エッセイ

もがりぶえ

20.肺・気管・口腔・歯

親しい根本さんが本を書いた。

「すべての管楽器奏者のために」(音楽之友社刊)という本。

根本さんは横須賀で開業されている歯科医である。僕はこの二十年間、歯に関してのトラブルは總べて根本さんのお世話になっている。ただ、根本さんにはもう一つの顔がある。横須賀交響楽団の楽団長。自らはコントラ・バスを弾く。忙しい本業の合間に、頑張って時間を作ってはエネルギッシュにオーケストラ運動に邁進し、市の要路の理解を得る事に努め、私生活を擲(なげう)って楽員諸君の融和を計り、演奏技術を磨く。

ブラス・バンド経験者でもある根本さんは、専門の歯科医の立ち場を駆使して、如何に歯・そして口腔、気管、肺全体が所謂楽器と共に大きな楽器を形作るかを認識するようになり、芸術としての管楽が成立する前段階に、その事を知り、マスターする事の重要性を科学的に考究するようになったのである。考えてみれば、ピアニストが腕と指、そして肩の骨格の構造を知り、筋肉の生理を知る事がどんなに大切かという事と同じ意味で、"すべての管楽器奏者"にとって、この事が如何に重要かは説明の要は無かろうと思う。然しながら、こうした研究は單なる医者にも出来なければ、音楽家にも出来ず、必要でありながら実現する人の無い侭にその儘になっていた感があった。根本さんのような、両方に跨(またが)った人物のみがその研究を進める事が出来た、其の成果がこの本であるように思う。実際的である事、――その事の面白さが、僕のような門外漢をも捉えるのである。
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昔々、陸軍戸山学校軍楽隊に入隊が決まったとき、試験官は、入隊者を一列に並ばせて、前歯を合わせて唇を開けるように命令した。そして、本人の意志や好みよりも、歯並びに依って楽器を配分した。その時上官に訊いたのだが、一番歯並びが良い者がフリュートに、一番悪い物が打楽器に配分されるとの事だった。そして、ショッキングな事に、僕は打楽器を命ぜられた。当時の僕の歯は、確かに滅茶滅茶だったのである。どうにか僕の歯が人並みに――と言っても義歯だが――なったのはずっと経ってから根本さんと知り合い、根本さんが献身的に治療と義歯の作製をして呉れたからである。

僕はこの本の宣伝のためにこの文章を書いているのでは無い。管楽器――わけてもフリュートを吹いて居られて、何かの壁に突き当たった時に、その原因を解いて呉れる役目をこの本が果たして呉れるかも知れない、とふと考えるからである。

楽器だけが楽器なのでは無い。人体と協力する事で楽器が眞の楽器になるのだ、――その考えは新鮮であるとともに、全く正しいと思うのである。

このエッセイは、1983年より93年まで、「季刊ムラマツ」の巻頭言として、團 伊玖磨氏に執筆していただいたものを、そのまま転載したものです。