《バラード》op.288には一番最後の作品番号が付けられていることから、ライネッケの最後の作品だと思われがちですが、歴史的資料に基づくと、このことは疑問視されなければなりません。
まず第一に、《アンデルセン童話『豚飼い王子』の音楽 Musik zu Andersens Märchen vom Schweinehirten》op.286は当時の音楽雑誌の広告ではライネッケの「遺作」と紹介されていました1。 一方、《バラード》op.288は、3つの歴史的資料においてop.286と記されています。ライネッケ自身の作品目録では、《子どもの歌曲集 Kinderlieder》op.285 第3巻の後に《バラード》がop.286と記載されており、これが最後の作品となっています2。“Märchen vom Schweinehirten” op.286と《弦楽四重奏曲》op.287はこの目録には含まれていません。また、フルート奏者マクシミリアン・シュヴェードラー(1853-1940)も、著作『フルートとフルート奏法 Flöte und Flötenspiel』の中で《バラード》をop.286としています。この本の第2版の序文には「1910年のイースター、ライプツィヒにて」とあり3、《バラード》が世に出る前のものであることが分かります。さらに、ライネッケの没後1910年10月11日にマルガレーテ・ライネッケ夫人が署名した、出版社ユリウス・ハインリヒ・ツィンマーマンへの著作権譲渡に関する書類でも、《バラード》はop.286と記されています4。しかし、その翌年、1911年に出版された初版のタイトルページには、ライネッケ自筆のファクシミリ署名があり、作品番号は288となっています。何度も異なった表記がされている《バラード》の作品番号。286という数字はただの書き間違いなのか、それとももっと深い意味があるのでしょうか。
1Wiener Zeitung. 1910, Nr. 66, S. 5. Wien, den 22. März 1910. Musikalisches Wochenblatt. Jg. 40 (1910), Nr. 51/52, S. 729. Leipzig, den 24. März 1910.
2Der vorliegende Aufsatz benutzt RISM-Siglen zur Bezeichnung von Bibliotheken und Archiven. D-Ha 424-88/44, Nr. 5. Das Streichquartett op. 287 und die Musik zu Andersens Märchen vom Schweinehirten op. 286 fehlen in diesem Verzeichnis.
3Maximilian Schwedler: Flöte und Flötenspiel. Ein Lehrbuch für Flötenbläser. 2. Auflage. Leipzig 1910. S. VI und 131. Ostern fiel auf den 27. März 1910.
4Die vertragliche Abtretung der Urheberrechte befindet sich im Verlagsarchiv Zimmermann, heute in D-MZsch.
まずはライネッケがどのように作品番号を割り当てていたのかを簡単に見てみましょう。1889年に発行された作品目録を見ると、作品番号は必ずしも作曲年代順とは限らないことが分かります。例えば、《弦楽四重奏曲》変ホ長調op.16は1848年6月に出版されましたが5、実際に作曲されたのは1843年です。仮に作曲順だとすればこの曲は《6つの歌曲 Sechs Lieder》op.5(1844〜45年作曲)の前に置かれるべきではないでしょうか。《カデンツァ集 Kadenzen》op.87と《メロドラマ Melodram》op.111に関しては、ライネッケが長年にわたり個々の作品を追加して完成させたものです。《メロドラマ Melodram》op.111 第1曲〈母の祈り Der Mutter Gebet〉は1870年に作曲され、1872年秋にライプツィヒのキストナー出版社から出版されましたが、同じ《メロドラマ Melodram》op.111の第4曲〈美しいアストリッド Schön Astrid〉が作曲されたのは1908年になってからでした6。逆に、以前作曲された曲が後の作品に取り入れられた例もあります。例えばライネッケは歌曲集《白雪姫 Gesänge aus Schneewittchen》op.55を基に《童話『白雪姫』のための音楽 Musik zum Märchen Schneewittchen》op.133を作曲しました。また、《祝典序曲》op.148は、後に作曲された《夏の日の絵画 Sommertagsbilder》op.161の序曲となりました。
このように作品番号は、楽譜の出版予定日に関連している可能性が高いと考えられます。1896年12月31日付のユリウス・ハインリヒ・ツィンマーマン出版社との契約7によれば、《子供の交響曲 Kinder-Symphonie》op.239は、当初“Kinder-Suite nach Stücken aus dem musikalischen Kindergarten bearbeitet”(当初予定op.238)として計画されていたようです8。しかし結局、ブラームスの没年である1897年に、《チェロ・ソナタ第3番「ブラームスを偲んで」》がop.238として出版されることとなりました。ライネッケがブライトコプフ&ヘルテル社に出版の話を持ちかけたのは1897年7月7日のことでした9。このチェロソナタは遅くとも1897年11月24日には出版されたようですが10、音楽雑誌の新譜案内に掲載されたのは1898年1月になってからでした11。一方、1898年の著作権表示がある《子供の交響曲 Kinder-Symphonie》はop.239として出版され、1899年1月に音楽雑誌に掲載されています12。
