フルート奏者の加藤元章さんに執筆していただきました。

※この記事は2018年に執筆していただいたものです。

第4回

楽譜の謎解きと演奏のための勇気

La Flûte de Pan vs. Syrinx

La Flûte de Pan contre Syrinx

ルイ・フルーリー(1878-1926)

シランクスの楽譜は、現在17種類ほどが入手可能なようだが、その中で信頼できるものとして、URTEXTを謳っている、ユニバーサル版、ベーレンライター版、ヘンレ版が挙げられる。絶対的な物と思いがちなURTEXT(原典版)だが、新事実が発見されればその都度内容は変わるし、どのように考証するかでも内容が違ってくる。シランクスでも、この3つの版で違いがあり、それは演奏家にとって中々悩ましい事態を引き起こす。
シランクスの楽譜に関する概要は、初演者のルイ・フルーリー(1878-1926)が自筆譜(autograph)を所持し、初演後、独占演奏の権利を得て演奏を重ね、1926年にその生涯を閉じると1927年ジョベール社から出版、自筆譜は紛失、ジョベール社の印刷用原譜も紛失、という所だ。一方、1993年、マニュスクリプト(手書きの写譜、現在入手不可)がブリュッセルの Paul Hollanders de Ouderaen 夫人のコレクションの中から見つかった。これに基づいたのがユニバーサル版(1996)。ベーレンライター版(2011)は、あえて初版のジョベール版に基づいている。ヘンレ版もほぼ同様。
曲の原題は La Flûte de Pan 「パンの笛」だったが、ジョベールは、これをSyrinxと変えて出版。ジョベールがすでに「3つのビリティスの歌」(歌曲)を出版し、この1曲目の題名が La Flûte de Panなので、混同される可能性を避けたためと考えられる。

URTEXT vs. URTEXT

URTEXT contre URTEXT

今回はユニバーサル版とベーレンライター版URTEXTの相違点を、アナリーズ結果を交えて比較してみよう。
一番の相違点は、最後3小節の部分のダイナミクス、アクセント等。その他、スラーとブレス記号(コンマ)の位置が違う。
ところで両者ともマニュスクリプトと違うのが6小節目第1拍。マニュスクリプトでは付点8分休符と32分音符(演奏上不可)になっているが、両エディション共、付点8分休符と16分音符になっている。マニュスクリプトの32分音符の旗が克明に書かれているので、個人的には複付点8分休符が正しいと思うが… [譜例1] 。

譜例1

17小節は、ベーレンライターでは16小節のクレッシェンドからそのままデクレッシェンドとなり、ユニバーサルではp からデクレッシェンド。つまりベーレンライターでは、2小節一体のフレーズの抑揚となり、ユニバーサルでは17小節のモチーフは、15小節での3連符のモチーフの変形ということになる。ベーレンライターの方が演奏家的な感覚として納得のいくものなのだが、ユニバーサル /マニュスクリプトの方が、ドビュッシーの特徴という点で、より論理的だ。どちらもあり得るが、表現するものは違ってくる。
問題の最後3小節に関していえば、まずp marquéはドビュッシーの作品のダイナミクス指示として普通のことだ。ベーレンライターの34小節のような、タイの途中の音に、アクセントとmarquéが一緒に付いた例を、ドビュッシー作品で見たことはない。ドビュッシーでは、marquéを音符に付けた例は、テヌートの付いた音符に性格付けする場合に見られる。アクセントとmarquéの共存は、より強く短い一発(当然フォルテ)に付く場合が稀にある。現実的に楽譜を書く上で、この場所ではデクレッシェンドは、五線の下に、アクセントは五線の上に書くわけで、仮に大きなアクセントが書かれていたとしても、それを五線の上側に書いたデクレッシェンドと勘違いすることは無いはず。この点ではマニュスクリプト/ユニバーサルの信憑性は高い。個人的にはp marquéがユニバーサル通りで、デクレッシェンドはアクセントというのであれば、可能性は有るとは思う。ただし、それはもう少し大規模で、より思い入れの強い作品で、特殊効果として使う場合 [譜例2] 。

