フルート奏者の加藤元章さんに執筆していただきました。

※この記事は2018年に執筆していただいたものです。

第2回

牧神が吹くフルートの夢…シランクスへの前奏曲

ドビュッシーのフルート作品3曲のうち、シランクスとソナタ(Fl. Va. Hp.)は最晩年の作品、ビリティスも後期の作品で、これらを語る前に、どうしても「牧神の午後への前奏曲」を説明しなければならない。フルートのソロで始まるこの管弦楽曲こそが、近代フランス音楽の幕を開けた作品だ。

牧神の午後への前奏曲? 牧神の午後の前奏曲?? 牧神の午後の前奏曲???

Prélude à l'après-midi d'un Faune

エドゥアール・マネによるマラルメの肖像

牧神の午後への前奏曲は、直訳すると「半獣神の午後の前奏曲」となる。ただ、最初に和訳する時、曲のイメージからか、ドビュッシーが題材にしたマラルメの詩の内容を知っていたのか、言葉としての響きからなのか、「牧神」という、より柔らかい響きの日本語に置き換えたのは大正解だったと思う。

曲は近代の大詩人ステファヌ・マラルメの長詩「半獣神の午後」に基づいて書かれた。最初の構想では「前奏曲」、「間奏曲」、「終曲」の3曲構成の予定だった。その第1曲として書かれた「前奏曲」だが、結局この1曲で完結した。
マラルメの詩は、特にその難解さで知られている。マラルメは、言葉の響きと詩的なリズム感を巧みに使い、言葉自体は直接的な表現というより、何かを想像させるような語り口の「象徴派」と呼ばれる詩人。その作品の中でも「半獣神の午後」は有名な作品で、最初「半獣神の独白」という作品として発表しようとしたが、オペラ・コミックでの上演を断られ、「全く理解不能」と出版も断られ、内容を推敲し直して改めて発表したのが「半獣神の午後」で、世界中に知られる詩となった。
今回、一応仏語原文を読んでみた。和訳は、おそらく鈴木信太郎訳が最も原点的なものだと思うが、…はっきり言って日本語が高尚すぎて、日本語でもよく分からない。
長い詩の内容を思いっ切り簡単に説明すると、

時間帯は、午後。まどろみから目覚めた半獣神が、白昼夢を見るかのように2人(2匹?)のニンフとの官能的な体験を自問自答する、という内容。
象徴的に綴られた語句を、想像たくましく(裏読みして)読み解けば、かなりエロティックな情景描写の詩とも取れる。妄想の中で、遊びのように言葉を転がして、脳内での陶酔感を誘うような詩だ。

Faune, Pan, Nymphe, Syrinx, Shawm…

Faune, Pan, Nymphe, Syrinx, Shawm…

パンパイプを吹く「パン」

そもそも牧神とか半獣神とかニンフ、パン(Pan)、フォーン(Faune)、シランクスとは何なのか ?
19世紀から20世紀初頭のフランスやイギリスでは、絵画、彫刻等の作品でパンとフォーンの外見をしっかり区別している。
フルートの世界で曲の題名として登場するのは、ほぼ全て「パン(Pan)」だ。
「パン」の和訳には「牧神」が当てられる。パンはギリシャ神話の中での精霊に属するもので、見た目は、上半身は人間、下半身は獣で、角が有る。ただしパンは他の精霊とは別格で、一応オリュンポス神の一員と見なされる。羊飼いと牛の群れを監視し、シランクスという笛 (形はパンパイプ) を好み、好色で、山の木陰や薄暗い所にひそみ、山道を行く人間に背後からそっと近付き、「ワッ」とおどかす。人間はビックリし、さらにその姿に恐怖し、パニック状態で逃げる…そう、パニックという言葉はパンが語源だ。
ニンフも同様に山野、川などに宿る精霊で、歌と踊りを好み、花を咲かせたり狩りの獲物を提供、また、病を治してくれたりする。見た目は若く美しい娘の姿をしている。