5Hofmeisters musikalisch-literarischer Monatsbericht vom Juni 1848, S. 86.
6Hofmeisters musikalisch-literarischer Monatsbericht vom Oktober 1872, S. 223.
7D-MZsch (Verlagsarchiv Zimmermann).
8Dass es sich bei der Kinder-Symphonie und der Kinder-Suite tatsächlich um dasselbe Werk handelt, ist höchst wahrscheinlich, weil die überlieferte Kinder-Symphonie op. 239 tatsächlich Themen aus der Komischen Oper (ohne Text) aus dem 2. Band des Musikalischen Kindergartens benutzt.
9D-LEsta 21081, Breitkopf & Härtel, Nr. 2799. Brief vom 7. Juli 1897 aus Leipzig an Breitkopf & Härtel. Bl. 86.
10D-Bda PrAdK 0271. Brief vom 24. November 1897 aus Leipzig an die Akademie der Künste Berlin. Bl. 139r.
11Hofmeisters musikalisch-literarischer Monatsbericht vom Januar 1898, S. 5.
12Signale für die musikalische Welt. Jg. 57 (1899), Nr. 4, S. 61. Leipzig, den 9. Januar 1899.
ここで、1908年末から1910年3月10日に亡くなるまでのライネッケの作曲活動を見てみましょう。
ランゲンザルツァのHermann Beyer & Söhne社から《家庭向けの音楽 Fürs Haus》シリーズの第282刊として出版された《クリスマスの歌 Weihnachtsgesang》op.282は、当時の広告や文献がないことから、これまで作曲年を特定することができませんでした。ただ、商業的な理由から、1908年のクリスマス前頃に市場に出された可能性が高いと思われます。また前述のように、“Melodram” op.111の第4曲〈Schön Astrid〉は、作品番号が若いにもかかわらず、1908年の作品です。ライネッケはこの作品について、1908年12月17日付のフィリップ・フィードラー宛の手紙で言及しています13。〈Schön Astrid〉には1908年の著作権表記があり、1909年1月に新譜案内の広告が掲載されました14。1909年2月には、作品番号のない全3巻の《リリック・アルバム Album lyrique》の広告が出ています15。この曲集の第1曲 〈In der Frühe〉の著作権登録は1908年ですが、残りの19曲は1909年となっています。ライネッケが1908年に第1曲にとりかかるより前に、この曲集の作曲を終えていたことは間違いないでしょう。
作品名 | 作品番号 | 作曲年 | 著作権登録年 | 出版 |
---|---|---|---|---|
Weihnachtsgesang | op.282 | - | ||
Melodram "Schön Astrid" | op.111, No. 4 | [1908] | 1908 | 1909年1月 |
Album lyrique Bd. 1–3 | - | [1908] | 1908, 1909 | 1909年2月 |
フルート協奏曲 | op.283 | 1908 | 1909 | 1909年3月 |
オルガンソナタ | op.284 | 1909 | 1909年5月 | |
Zeppelinlied der Kinder | - | [1909] | 1909 | 1909年8月 |
Kinderlieder 第3巻 | op.285 | 1908/1909 | 1909 | 1909年11月 |
Musik zu Andersens Märchen vom Schweinehirten |
op.286 | 1909/1910 | 1910 | 1910年3月 |
弦楽四重奏曲 第5番 | op.287 | 1910 | 1910年11月 | |
バラード | op.288 | 1911 | 1911年1月 |
13D-KIl Ca – Autographen, Reinecke, Carl. Brief vom 17. Dezember 1908 aus Leipzig an Philipp Fiedler. Bl. 1v, Z. 1–2: "Es ist auch ein neues Melodram da."
