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ドビュッシー没後100年特別企画〜シランクス〜


第5回 再びシランクス、そしてビリティスの歌
シランクス ふたたび !プシュケ第3幕1場
フランソワ・ジェラール/プシュケとアモール

シランクスの解説で、詩劇プシュケに関して「ギリシャ神話のプシュケとエロスの話を題材とし、第3幕でプルタルコス伝説のパンの死をつなげている」という解説が多いが、これは少し間違っている。「プルタルコス伝説」は、プルタルコスが書いた英雄伝説のことで、「パンが死んだらしいという伝言」が記載されているのはもう一つの著書「モラリア」第5巻の17「神託の堕落」。また、第3幕の最後で「音楽は死んでしまった」とあるが、これをパンの死を告げるモラリアの記述と重ねるのは無理がある。パンに関する原初の記述はオルペウス教の創世神話にあり、ここではエロースの別名を持つ。とすれば第3幕のパンは、エロスの別の姿という設定なのではないのか。
詩劇プシュケは、1913年12月1日(初演)、3日、4日の公演が組まれた。1895年に誕生した自動車メーカーMORSの創業者ルイ・モルスは、音楽界、美術界のパトロンとして有名で、パリ・マロニエ通りの自宅には自分の専用劇場を建て、「ル・マスク」協会という名の舞台公演を主催していた。プシュケは、「ル・マスク」第57回の演目として上演された。
シランクスを演奏する第3幕の舞台設定は、夜、月の光に照らされた森の中の広場と、周りには白く大きな岩壁、小川と泉、木々の奥にパンの洞窟、そこに白い衣装をまとったニンフ達が集まっているというもの。そこへ岩壁の陰からシランクスの音が聞こえて来て、山と岩のニンフ「オレアード」と泉や川のニンフ「ナイアード」が会話していく。

詩…訳してみた…
初演時の「プシュケ」の
パンフレット

シランクスを演奏する指示のある少し前から最後までの詩を訳してみた。
この詩の特に象徴的な詩句や言い回しは、注釈として説明する。色々と自由に想像していただきたい。

オレアード
彼女達がうらやましい!
そう、特にシランクス。
穴の開いた葦の端にパンが生命の息を注ぎ、
その翼を付けた音はパンによって解き放たれ、黄金のリズムは、
人々の心の中に、喜びの芽を芽生えさせるのではないかしら?
シランクスの魂は光を放ち垂直に飛び立って、
青い天空の境界を越え、魔法のように、天体や神々の元へ昇る。
ほら、パンが再びそのフルートを吹き始めた…
(Mais voici que Pan de sa flûte recommence A jouer...)
● この詩句の後から演奏(1〜8小節)

ナイアード
まるで奇跡! 「夜」があきらめたように、その帯を解き、
そして弄ぶように ヴェールを取り去る。
地上に全ての星々が落ちていく…
おお!なんという事!静寂で荘厳な地平一面に、 
落ちて来た星達がメロディーを奏で、花となって咲き誇る!
エウリディーチェの恋人が、より感動的で崇高な歌で、(注釈1)
その青銅の様に強靭なリール(竪琴)の弦を震わせたのは本当?(注釈2)
いいえ、違うでしょう?

