エッセイ

フルートで料理

15.十人十色

  • 一口に中国料理といっても、実はそこには様々な種類がある。横浜や神戸には中華街という一角があって、そこでは美味しい中国料理を味わうことができるが、その一軒一軒にも、その店の料理人の出身地によって、伝統的な調理法や味があるから興味深い。

    そんな中華街でも、我々日本人向けの味付けになってしまっているのかも知れないと思うことがある。今回、演奏旅行で中国の北京に数日間滞在する機会があって、ついつい中華料理三昧となってしまったが、本場の味を楽しむには、格好のチャンスとなった。

    中国は広くて、言葉も地域によって全く違うという。漢字を書く限りでは、お互いに意思の疎通はできるが、発音すると全く通じなくなってしまうらしい。事実、標準語の北京語が通じない人を見かけた。発音が微妙に違うように、料理の味も地域によって変わる。

    北京、広東、そして四川と、代表的な3通りの中国料理を試すことはできたが、街の中には数え切れないほどの〇〇飯店が並んでいるし、一ヶ所の店ですべてのメニューを試した訳でもない。しかも、残念なことに、魅力的な屋台の味も試していない。
  • 挿画
ただ、確実に言えることは、油が強いとか、ちょっと甘い目の味付けとか、辛さが特色とか、そういった概念を持つこと自体が無意味なこと、そして、その概念が、その料理を味わうときに如何に邪魔をすることになるかということであろう。各人有各人的意趣。


ところで、一口にフルーティストといっても、実はそこには様々な音がある。日本や欧米にはフルート演奏家が数え切れないほどいて、夫々に美しい音を聴かせてくれるが、その一人一人の生い立ちや、教育を受けた環境などによって個性や味があるから興味深い。

その中でも、日本のフルート演奏家の場合には日本人の音になってしまっているのかも知れないと思うことがある。今回、秩父でムラマツのミュージック・キャンプがあって、正にフルート三昧となってしまったが、その辺りを探るには格好のチャンスとなった。

特に、講師によるコンサートは圧巻だった。ホールで次から次へと繰り広げられる講師たちの演奏は、楽譜という世界共通の言語から読み取ったものを、自分たちの言語や音、そして演奏で表現していくということを、客席の受講生全員に実体験させてくれた。

ドイツで学んだ人、アメリカで学んだ人、コンクールで入賞した人、オーケストラで吹いている人、学校で教えている人など、様々な経歴を持つ演奏家たちが短い演奏の持ち時間の中に集約して聴かせてくれたものは、勿論、それがその人たちの全てではない。

ただ、確実に言えることは、あの人の音はどうだとか、あの人の演奏はどうだとか、そういった概念を持つこと自体が無意味なこと、そして、その概念が、その人たちの演奏を聴く上で如何に邪魔をすることになるかということであろう。十个人有十个人的特色。

文:齊藤賀雄(元読売日本交響楽団フルート奏者 東京音楽大学教授)

画:おおのまもる(元読売日本交響楽団オーボエ奏者)