14Hofmeisters musikalisch-literarischer Monatsbericht vom Januar 1909, S. 14.
15Hofmeisters musikalisch-literarischer Monatsbericht vom Februar 1909, S. 56.
ライネッケ本人の発言によると、《フルート協奏曲》op.283は1908年11月12日にはスコアとピアノ伴奏版が完成しています16。校正刷りには1908年12月30日の日付が記されており、1909年3月に発表された当作品は1908年には既に完成していたことが分かります17。
16D-LEsta 21081, Breitkopf & Härtel, Nr. 2802. Brief vom 21. November 1908 aus Leipzig an Breitkopf & Härtel. Bl. 66, Z. 2–8.
17Hofmeisters musikalisch-literarischer Monatsbericht vom März 1909, S. 84.
レオポルト・ブローダーセンに献呈された《オルガン・ソナタ》op.284の作曲時期については、今日まで明らかになっていません。この作品には1909年の著作権表記があり、同年5月に発表されたことまでは分かっています18。また、ライネッケは1908年11月23日付の手紙に、《子どもの歌曲集 Kinderlieder》op.285 第3巻の12曲目(全集の番号では85曲目)の〈クリスマスの前 Vor Weihnachten〉を同封していました19。この曲集の残りの歌曲は1909年1月25日にブライトコプフ&ヘルテル社に送付されています20。しかし、出版は遅れ、“Kinderlieder” op.285が世に出たのは1909年11月末のことでした21。1909年8月には、マルクス・メラーの詩を題材とした“Zeppelinlied der Kinder”が週刊誌『Die Woche』に掲載されました22。
18Hofmeisters musikalisch-literarischer Monatsbericht vom Mai 1909, S. 160.
19D-LEsta 21081, Breitkopf & Härtel, Nr. 2802. Brief vom 23. November 1908 aus Leipzig an Breitkopf & Härtel. Bl. 67, Z. 6.
20D-LEsta 21081, Breitkopf & Härtel, Nr. 2802. Brief vom 25. Januar 1909 aus Leipzig an Breitkopf & Härtel. Bl. 74r.
21Musikalisches Wochenblatt. Jg. 40 (1909), Nr. 35, S. 508. Leipzig, den 25. November 1909.
22D-Hs AHT: 18: 11: Bl. 22–23. Brief vom 26. August 1909 aus Leipzig an Georg Böttiger. Das Zeppelinlied der Kinder erschien in: Die Woche. Jg. 11 (1909), Teil 3, Nr. 34, S. 1429–1431. Berlin, 21. August 1909.
