バロック・フルート奏者の前田りり子さんに執筆していただきました。

※この記事は2017年に執筆していただいたものです。

第5回

パリ四重奏曲

人が喜ぶ音楽、難しすぎず楽しみながら演奏できる曲を書くことをモットーにしていたテレマンですが、例外的に少々難しい曲を書くこともありました。素晴らしい才能を持った音楽家と出会った時です。そんな時には万人向けを常日頃心がけるテレマンも、たまには思う存分自らのアイデアを駆使して、心ゆくまで書きたいことを書くという楽しみに浸ることもあったようです。

テレマンの名声は出版楽譜などを通じて、ヨーロッパ各地に広まりましたが、ハンブルグでの仕事があまりに忙しかったせいか、生涯を通じてテレマンはあまり大きな旅行をしていません。でもたった一度だけ、1737年に8ヶ月間パリに出かけました。旅行のきっかけとなったのはテレマンが1730年に出した「Quadori」とタイトルがつけられたカルテット集でした。その楽譜を買ったパリの一流音楽家たちが、ぜひ一度テレマン先生と一緒に演奏したいということで念願だったテレマンのパリ旅行は実現しました。

イタリア人歌手ならともかく、ドイツの田舎の作曲家が花のパリに招待されるなどということはめったにない大変名誉なことでしたし、それまで楽譜を通してしか知ることができなかった本場フランス音楽に実際に触れることができたことは、テレマンにとって大きな喜びだったに違いありません。

当時パリではコンセール・スピリチュエールというコンサートシリーズが大人気を博しており、フルートのブラヴェやヴァイオリンのルクレールなどがソリストとして活躍していました。この旅行のためにフランス風の様式で書き下ろしたフルートとヴァイオリンとガンバまたはチェロと通奏低音のためのカルテットを、テレマンはブラヴェらパリの一流演奏家と共にコンセール・スピリチュエルで演奏しました。その評判は非常に良かったようで、テレマンの自叙伝にはこのように述べられています。「この四重奏曲がどれほど素晴らしく演奏されたか、ここに述べておく値打ちが十分にあるのだが、ただその見事さを描写し得る言葉が見つからないのである。とにかく、この四重奏曲に対する宮廷や町の人々の関心は稀に見るものであって、しばらくの間に私の名声がほとんど町中に広がると、私は日増しに丁重な扱いを受けるようになった。(『テレマン〜生涯と作品』カール・グレーベ著、服部幸三・牧マリ子共訳、音楽の友社)」

テレマンは20年間有効の国王認可による印刷販売の許可をパリで得て、この時演奏した曲を「6つの組曲による新しいカルテット(Nouveaux quatuors en six suites)」として出版しました。現在では通称「パリ四重奏曲」と呼ばれている傑作中の傑作です。

パリの友人たち、そして耳の肥えたパリの音楽愛好家たちに楽しんでもらうために書かれた「パリ四重奏曲」は、テレマンの数ある作品の中でも特に、フランス風の様式を意識して書かれています。前作の「Quadori」の方は6曲中4曲はコンチェルトやソナタなどの華やかなイタリア様式で書かれていますが、新しい曲集は速度や表情などの指示はすべてフランス語で書かれ、フランス人が大好きだった舞曲のリズムが多く取り入れられています。しかしそれはけっしてフランス趣味への追従や模倣ではなく、テレマン独自の軽妙洒脱でユーモアあふれる会話がいたるところで繰り広げられ、聴いている人たちに飽きさせる隙を与えません。まさにテレマンワールド全開です。

ただ一つだけ、普段のテレマンの作品とは趣を異にしていることがあります。演奏するのがそれほど簡単ではないということです。当時最高のヴィルトゥオーソ達に演奏してもらうために書かれたこの作品は、それぞれの奏者の腕の見せ所がふんだんに用意され、聴く人たちを驚嘆させました。しかし、それは単なる名人たちの技の競い合いだけではありません。精巧緻密ながらも臨機応変、自由自在に反応し合う絶妙なアンサンブル能力があって初めて成り立つ最高の晴れ舞台なのです。「誰でも演奏できる音楽」という足かせから解き放たれたテレマンが、満を持してパリに持参したこの曲に、持てるすべてのアイデアと能力をつぎ込み、自身の最高傑作を作ろうとしたことは間違いありません。

当時の音楽家が目指すべき最高の地位はオペラ作曲家、もしくは教会音楽作曲家で、小さな室内楽は2流、3流の作曲家、もしくは演奏家自身によって書かれるような格下の仕事とみなされていました。ドイツ最高の大作曲家であったテレマンも、オペラや教会音楽、管弦楽組曲を書くことが彼のもっとも重要な仕事であり、膨大な数の大編成作品を作曲しました。しかし、テレマンはみんなが楽しむことができる小さな室内楽を書くことにも心からの喜びを見出し、特別の情熱を費やしました。「パリ四重奏曲」にはそんなテレマンの室内楽への愛が満ち溢れています。

これまで5回にわたってテレマンの様々な作品をご紹介してきました。しかし何といってもテレマンはクラシックの分野において最も多く曲を作った人として「ギネス世界記録」に認定されているほどの多作家です。今回紹介しきれなかった素晴らしいフルート作品が他にもたくさんあります。ぜひご自身でテレマン発見の旅をしてみてください。

前田 りり子(Liliko MAEDA バロックフルート)


モダン・フルートを小出信也氏に師事。
高校2年の時、全日本学生音楽コンクール西日本大会フルート部門1位入賞。
その後バロック・フルートに転向し桐朋学園大学古楽器科に進学。
オランダのデン・ハーグ王立音楽院の大学院修了。
有田正広、バルトルド・クイケンの両氏に師事。
1996年、山梨古楽コンクールにて第1位入賞し、1999年、ブルージュ国際古楽コンクールで2位入賞(フルートでは最高位)。
バッハ・コレギウム・ジャパン、オーケストラ・リベラ・クラシカ、ソフィオ・アルモニコなど、各種演奏団体のメンバーとして演奏・レコーディング活動をしているほか、日本各地でしばしばリサイタルや室内楽コンサートを行っている。
また2006年には単行本「フルートの肖像」を東京書籍より出版し、執筆活動にも力を入れている。
現在、東京芸術大学、上野学園大学非常勤講師。
前田りり子の公式ホームページは「りりこの部屋」で検索。