エッセイ

フルートで料理

16.名前のない料理

  • 家庭料理の殆どは、ジャンル別にすれば、炒め物、揚げ物、煮物、焼物などといった中のどれかに属するから、そのジャンルの呼び方がそのまま料理名となっていて、フランス料理などでよく見かける、その一品を説明するために付けられる特別な名前はない。

    有難そうな名前が付けられていると、如何にも手抜きのない凝った料理のように思えるから面白い。 “キャベツの芯のピクルス 鰯のマリネ添え” と仰々しく書いておけば、普段なら捨てられる運命にあるキャベツの芯も、堂々と主役を演ずることができるのだ。

    名前の有無に拘らず、旨い料理を作るためには、当然、料理の基本が必要となる。だしの取り方や調味料の匙加減、火加減のタイミングといった基本的なことは、実際に体験しながら失敗を重ね、その失敗を活かすことによって、初めて基本として認識される。

    味は不思議なもので、体調や気分が大きく影響を及ぼすことでも分かる通り、大変誤魔化され易いものだと思う。甘い辛いを例にとっても、夫々が独立することなく、 “互いに影響を与えながら一つの味を形成していく匙加減” というコントロ-ルが必要になる。
  • 挿画
名前のない料理の場合には、 “調理途中での路線変更可” という大きな魅力がある。匙加減と火加減とによって刻々と変化していく様の観察こそが、料理することの楽しみなのだということが理解できる人ほど、料理の基本を認識しようとしている人達だと思う。


ところで、吹いて楽しむ曲には大抵作曲者名が書かれていて、それが、知らない作曲家の場合でも、音楽辞典などを調べれば、大体何時頃の作曲家なのかは知ることができる。また、曲に具体的な題名が付けられていたりすると、初めての曲でも安心できる。

具体的な題名が付けられていると、如何にも昔から受け継がれてきた名曲のように思えるから面白い。 “カティアの踊り” というタイトルが付けられた曲を吹くときには、我々の知らない “カティア” よりも、 “踊り” の方がイメ-ジ上の主役となってしまう。

作曲者名や曲の題名に拘らず、いい演奏をするためには、音楽の基本が必要となる。フレーズの取り方や息の使い分け、テンポ感やリズム感といった基本的なことは、演奏しながら試行錯誤を重ね、その錯誤を活かすことによって、初めて基本として認識される。

音楽や演奏は不思議なもので、その日の体調や気分などによっても大いに違ってくるように、大変誤魔化され易いものだと思う。特に、フルートのような旋律楽器の場合には、歌うこととリズムとの匙加減を絶妙にコントロールするための息の使い方が必要になる。

作曲者名や題名などが何の材料も与えてくれない場合には、正に判じ物のように、楽譜から様々なことを読み取りながら練習を続けていくということが魅力になる。この判じ物の魅力が楽しめる人ほど、音楽や奏法の基本を認識しようと思っている人達だと思う。

文:齊藤賀雄(元読売日本交響楽団フルート奏者 東京音楽大学教授)

画:おおのまもる(元読売日本交響楽団オーボエ奏者)