<解説> カール・フィリップ・エマヌエル・バッハは、父のヨハン・セバスティアン・バッハがワイマール宮廷オルガニストを務めていた時期に誕生しました。その後、父と共に、ライプツィヒへ移ってから、フランクフルト大学在学を経て、プロイセン王子フリードリヒの宮廷楽団員となります。王子がフリードリヒII世となってからベルリンに移り、ハンブルク市の音楽監督30年間を過ごすことになりました。
ソナタ ホ長調は、ベルリン時代の中頃にあたる1749年の作曲。この曲には、2本のフルートと通奏低音の版と、フルートとチェンバロの版の2種類が存在します。デュオで演奏する場合はチェンバロの右手がトリオの片方を奏する訳です。第1楽章アレグレットでは付点が特徴的で心躍る楽想が息の長いフレーズで紡がれます。第2楽章アダージョ・ディ・モルトは非常に内省的な音楽。ためらいと吐息、さすらいなどの感情を表す多感様式が、旋律の意外な展開、和声の不協和音、半音階進行などによって表現されています。第3楽章アレグロ・アッサイは、ソロ的な要素と協調をよく調和させた完成度の高い楽章となっています。(解説/三上明子)
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エマヌエル・バッハはJ.S.バッハの次男として生まれ、バロック様式の最高を極めた父のもとで作曲の修行をしました。しかし、エマヌエルは早くから父の音楽とは一線を画して、心に触れて諸々の感情を揺り動かす、後に「多感様式」と呼ばれるスタイルの音楽を目指しました。彼は、フリードリヒ大王の皇太子時代から宮廷の第1チェンバロ奏者として仕えていましたが、大王は保守的な音楽を好み、エマヌエルの革新的な音楽は受け入れられませんでした。そのような中で、エマヌエルは実に魅力的なソナタを残してくれています。フルートとチェンバロのための「ソナタ ニ長調 H. 505(Wq. 83)」もエマヌエルらしい個性が随所に感じられる作品です。このソナタには、チェンバロの右手をヴァイオリンが受け持つ、フルート、ヴァイオリン、通奏低音の編成の稿H. 575(Wq. 151)もあります。第1楽章 Allegro un poco 上二声部が雄弁に語り合う楽章。話が発展するかと思えばすっと話題が変わるなど、意外性を持たせながらきびきびとしたリズムで運ばれます。第2楽章 Largo ニ短調に転じ、内省的なさすらいと慰めの音楽がつづられます。第3楽章 Allegro フィナーレにふさわしい舞曲仕立ての楽章。名人の演奏に精通した彼ならではの展開となっています。(解説/三上明子)