シランクスとは、もともとはアルカディアの山野に住む美しいニンフの名前。
ある時、狩りから帰って来るとパンに出会う。彼女はあわてて逃げ出す。パンは川までシランクスを追いかけ彼女を捕まえるが、水中に入ったシランクスにパンが触れた瞬間、彼女は川辺の葦に変身する。そしてそこに風が吹いて悲しげな旋律を奏でた。パンは、その葦を切って楽器を作った(パンパイプ)。これがパンの吹く笛=シランクスの名の由来。

ニジンスキーが「牧神」で使用した衣装のデザイン画

さて、フォーン(Faune)とは…。こちらは、ローマ神話の精霊で、和訳は「半獣神」になる。ファウヌスという神の親戚(?)にあたり神格ではない。見た目は、顔と胴は美しい青年、耳と足は鹿、足の毛は光沢があり、2本足。フォーンが吹く笛はショームというオーボエの祖先にあたるリード楽器。パンに比べると性格は穏やかで気品があるようだ。いずれにしろ、「見た目」が違い性格もやや違うのだが、中世以後、パンとフォーンは混同されていった。
一方、マラルメの詩の内容では、題名にこそフォーンを使っているが、描いている情景は「穏やかで気品がある」と言うよりは、幻想のなかで欲情と興奮を語る内容が、どちらかと言えばPan。Syrinxも登場、ただしフォーンが吹く笛は「2本の管」となっていて、詩の中で「頬を膨らませ、その痛みは…」との一節があり、これはギリシャ神話での2本管のリード楽器、アウロスを吹く時の特徴だ…。まあ、解らない部分は、マラルメファンタジーという事にしておこう。ちなみに後年(1912年)、ロシアのバレエダンサー、ニジンスキーが牧神の午後への前奏曲に振り付けして踊った映像では、フォーンの外観の衣装でショームを吹きながら登場している。
作曲家的には、パンを扱った曲では、大体モチーフがパンパイプを連想させる音階(長調あるいは旋法が多い、ムーケ、ルーセル他)なのに対し、フォーン(牧神の午後への前奏曲)は、あえてそれを避けるように、クロマティックという、ピタゴラス音階から人工的に作り出した音階を使ったというだけでも、ドビュッシーはパンとフォーンの違いを認識し、ニジンスキーも同様だという事。

牧神が吹くフルートの夢

Le réve de la flûte dans laguelle le faune souffle

1983年にシャトレ座でコンチェルトを演奏したときの筆者

牧神の午後への前奏曲は、作曲家ドビュッシーの作風イメージを決定づけるだけでなく、近代とそれ以前の作曲技法上の分水嶺、ターニング・ポイントとなるような意味を持つ、音楽史上の傑作となった。
1894年、サル・ダルクール(ダルクール・ホール)での国民音楽協会の演奏会で初演。この演奏会で、それまで非公開だったコンサートが一般にも公開された。この時のフルート・ソロはフリーランス活動をしていたジョルジュ・バレールで、彼は翌年からパリ・オペラ座の団員となり(エヌバン、ゴーベールが同僚の団員)、1905年にはアメリカに移住、ニューヨーク・シンフォニー(のちのニューヨーク・フィル)の首席奏者を務め、音楽芸術インスティテュート(のちのジュリアード音楽院)で教え、生徒にはウィリアム・キンケイド等がいる。プラチナのフルートを使い、エドガー・ヴァレーズの「密度21.5」の初演でも知られる。牧神の午後への前奏曲の初演は、大成功を収め、特例としてアンコール演奏が行われ、さらに翌日も再演された。翌年にはシャトレ座で話題の作品として、大々的な再演も行われた。

シランクスへの前奏曲(プレリュード)-ドビュッシーの音世界

Le monde sonore de Debussy

楽曲分析=アナリーゼ、フランス語でアナリーズ。おそらく各国の音楽大学、音楽院において、必修科目としてアナリーズをしっかりと学ぶシステムは、現在でもパリ国立高等音楽院くらいにしか無いものだと思う。今回はそのレベルに準拠して考えを巡らせてみる。ちなみに私はジレット・ケレール女史のクラスで学んだ。女史は、ナディア・ブーランジェに作曲を師事、ローマ大賞の2等賞を獲得。またメシアンのクラスで高等分析を学んだ、直系のドビュッシー分析のスペシャリストという事で、その教えに沿って考察してみる。