譜例2

ユニバーサルでは、31、32小節のデクレッシェンドの開始位置がマニュスクリプトとずれている。これは15小節のモチーフの変形再現なので、マニュスクリプトどおり [譜例3] になるはず。私は持っていないが、ユニバーサルの、この版が出たばかりの頃は、4小節目の装飾音がF♯になっていたようだが、手元にある版では、F♮になっている。両方とも単純なミスだろう。

譜例3

演奏のための勇気

Courage pour interprétation

私にとってシランクスは、リサイタルやコンチェルトのアンコールで吹く場合がほとんどで、シランクスをプログラムに乗せたリサイタルは2001年のウィーン楽友協会ブラームスザールでのリサイタルが唯一と記憶している。この時は楽友協会からシランクスの演奏依頼があった。
パリ国立高等音楽院で我々が学んだアナリーズは、あくまで演奏するための分析だ(analyse instrumentistes)。演奏に際して、自分なりに決断しなければならない局面に出くわすことは時々ある。そんな時に威力を発揮する。ここからは、演奏方法の考え方を語りたい。ほんのヒントと考えてほしい。それが、少しでも演奏するための勇気になってくれればと思う。

さて、どうする?

Alors, que faire ?

曲の初めのダイナミクスは、マニュスクリプトには何も書いていない。ベーレンライターではmf、ユニバーサルでは [mf] 。テーマの提示で、敢えて1次倍音域(仮想オクターヴユニゾン)から始まり主音Bを強調もしていることから、ここはmfで良いだろう。テーマは、全音音階を太く描いて主音Bに戻ることで、Bの響きの持続感が有り、各付点8分音符は、生命力を維持し、そこに32分音符の動きを絡める。4、5小節でポイントになるのは、ドビュッシー作品の大きな特徴、「心を震わせる連続クレッシェンド」。これが上手くいかなければドビュッシーにならない。5小節3拍も意味がやや変わっているが同じ。そして6小節目では「視界が広がるクレッシェンド」に変わる。
9小節からのUn peu mouvementé(mais très peu)は、テーマがたっぷりとしたテンポだったのに対し、やや緊迫した、心がざわつくテンポにする。3拍子のスイング感が必要。
10小節3拍から11小節2拍のモチーフは、わずかにテンポを落として自由に。このモチーフは、次で倍の32分音符の動きになるが、この割合はやや曖昧に(非合理的なリズム関係を演出する)、2回目の方が速いという程度に。
13、14小節の三全音での下行は、mfよりはやや強い所から一気に落とし、14小節2拍目のEsで一度動きを止める。32分音符の音の動きを全て響かせ気味にして残響を創り、三全音の響きにぶつけて、なるべく複雑な不協和の響きを創るように心がける。
19小節3拍目からのメロディーは、歌曲のようにたっぷり歌う。この時Esの途中で転調することを暗示する表情変化が必要。20小節1拍目の3連符の下行音階は、Ges-durの調性をはっきり出すために、ややゆっくり目の動き出しで演奏。
22小節の小さな音階の山々の加速具合は、可能な限り滑らかな変化で。また、音階の残響がこすれ合う中から浮かび上がる、E♭♭、F♭の音色を意識する。
23、24小節のトレモロは、1回目より2回目の和音の緊張感が強いので、自然に2回目のほうが強くなって良い。細かく見ると、1回目Es-Desの全音程かつ、それぞれの音からのBに対する解決に対して、2回目のFはBの強い倍音成分であり(トニック→ドミナント関係)、GesはBに解決しようとする音かつFに先行するアポジャトゥーラなので、均等な動きのトレモロというより、GesをFに対しての(アポジャトゥーラ的)前打音のように長めに強調すると良い。
24小節3拍目の装飾音は2回目のトレモロを逆行させたF、GesにAsを加えて主音Bにつなぐものなので、「第3のトレモロ」という意識で。
25小節3拍目からのテーマの再現では、装飾音Fes(シランクスの最高音)によってAE が付いたE♭♭(実音D)が出て来るが、この音はテーマで除外されていたB主音の全音音階の、「残された音」(意図的に ?)なので、存在感を出し、感情の高まりを表現する。
29、30小節では、2つ全ての全音音階が現れるがB主音全音音階の印象がずっと維持されて来たので、H主音の全音音階の音(ここではH、A、G)を極わずかに意識する程度に強調し、H主音の全音音階への移行を暗示する。

