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没後100年特別企画サン=サーンス


第4回 〜サン=サーンス 辛抱の時!〜

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フルートが関係するサン=サーンスの作品は計6曲ありますが、50代に差し掛かる頃『見えない笛』(1885年)、『動物の謝肉祭』(1886年)、『デンマークとロシア民謡によるカプリスOp.79』(1887年)の3曲を立て続けに生み出します。

第4回は、ヴィクトル・ユゴーの詩による歌曲にフルートがオブリガートとして加わる『見えない笛』を中心にお話し致します。

サン=サーンス 辛抱の時

フランス国民にとって計り知れない喪失感を与えた普仏戦争は、政治、文化など、様々な面でのターニングポイントとなりますが、なかなか一筋縄にはいかないのがフランス。1871年2月25日に設立をみた国民音楽協会(i)においても、この日をもってフランス音楽の栄光を勝ち得たわけではなく、実際には、まだ大多数のパリの聴衆はその活動を懐疑的に見ているような状況にありました。

1872年、サン=サーンスは初の交響詩と念願のオペラをパリで上演します。
1月9日、交響詩『オンファールの糸車Op.31』、同年6月12日には、オペラ・コミック『黄色い王女Op.30』を初演しますが、その批評は惨憺たるものでした。

この時期のサン=サーンスに対する批判をみると「ワグネリアンの一派」といった文句が目につきます(ii)

これは普仏戦争後のナショナリズムに目覚めたパリにおいて、ワーグナー派、反ワーグナー派といった対立がより先鋭化し、ワーグナー派の先鋒とみなされたサン=サーンスに批評家たちの批判が集中したことが一因としてあるように思います(iii)

普仏戦争後、立て続けに降りかかる批判の嵐、多忙による疲労の蓄積、気管支系の持病の悪化、さらに1872年には最愛の大叔母シャルロット・マソンを亡くしたことも重なり、心身ともに疲弊したサン=サーンスは、1873年10月、冷たく湿ったパリを飛び出し、心機一転北アフリカのアルジェリアに向かいます。

24時間もの長い船旅を終え、アルジェリアの首都アルジェに降り立ったサン=サーンスの眼にまず飛び込んだのは、眩いばかりの太陽の光、緑、花、活気に満ち溢れた生命たちでした。
滞在先のムーア式のヴィラに落ち着くと、今度は静謐な空間に目を奪われますが、その時の印象について以下のように述べています。

この場所には誰も来ない
静寂と神聖な賛美歌を妨げる敵の声もない

ついに安住の地をみつけたサン=サーンスは、すっかりアルジェに魅了され、ここで2ヶ月保養することになります。

この滞在中に、代表作となるオペラ『サムソンとデリラOp.47』のスケッチを書き上げたことはよく知られていますが、この作品をパリ・オペラ座で公演すべく、帰国後の1874年8月20日、オペラ座支配人を招いた試演会を行います。

しかしまたもや「強情なるワーグナー主義者」といった批判が立ちはだかり、結局パリでの公演は叶わず、初演はドイツで行われることになりました。

1877年12月2日、リストの尽力もあり『サムソンとデリラOp.47』は ワイマールで歴史的大成功をおさめますが (iv)、この成功はサン=サーンスのキャリアにおけるひとつの頂点と考えられます。

国外で高い評価を受ける一方、母国フランスでは日の目を見ないサン=サーンス。アルス・ガリカ(フランスの芸術)を謳い、フランス音楽再興を目指すサン=サーンスには、しばらく辛抱の時が続きます(v)

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