オレアード
黙って、悦びを抑えて、聴いて。(Tais-toi, contiens ta joie, écoute.)
● この詩句の後に9小節目からを演奏

ナイアード
今まで知らなかった妄想が私を抱きしめ、私を貫くのが分かる!
あなたには分かる? … 言葉にしようとしたけれど出来ない。
その心地よさが。
この夜に拡散する情欲が私を狂わせる…。
踊りましょう、そう、私は踊りたい。あなたの姉妹たちのように。(注釈3)
踊りましょう…裸足で地面を打ち鳴らし、歩調を合わせて、(注釈4)
彼女たちのように、何の苦も無く、調和のとれたポーズで、
私は狂おしいほどに、私の肉体をリズミカルに揺らめく何かの力に
引き渡す!
かなたの空に向かって、軽やかに優雅にその美しい両腕を伸ばす娘(こ)は、
まるで静かな水面のほとりで、自分の姿を映す大きな鳥が、
光を待ちわびるのに似ている…
そして、ほら、葉の王冠を戴き、こんなにも悦に入って、(注釈5)
白い乳房に口づけした月の唇は、それを口に含み、壺を脇に抱える…
それからすぐそばで、見せかけでなく扇情的に、赤いヒヤシンス(注釈6)
のベッドでころげまわる娘(こ)、
そして、別の娘は伸び繁った髪でその身を包み隠し、
その目は、きらめくことも無く、太陽の二つの黒点のよう…
パンは彼女たちの肉体に神々しい熱を流し込み、パンの愛は燃え上がる。
そして私の血脈にも同じ激情が浸み込む。
おおパンよ、あなたのシランクスの音はまるでワインのよう。
でも強すぎる芳香を放ち、甘美すぎて、そして私を酔わせてしまった。
おおパン、私はもうあなたが怖くない。私はあなたのもの!
●ここまでの間に演奏は終わっていると考えるのが妥当
にもかかわらず魅惑的な音楽は死んでしまった。
ニンフたちは皆、パンのそばを巡っているが、パンは見えない
ニンフたちは彼の正面へ行き、パンを取り巻き、パンはそれに付き添う。

ナイアード  より錯乱して
見捨てないで…彼は来る。
彼が私のそばを通り過ぎる時、おお神々よ、
私は喜びのうちに死んでしまうでしょう・・・
                          (加藤元章訳)

(注釈1)エウリディーチェは木のニンフ、その恋人はオルフェウスのこと。

(注釈2)オルフェウスは、竪琴の名手で、その演奏は森の動物や木々や岩までをその演奏の回りに集めてしまう。リールは、中庸と平静の象徴、対してシランクスは恍惚と昂揚の象徴。

(注釈3)ここでは、他のニンフたちのこと。

(注釈4)「地面」はsol で、ソの音のことでもあり「楽音」を暗示。

(注釈5)葉の王冠は、つまり月桂冠のこと。これは、遠矢の神でもあるアポローンとエロスにまつわる話。アポローンがエロスの持つ小さい弓矢をバカにした仕返しに、エロスは黄金の矢(愛情の矢)でアポローンを射ち、鉛の矢(嫌う矢)でダプネーを射つ。アポローンはダプネーを追い詰め、触れた瞬間、彼女は月桂樹に姿を変え、葉をアポローンの頭の上に落とした…。パンとシランクスの関係に似ている。

(注釈6)ヒュアキントスという美少年の気を引こうと、アポローンとゼピュロス(風の神)が競うが、ヒュアキントスはアポローンと愛し合う様になり、嫉妬したゼピュロスは、二人が円盤投げを楽しんでいる時、アポローンの投げた円盤に風を吹きつけて方向を狂わせ、それがヒュアキントスの頭部に当たり死んでしまう。流れ出した真っ赤な血の中から赤い花が咲き、この花はヒュアキントス(ヒヤシンス)と呼ばれた。という男性同性愛と、嫉妬による殺人と、赤い血というものを象徴的に表現している。

光と影の作曲家 ドビュッシー誕生…世紀末
親友ピエール・ルイス
ピエール・ルイス
(1870-1925)

パリの世紀末の詩壇に鮮烈に登場した詩人ピエール・ルイス、一時はその名が世界中に知られ、日本でもかなり早い時期に紹介されたが、今は忘れられた存在になっている。ピエール・ルイス(1870〜1925)は、普仏戦争で家族がベルギーに疎開していた時に生まれた。本名はピエール=フェリックス・ルイ。大学(パリ大学)時代には、詩人ポール・ヴァレリーと親交を結び、その関係からマラルメの主催するサロンに顔を出すようになりドビュッシーと出会う。ルイスは、最初ギリシャ学者として出発し、22歳で「メレアグロスの詩」という訳詩集で文壇に登場、翌年ビリティスの歌を発表。1896年「アフロディーテ」の出版で一躍流行作家となるが、1900年代に入ると、文学界とは訣別し、貧窮の中でかなり自堕落な生活を送る。酒におぼれ、病気を抱え、さらにニコチン中毒、薬物にも手を出し…、そしてパリ郊外で書物に埋もれて隠遁生活を送る。ルイスとドビュッシーは一時期、同居生活を考えた程親しくなり、その親交は1893年頃から10年ほど続く。当然共同作業の話はいくつも持ち上がるが、ルイスが書く小説や詩は、ほとんどが性愛をテーマにしたもので、ドビュッシーはルイスの性愛感とは全く相容れず、ビリティスの歌に関係する3つの作品以外は実現しなかった…。