譜例4

31小節1拍目と2拍目は、ユニバーサル/マニュスクリプトではタイでつながり、ベーレンライターでは切れている。ドビュッシーはスケッチ段階ではスラーを書かない。タイは書かないと音価が違ってしまうので欠落は無いと考えれば、それを写譜したであろうマニュスクリプトに従うべきだろう。これにより、2つ並存していた全音音階からH主音の全音音階への完全移行、つまり転調(移旋)した性格が強まり、31小節から最後までバスがオルゲルプンクト的に存在することになるので、このDesの音とそれ以外の上声部という意識をもって演奏する。このDesの持続は、H主音全音音階の終止音を暗示する。31小節2拍目の装飾音と3連符の3つ目の音はB主音全音音階の、ため息のような最後の残像、2つの3連符のF、G、Aは主音Hへ登っていく階段 [譜例4] 。そしてp marquéに至り、暗示された終止音Desまで非合理的リズムを伴って下降する。
曲はB主音の全音音階で始まり、もう一つの、H主音の全音音階で終わる。つまり全音音階としての完結を果たす。

ブレスの位置について

A propos du moment de la respiration

ドビュッシーの作品で使われるコンマは、フレーズの区切りを示したり、伸びっぱなしの残響を切る指示の場合が多い。もちろんブレスをすることも出来る。シランクスの場合は、単純にブレスマークと考えて良いが、マニュスクリプトおよびベーレンライターでは3箇所、ユニバーサルでは、これ以外にカッコ付きでたくさん書いてある。
4小節目のブレスは無くても良い。もし、これが、ドビュッシー自身が書いたものだとすると、オクターヴ下に移ったテーマの主音Bが半音程上がることで、「次に変化するだろう」という期待感を、さらに強調するためのブレス(区切り)、その先は「心を震わせる連続クレッシェンド」を使って半音階(中心音)で上昇するが、一旦もとの位置に戻り……という解釈が成り立つ。これを主張してブレスをする場合は、以後の半音上行のモチーフがあまり速くならないように注意。11小節目のブレス(ユニバーサル)は不要。12小節目は必要(ユニバーサル)。16小節目と17小節目の間のブレスはNG。17小節と18小節の間でブレスは極めて自然。出来れば23小節1拍目の後まで一息。18小節と19小節の間では次をsubito pにするための一つのテクニックとして、分からないほど極めて浅く速いブレスはあり得る。23小節1拍目の後まで一息で吹けない場合は、20小節3拍目の16分音符の3 連符1つ目と2つ目の間でブレス(この場合は18小節と19小節の間のブレスは無し)。26小節と27小節の間でブレスは無し !! 28小節の終わりまで一息。29小節と30小節の間でブレスはNG。29小節から33小節1拍目まで一息。続かない場合は、「私はベーレンライター版を使っています」といって31小節1拍目と2拍目の間でブレスするという手もある。

以上で、シランクスのアナリーズと演奏方法の解説を終了する。
次回は、ビリティスの歌について語りたい。

ドビュッシー/シランクス

加藤 元章

桐朋学園を経てパリ国立高等音楽院入学、同音楽院を一等賞で卒業。ブダペスト、プラハの春国際コンクール入賞、アンコーナ、マリア・カナルス、ランパル国際コンクールで2位、マディラ国際フルートコンクール優勝。以来国際的に活躍。2001年、日本人フルーティストとして初めてウィーン楽友協会ブラームス・ザールでのリサイタルを行う。CDは”プレミアム・セレクション”と”アート・オブ・エクササイズ”シリーズ等16タイトルをリリース、「現代作品集T”夜は白と黒で”」は文化庁芸術作品賞を受賞。2005年のイサン・ユンのフルート協奏曲の韓国初演は、韓国KBS MediaからDVDがリリースされている。