのです。

パリ

我々が知るパリの街並みは、比較的政治が安定し繁栄を見せた第2帝政期(皇帝ナポレオン3世の治世)、ジョルジュ・オスマンによるパリ改造計画(1853〜1870年)によって区画整理された後の光輝くパリであり、それ以前は花の都には程遠い劣悪な環境のパリでした。中世以来取り残された前近代的な街並みは、入り組んだ狭い路地と多層階の建物に囲まれ、貧民窟といわれるスラム街までも点在するまさに荒れ果てたパリでした。特にパリ市民を悩ませたのは水問題であり、下水の不備から生活排水や汚物を夜中に窓から投げ捨てる習慣があったため、風通しが悪い路地にはおぞましい悪臭が漂っていました。その排水はやがてセーヌ河に流れ込み、その水をまた生活用水として使用するため、パリには疫病が発生する条件が見事に整っていたといえます。1831〜32年、ヨーロッパ人は初めてコレラのパンデミックを体験します。もともとインド・ガンジス川河口一帯に常在する風土病であるコレラは、イギリスの植民地政策などによって世界中に拡散され、1832年3月、ついにパリを襲います。このコレラは、凡そ5人に1人の命を奪うほどの大惨事となり、パリに暗い影を落としました。しかしこの悲劇は悲劇で終わることはありませんでした。後に皇帝となったナポレオン3世が不衛生都市を改めるべくパリ大改造を決心し、ここに花の都パリが誕生するのです。つまり現在我々が目にする美しいパリは、コレラがもたらした副産物ともいえるのです。

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