エッセイ

もがりぶえ

13.歯のはなし 2

根本博士は僕の申し出を熟慮の上、この先悪くなるばかりの6本の歯をこの儘残しておく事は、旅も多い僕にとって致命的な事だと理解されて、或る日、残りの全部を抜歯した上で、今後作る総義歯(そういれば)の安定を良くし、義歯が痛みを与えないようにするために歯齦(はぐき)に大手術を施す事になった。

抜歯は兎も角として、この手術は相当なものだった。歯齦の肉を切り割いてめくり、その下の、歯の生えていた骨を鑿(のみ)と鎚(つち)と鑢(やすり)で平に削るのだから大変である。しかも上も下もである。

痛かったけれども、この手術は大成功だった。このお陰で僕の今の健康と、一生もう歯の痛みは無いという幸福が保証されたのだから、そうなることを予測して受けた手術の時の痛みなどは、むしろ快感だったと言える。

歯は、昔は食べる事・噛む事が主たる目的と思われていた。そのため、噛めれば良いという程度の義歯が作られる場合が多かった。しかし、歯はまだまだ幾つもの役目を持っていて、先ず言語の発音、そして美容、あと1つ、これが音楽家のために大切なのだが、管楽器吹奏のための役目がある。
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僕の場合、特に根本博士と研究した事は、咀嚼(そしゃく)のためと同時に言葉の発音に不自然が起こらないよう――欲を言えばより美しい発音が出来る義歯を作る事だった。よく発音の度にカチカチと不自然な音を発する義歯を嵌めている人――政治家や実業家に多い――があるが、いやしくも聴覚を大切にして仕事をしている音楽家としては、あんな乱雑な現象には我慢がならないし、TVやラジオ、講演で人の前で話しをする事の多い僕にとっては、この点を重視しなければならなかった。美容の方は、俳優でも何でもない僕にとっては、人並みの顔付きに見えれば良い事にした。

昔、上野の音楽学校の学生だった時、折柄の戦時態勢下のために陸軍戸山学校軍楽隊に入隊した。入隊した日、僕達新入隊員に楽器の割り当てが行なわれた。吹奏楽経験者には既に習い覚えた楽器が割り当てられたが、吹奏楽器の未経験者には、上官である下士官が僕達の体格、歯並び、肺活量を見ててきぱきと楽器を割り当てた。体格の大きな者にはスーザホーン、バス・テューバ、呼吸器疾患の危険のある者には打楽器、歯並びの特に良い者にはフリュートが割り当てられた。そして、その割り当ては驚く程正解なのだった。

吹奏楽器奏者にとっては常識的な事かも知れないが、僕はその時初めて歯が吹奏楽器と重大な関係にあるという事を知った。

前回記したように当時えらく歯が悪かった僕は、呼吸器疾患の既往症もあったので小太鼓を割り当てられて、敗戦迄の10ヶ月間を鼓手として過ごす事になった。

時々考えるのだが、もしもその当時僕の歯が良くて、歯並びも特に良かったとしたら、事によると、今頃僕はフリュート・プレヤーの皆さんのお仲間入りをさせて戴いていたかも知れないと思う。

歯は音楽的にも大切なものだと思う。

このエッセイは、1983年より93年まで、「季刊ムラマツ」の巻頭言として、團 伊玖磨氏に執筆していただいたものを、そのまま転載したものです。