1909年のライネッケのその他の作曲活動については、ほとんど何も分かっていません。1909年12月、彼はブライトコプフ&ヘルテル社に、「5段横型の大譜表を、それが手に入らない場合は6段で縦型のものを23」手配するように依頼しました。明確に言及されていなくとも、これらの用紙は《アンデルセンの童話『豚飼い』ピアノ4手連弾版 Musik zu Andersens Märchen vom Schweinehirten für Klavier zu vier Händen》op.286のためであることはほぼ間違いないでしょう。このような編成の曲に使われる典型的な譜面のフォーマットだからです。“Schweinehirten”の手稿は、1910年1月26日、ライネッケの妻マルガレーテによってブライトコプフ&ヘルテル社に提出されました24。手が腫れていたライネッケは、自ら手稿を書くことができませんでした。イギリスのアレクサンドラ女王に献呈された作品の出版を早く実現させたいと願っていたようです。 妻マルガレーテは「印刷に関しては、献呈のためにできるだけ早く着手していただけると、主人はとても助かります25」と書いています。このように“Schweinehirten” op.286はライネッケにとって最優先だったことは明らかです。しかし、この作品が実際に出版されたのは、彼の死後まもなくのことでした。
23D-LEsta 21081, Breitkopf & Härtel, Nr. 2802. Notiz vom Dezember 1909 für Breitkopf & Härtel. Bl. 82r, Z. 4–8.
24D-LEsta 21081, Breitkopf & Härtel, Nr. 2802. Brief von der Hand Margarethe Reineckes vom 26. Januar 1910 aus Leipzig an Breitkopf & Härtel. Bl. 87r, Z. 6–7.
25D-LEsta 21081, Breitkopf & Härtel, Nr. 2802. Brief von der Hand Margarethe Reineckes vom 6. Februar 1910 aus Leipzig an Breitkopf & Härtel. Bl. 90r, Z. 7–10, Bl. 90v, Z. 1–2.
さらに1910年1月7日、ライネッケはブライトコプフ&ヘルテル社からモーツァルトのピアノ協奏曲に関する解説書26の執筆を依頼されています27。妻の証言によると、この仕事によりライネッケは1910年の2月末28に「病気が発病する直前まで29」多忙だったといいます。手の腫れのため、ライネッケは自ら書くことを避けたようで、妻にモーツァルト・ガイドブックの草稿を代わりに書いてもらったようです30。しかし、結局この解説書は未完のまま残されています。
26Carl Reinecke: Musikalischer Ratgeber, W. A. Mozart, Klavierkonzerte. Vollendet von Robert Teichmüller, Leipzig 1910. Exemplar: D-B Mus. A 84-9. Dies Büchlein ist nicht zu verwechseln mit der im Verlag der Gebrüder Reinecke erschienen Schrift Zur Wiederbelebung der Mozart’schen Clavier-Concerte. Leipzig [1891].
27D-LEsta 21081, Breitkopf & Härtel, Nr. 0791. Breitkopf & Härtel an Carl Reinecke, Leipzig, den 7. Januar 1910. Bl. 174–173 [die Seiten der Briefe sind in den Briefkopierbüchern rückläufig nummeriert].
28D-LEsta 21081, Breitkopf & Härtel, Nr. 2802. Brief von der Hand Margarethe Reineckes vom 5. März 1910 aus Leipzig an Breitkopf & Härtel. Bl. 91r, Z. 6.
29D-LEsta 21081, Breitkopf & Härtel, Nr. 2802. Brief von der Hand Margarethe Reineckes vom 16. März 1910 aus Leipzig an Breitkopf & Härtel. Bl. 93v, Z. 5–7.
30D-LEsta 21081, Breitkopf & Härtel, Nr. 2802. Brief Margarethe Reineckes vom 16. März 1910 aus Leipzig an Breitkopf & Härtel. Bl. 93v, Z. 12–15.