その前に、ひとつの仮説(ほぼ確信)

Avant commencer l'analyse... une hypothése

ドビュッシーはパリ音楽院の和声法のクラスで並行和音を頻繁に使って先生のデュランのひんしゅくを買い、一方でクラスにいたレイモン・ボヌールは「ソプラノ課題かバス課題から巧妙な連結、鮮烈なハーモニーを作り出す」と高評価していたという。 初歩の和声法では、並行5度、並行8度の進行は禁則だ。
一方、ここで例えばピアノで低いドの音を弾いたとすると、必ず基音に対して2,3,4,5,6,7倍の周波数の倍音が同時に発生する。(ド、ソ、ド、ミ、ソ、シ♭、…)平均律では、[楽譜1]のようになる。(8次倍音以上は少しづつ平均律から離れた周波数になる。純正調では、全て合致する。)
そこで、先ほどのピアノで、低いドの次にレを弾くと、(バス課題がド→レ)音量の大きい低次倍音では、8度と5度の平行移動が一気に起きている事になる。倍音に対する聴覚はやや訓練が必要だが、最初から結構聞き取れる人もいる。というより人間は元々倍音だらけの自然の中で暮らしていたわけで、聴覚が「退化しなかった人」と「トレーニングによって復活した人」と言うべきかも知れない。フルートの場合、最低音のドからハーモニックスをどんどん積み重ねると[楽譜2]のように音が出るので簡単に分かると思う。ドビュッシーは、子供の頃から、この倍音列を(おそらく7次くらいまでは)同時にはっきりとした音程で聞いていたのではないか。それが彼の聴感にとって普通の事ならば、普段から単音メロディーは常に並行和音と共存しているので、和声法で自然に利用するのは当たり前、先生から文句をいわれる筋合いは無いし、その文句もあまり良く理解できないだろう。
フルートを始めて最初の頃、2オクターブ目の音は、1オクターブ目の音が混ざった不安定で何となくざらついた音が出る。それが、きれいな2オクターブ目が出せるようになり、そのうち、この音が基音に対する第1倍音であることを忘れてしまう。しかし、ドビュッシーにはそれが常に、まるで重音のように聞こえていたとしたら…ドビュッシーにとって純粋なフルートの音は、第1オクターブにこそ存在する事になる。
実は、ドビュッシーのフルート作品、フルートのソロ部分では、1オクターブ目(基音域)の割合が非常に多い。牧神はCisから始まってそのまま基音域を奏で、フレーズ最後で一瞬水面に浮上するかのように2オクターブ目に入るが、直ぐにまた基音域に落ち着く。シランクスは後述するが、ビリティスでも曲の冒頭基音域から浮上後またもどる。Fl. Va. Hp.のソナタでも2オクターブ目から直ぐに基音域に潜っていく。漠然と、CisとDの間に境界線を感じる。

次回はドビュッシー音楽の謎解きと、いよいよシランクス内部へ潜入する。

加藤 元章

桐朋学園を経てパリ国立高等音楽院入学、同音楽院を一等賞で卒業。ブダペスト、プラハの春国際コンクール入賞、アンコーナ、マリア・カナルス、ランパル国際コンクールで2位、マディラ国際フルートコンクール優勝。以来国際的に活躍。2001年、日本人フルーティストとして初めてウィーン楽友協会ブラームス・ザールでのリサイタルを行う。CDは”プレミアム・セレクション”と”アート・オブ・エクササイズ”シリーズ等16タイトルをリリース、「現代作品集T”夜は白と黒で”」は文化庁芸術作品賞を受賞。2005年のイサン・ユンのフルート協奏曲の韓国初演は、韓国KBS MediaからDVDがリリースされている。