親友ピエール・ルイス

詩集「ビリティスの歌」が書き上げられたのは、1894年8月。同年初版が出版、さらに加筆、増補した版が1898年に出版された。この詩集は、「サッフォーと同時代(紀元前6世紀の古代ギリシャ)の女流詩人の詩集を、ギリシャ語から初めて仏語訳した」とし、「ビリティスという女流詩人の墓と、3つの墓碑銘が最近ドイツの学者G.ハイム教授によって発見され、そこには、ビリティスの少女時代から死ぬまでに書き残した詩が彫られていた」……というのはピエール・ルイスによる完全なでっちあげで、巻頭に解説として「ビリティスの生涯」、本文中に題名だけで「翻訳無し(不可)」という詩を幾つかはさみ、巻末には「参考文献」を付ける等、きわめて手の込んだフェイク詩集だった。彼の学者としての知識による綿密な準備と、メレアグロスの詩に続くビリティスの歌という、「詩訳」作の相次ぐ発表という流れで、文学界も評論家も世間もビリティスの歌が本物だとすっかり騙された。

内容は、第1部「パンフィリア(古代のトルコの小アジア南部の地名)の田園生活」(ビリティスの少女時代)、第2部「ミチレーネ(レスボス島の古代名)のエレジー」(レスボス島に渡ってからの同性愛時代)、第3部「キプロス島にある碑銘」(キプロス島での遊女時代)、最後に「ビリティスの墓」(3つの墓碑銘)となっている。

親友ピエール・ルイス

ドビュッシーがビリティスの歌を題材にすることを考え始めたのは1897年頃。ビリティスの歌から3つの詩編、「パンの笛(La flûte de Pan)」、「髪」、「ナイアードの墓」を選び歌曲を書く。
この歌曲、「ビリティスの歌」は、なかなか初演が決まらなかった。依頼した歌手からは「この作品のモラルは、わたしの才能とは相反するものだ」と断られたともいわれる。確かに第2部に同性愛が色濃く描かれ、第3部にかけてはかなりエロティックな内容だが、歌曲に使われた第1部の詩はあくまで田園的な物だ…。曲は1900年3月17日に国民音楽協会のコンサートで初演される。歌手は、ブランシュ・マロ、ピアノはドビュッシー本人、会場はサル・プレイエルだった(1839年に建てられた、550席の旧サル・プレイエル)。

詩集 ビリティスの歌
パリ市庁舎のSalle des fêtesで演奏する筆者

1900年の秋、ビリティスの歌をもう一度違う形で音楽化することになった。
ヴァリエテ劇場(Théâtre des Variétés 1807年から続く劇場)から朗読とパントマイムによる上演の話がきて、ルイスはドビュッシーに音楽を依頼する。この企画は実現しなかったが、翌1901年に今度はSalle des fêtes du Journalでの上演が実現する。12編の詩の朗読とパントマイム、フルート2本、ハープ2台、チェレスタによる音楽となった。Salle des fêtesというのは一般的にはレセプションホールや宴会場、講堂といった物を指す言葉で、Le Journalという新聞社 のSalle des fêtesのこと。フランス国立図書館のデジタルライブラリーで、当時の新聞を閲覧したが、招待客による非公開での上演だったようだ。やや豪華だがSalle des fêtesの雰囲気を感じてもらえそうな写真があるので見ていただきたい。場所はパリ市庁舎のSalle des fêtes。1983年ランパル・コンクールの受賞者演奏会。

