エッセイ

もがりぶえ

5.空の果てから

今年は世界的に天候が狂っていたようである。日本でも冬は矢鱈に雪が降って寒かったし、夏は妙に暑かった。雨が少しも降らず、所謂残暑の頃の暑さは凄まじく、遂に東京の八王子では摂氏39.4度という考えられない高温が記録された。

寒さ暑さで困った人が多かった反面、喜んだ人達も多かったらしく、時ならぬ降雪を好機とばかりドライヴァーにチェーンを賣った人や、天候に賭けて夏の海水浴場に店を出した人などは、良い商賣をしたためにほくほくだったという事である。海水浴場の商賣は、この数年、土曜・日曜は雨に祟られる日が多く、全く青息吐息だったらしい。海水浴場の近くに住んでいる僕は、この数年彼等の嘆きを聞き、そして、今年は久々で喜びの声を聞いた。今年の夏は三浦半島では雨が無く、全く当たりました、と彼等は言った。然し、農家の人達は野菜も何も水分不足で枯れてしまうと慌てゝいた。世の中、仲々皆に良いようには行かぬものである。

6月頃、アメリカのエール大学に行っている息子からの手紙に、滅茶々々の暑さです、天候異変で、暑くて、夜も眠れません、と書いてあった。天候異変は世界的な規模であったようである。
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然し、少し落ち着いて考えてみると、どうも僕達は毎年々々、今年は天候がどうかしている、異変だ、異変だと言い続けて来たような気がする。醒めて言えば、天候というものは異変又異変だからこそ天候なのだと言えなくもない。そして、情報が発達したために新聞やTVのニュースは世界各地の"異変"を伝えるようになったために、天候の異変も世界的な規模という受け取られ方をするようになったらしい。

然し、何としても今年の残暑は身にこたえた。そして今、いよいよ秋の空が澄み渡ってほっとする毎日に恵まれるようになった。
秋になると、僕は空高くに澄み切った鈴と笛の音を聞く。何故秋の音が笛と鈴なのか判らないが、秋の空から聞こえる音は、何故か澄んだ鈴の音と、高く尾を曳く笛の音である。

僕は今、親しいフリューティスト、峰岸壮一君と喜多一行君と相談しながら、12本のフリュートのための、オペラ「夕鶴」のファンタジアを書いている。今年も暮れる頃、東京のステージに乗るこの曲は、僕に、秋の空に聞こえる鈴の音と一緒に清々(すがすが)しさを与えて呉れる。

秋の陽の差す机の上の仕事。最も季節にふさわしい仕事に没頭しながら、寒暑の異変のおさまった静かな日本の秋をしみじみ幸福に感じている。

このエッセイは、1983年より93年まで、「季刊ムラマツ」の巻頭言として、團 伊玖磨氏に執筆していただいたものを、そのまま転載したものです。