1910年2月13日にライプツィヒの市立商館(Städtisches Kaufhaus)で予定されていた室内楽マチネも、手の腫れのため中止となってしまいました31。この演奏会にはパウル、アルフレッド、ゲオルク・ヴィレ3兄弟とベルンハルト・ウンケンシュタインが出演予定32で、ライネッケはモーツァルトの《ピアノ四重奏曲ト短調》K.478と、さらに当時まだ作品番号の記載がなかった、《弦楽四重奏曲ト短調》op.287の初演をする予定でした。この弦楽四重奏曲はライネッケの没後、エドガー・ヴォルガント、カール・ヴォルシュケ、カール・ヘルマン、ユリウス・クレンゲルからなるゲヴァントハウス弦楽四重奏団によって初演されたことになります。教会での葬儀33ではアダージョ楽章のみが演奏され、1910年4月10日午前11時にゲヴァントハウスの小ホールで行われたライネッケの追悼式では全曲が演奏されました34。
31Leipziger Tageblatt. Jg. 101 (1910), Nr. 43, Kunstkalender, o. S. Leipzig, 13. Februar 1910: „Die für heute vormittag angesetzte Kammermusikmatinée der Herren Gebr. Wille und Unkenstein muß auf ein noch zu bestimmendes Datum vertagt werden.“ Gleichlautend eine Notiz in: Leipziger Neueste Nachrichten, 1910, Nr. 43, S. 26. Leipzig, den 13. Februar 1910.
32Sammlung Schönknecht, Leipzig, Reinecke-Museum. Programmzettel vom 13. Februar 1910.
33D-LEsta 21081, Breitkopf & Härtel, Nr. 2802. Brief Margarethe Reineckes vom 5. Mai 1910 aus Leipzig an Breitkopf & Härtel. Bl. 106r, Z. 13, Bl. 106v, Z. 1–5. Vermutlich handelte es sich um die Trauerfeier im Trauerhaus Querstraße 14 am Sonntag, den 13. März 1910, um 10.30 Uhr.
34Sammlung Schönknecht, Leipzig, Reinecke-Museum. Programmzettel vom 10. April 1910.
歳の割に元気だったライネッケは、同年2月末にインフルエンザで倒れました35。1910年3月11日の『ライプツィヒ日報』は、「カール・ライネッケ教授は(中略)昨日午前3時、インフルエンザによる14日間の闘病の末亡くなった」と報じています36。
《バラード》op.288が実際にライネッケの遺作であることを示唆するものはほとんどありません。“Musik zu Andersens Märchen vom Schweinehirten” op.286の完成後、ライネッケが《弦楽四重奏曲》op.287と《バラード》op.288の作曲に費やせる時間は極めて限られていたと考えられます。彼はまず、1909年12月から1910年1月26日までの間“Schweinehirten” op.286の作曲と楽譜の浄書に専念していました。その後、妻の助けを借りてモーツァルト・ガイドブックの執筆に取りかかり、インフルエンザで倒れるまでその作業を続けていたのです。
このような背景から《弦楽四重奏曲》op.287と《バラード》op.288は、それ以外の作品があまり書かれなかった1909年に作曲されたという説が、より妥当なように思われます。《子供の歌》第3巻op.285の一部を除けば、ライネッケがこの年に作曲したのは、おそらく《オルガンソナタ》op.284と“Zeppelinlied der Kinder”だけということになります。1909年8月末から12月初めにかけての作曲活動の記録は残されていません。もしかしたら、作品の献呈相手への配慮から“Schweinehirten”と《バラード》の作品番号が交換され、結果的に前者がop.286、後者がop.288となっただけかもしれません。“Kinder-Symphonie” op.239の場合は、実際に作品番号が入れ替えられた形跡があります。この曲は、ブラームスの死後まもなく出版されることになった《チェロ・ソナタ》op.238(ブラームスに献呈)のために、作品番号を譲らなければなりませんでした。《バラード》に至っては、初版の手書きのタイトルが示すように、ライネッケ本人が作品番号を入れ替えたと思われます。ライネッケはこのタイトルを、他の作品のように自筆譜の最初のページ(五線紙)ではなく、明らかに線のない無地の紙に書いているからです。
35Leipziger Neueste Nachrichten. Jg. 18 (1910), Nr. 69, S. 7. Leipzig, 11. März 1910.
36Leipziger Tageblatt. Jg. 104 (1910), Nr. 69, Morgenausgabe, S. [12]. Leipzig, 11. März 1910.
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