楽譜に関しては、ドビュッシーには時間的余裕が無く、スケッチからパート譜を直接書き上げたようで、各パート譜しか現存していないのだが、チェレスタのパート譜は紛失している。現在入手できるジョベール版では、チェレスタ・パートはアルテュール・オエレにより復元された版となっている。

テクストに使った詩編は次の12題
Chant pastoral 牧歌
Les Comparaisons 比べ合い
Les Contes 物語
Chanson
La Partie d’osselets オスレ(骨牌)遊び
Bilitis(以上第1部) ビリティス
Le Tombeau sans nom(第2部) 名も無き墓
Les Courtisanes égyptiennes エジプトの娼婦たち
L’Eau pure du bassin 水盤の清らかな水
La Danseuse aux crotales クロタルを持つ踊り子
Le Souvenir de Mnasidica ムナシディカの思い出
Le Pluie au matin(以上第3部) 朝の雨

マラルメの牧神もムーレイのプシュケも題材としたのはギリシャ神話の世界で、一方ルイスのビリティスは、古代ギリシャの、一人の人間の女性を描いた詩。ビリティスの歌は、例えば動作、しぐさ、或いは手足、肩や首、顔、まぶた、耳、胸、乳房、腰、皮膚、特に髪といった肉体の各部位の、微細で透明感のある描写が特徴的な詩で、その写実的なイメージに引き込まれる。このあたりもフェイク詩集としての周到な作りなのだろう。ドビュッシーが選んだ詩は第2部、第3部の物も際立ってエロティックな詩ではない。そこに付けられた音楽は、美しい響きと、当然のように現れるギリシャ音階を中心とした旋法によって奏でられる。フルートとハープという組み合わせは、ドビュッシーにとってパンのシランクス(恍惚と昂揚)とオルフェウスやアポロンの竪琴(平静で中庸なもの)という組み合わせだったのかもしれない。そしてこの曲の響きに大きな効果を生むのがチェレスタによる透明な音色だ。この音色が詩と音楽が結びつくフォーカス・ポイントを創り出す。そして詩によって音楽が止まる時間と、音楽によって詩が止まる時間と、このふたつの時間が絡み合うゆったりとした“時間の流れ”がこの曲の何よりの魅力。

「ビリティスの歌」演奏者たちと共に

私が初めてこの曲を演奏したのは、1981年か1982年、パリ国際大学都市(Cité International Universitaire de Paris)の日本館(La Maison du Japon)でのコンサートで、演奏会場は、ガラスで覆われた壁一面の、大きな藤田嗣治の絵が飾られた大サロン。演奏は私の他にフルート長山慶子、チェレスタ・野平一郎、ハープ・石丸佳代、平島さより、朗読・大塚朝代(ソプラノ)の各氏。「日本館」とはいえ、パリで、朗読まで日本人キャストでの上演は、それなりに注目されたらしい。この曲は1914年に、ピアノ4手連弾用の「6つの古代碑銘」として改作される。

次回は、ドビュッシー没後100年特別企画の最終回として、ドビュッシー最晩年、最後の命の炎を燃やし尽くして作曲した名作、「フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ」について語りたい。


<楽譜の紹介>
ドビュッシー/ビリティスの歌

≪2Fl.2Hp.Cel.Vo版≫
楽譜ID : 7951

≪Fl.Pf版≫
楽譜ID : 13037

≪2Fl.Hp版≫
楽譜ID : 31914



加藤 元章

桐朋学園を経てパリ国立高等音楽院入学、同音楽院を一等賞で卒業。ブダペスト、プラハの春国際コンクール入賞、アンコーナ、マリア・カナルス、ランパル国際コンクールで2位、マディラ国際フルートコンクール優勝。以来国際的に活躍。2001年、日本人フルーティストとして初めてウィーン楽友協会ブラームス・ザールでのリサイタルを行う。CDは”プレミアム・セレクション”と”アート・オブ・エクササイズ”シリーズ等16タイトルをリリース、「現代作品集T”夜は白と黒で”」は文化庁芸術作品賞を受賞。2005年のイサン・ユンのフルート協奏曲の韓国初演は、韓国KBS MediaからDVDがリリースされている。

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