ムラマツ・フルート・レッスンセンター講師の白尾隆先生に執筆していただきました。

※この記事は2014年に執筆していただいたものです。

第2回

ベルリン時代 I (室内楽曲)

エマヌエル・バッハにとって、フルート(フラウト・トラヴェルソ)は早くから馴染み深い楽器であったと思われます。子供の頃から父セバスティアンのフルート作品をよく知っていたことでしょうし、父の作品を演奏するP.G.ビュッファルダンのような名フルーティスト達の演奏も聴いたことでしょう。また惜しくも24歳の若さで亡くなってしまった一つ違いの弟、J.ゴットフリート・ベルンハルト・バッハはフルートを吹き、その腕前は父のコレギウム・ムジクムでソリストを務めるほどだったそうです。そしてエマヌエルはフリードリヒ2世の宮廷楽団員を勤めたベルリン時代(1738〜67)、雇い主である大王の演奏を想定して、フルートを含む室内楽を30曲以上作曲しました。

おそらく最も知名度の高い代表作である無伴奏フルートのためのソナタ イ短調(Wq.132/H562) は、1747年に作曲されました。この年はセバスティアン・バッハがポツダムにフリードリヒ大王を訪問した、有名な年に当たります。後期バロック時代は、各国の大作曲家達がフルートのためにも沢山の作品を残した“フルート作品の黄金期”ですが、ドイツでは3人の大作曲家がフルート一本のために、一人で演奏出来る(一人で演奏しなくてはならない!)奥行きの深い第一級の芸術品を創り出してくれました。1曲はセバスティアン・バッハの「パルティータ」であり、もうひとつはエマヌエルの名付け親でもあるG.Ph.テレマンの「12のファンタジー」、そしてこのエマヌエルの「無伴奏ソナタ」です。これら3つの作品はどれもが最高度の個性を持ち、その深い内容表現を要求される難曲ですが、バッハ親子の2曲は、言うならば“内面的”であり、心の中の色々な感情の機微を一本のフルートの響きの中に託す、という感があります。他方、テレマンの12のファンタジーには内面的な曲もありますが、その特徴には意外な“外面性”があります。バッハ親子はフルートの響きの中に世界を作りますが、テレマンは、時にフルートから飛び出し、フルートで他の楽器やオーケストラ、合唱などの真似をしてしまいます。極端な例は第7番ですが、ここでテレマンは壮大なフランス風序曲をフルートに託します。調性はD-durであり、オーケストレーションするならば当時最も大きな編成、トランペット3本、ティンパニー、オーボエ3本、ファゴット、弦5部というような雰囲気の曲を、一本のフルートに任すのです。まさに“冗談音楽”の世界です。また、この曲を含め何曲ものフーガが出現しますが、本来単音しか鳴らない楽器にわざわざフーガを託す閃き、その他随所に溢れ出る様々なアイディアとユーモアは素晴らしく、可笑しく、まさにテレマンの独壇場です。

エマヌエルの無伴奏ソナタ(Wq.132/H562)は、その作曲に際して当然父親の無伴奏パルティータを意識したことでしょうが、やはり驚かされるのはその個性です。同じa-mollの中で偉大な父とは全く違う別の世界を作り出せる能力は、大作曲家の証明でもあります。表記法も音楽記号を何も書かない父とは異なり、沢山の強弱記号とアーティキュレーションが書き込まれています。(第1楽章Poco Adagioにはppffまで!興味深いことに第2楽章Allegroは父のスタイルさながらに強弱記号はありません。)また殊更Poco Adagio楽章は多くの長い前打音が特徴的ですが、これは強弱の変化と共にエマヌエルのスタイルである“多感的な表現”に必要不可欠なものです。1753年にエマヌエルが出版した「正しいクラヴィーア奏法」には、前打音について大事な提案がされています。それは、“前打音の長さを間違える者もいるので、長い前打音は装飾音としての小さな音符で表記せず、作曲者の希望通りの音価を普通の大きな音符にして表そう”、というものです。これは当時、専門家は知っている事が当たり前であった慣習的表記法が、おそらくアマチュアの市民愛好家が増えたというようなこともあり、いい加減にされるのを恐れたのです。試してみるとすぐ分かることですが、例えば第1楽章Poco Adagioの62、63小節を伝統的に表記すると譜例(1)のようになりますが、これをうっかり演奏者の無知から(2)のように演奏してしまうと、エマヌエルの音楽の本質的な“多感”な繊細さが失われてしまいます。これは、現代では久しく当たり前になっている表記法についての、大作曲家からの初提案でもあったのです。
フルートを含むトリオ・ソナタのジャンルの中で、唯一の編成である2本のフルートと通奏低音のためのホ長調のトリオ・ソナタ(Wq.162/H580)は(他の曲は全てフルート、ヴァイオリンと通奏低音)、今日最も演奏される機会の多い作品ですが、同じ編成のために書かれたセバスティアンのト長調のトリオ・ソナタBWV1039と並ぶ、最高峰の一曲です。父子のスタイルの違いは明らかです。簡潔に言えばセバスティアンの古いスタイルでは、3つの声部が対等に独立しており、ことさら速い楽章においてバス声部も雄弁に動き回りますが、エマヌエルの新しい時代のスタイルでは上の二声が協奏的に華やかに躍動する下で、バス声部の動きは簡素化され、上二声を支えるべく背景に退いています。

フルートとオブリガート・チェンバロのためのソナタは5曲残されていますが、1766年、ベルリンを去る2年前に作曲されたハ長調(Wq.87/H515)を除く他の4曲(Wq.83〜86/H505、506、508、509)には、全てトリオ・ソナタの異稿があり、上記ホ長調のトリオ・ソナタも含まれています。これはトリオ・ソナタの上声部の一つをチェンバロの右手が受け持つというもので、おそらく父セバスティアンが初めて発想し、ロ短調BWV1030、イ長調BWV1032のフルート・ソナタ等で行った形態であり、やがてモーツァルトやベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタのような二重ソナタの伝統に引き継がれていきます。

エマヌエルは、ベルリン時代以前に作曲した6曲のトリオ・ソナタを1747年に改訂していますが、この中には永年セバスティアンの作として誤り伝わった名作、有名なBWV1036のニ短調も含まれています。 フルートと通奏低音のためのソナタは10曲(Wq.123〜129、130〜131、134/H550〜556、560〜561、548)(ベルリン時代以前の数曲を含む)残しており、また1748年に作曲された魅力的なフルートとヴァイオリンのためのデュエット ト長調(Wq.140/H598)は1770年に出版されました。

白尾 隆


東京生まれ。桐朋学園大学卒業。林りり子、森 正の両氏に師事。ドイツ・フライブルク国立音楽大学に入学。オーレル・ニコレ氏に師事。1978年「特別優秀賞」を得て卒業。その後チューリッヒにおいてアンドレ・ジョネ氏に師事。
1980年〜1986年までオーストリアのインスブルック交響楽団の首席フルート奏者を務める。又ソロ、室内楽の分野においても活動、オーストリア国営放送に多くの録音を残す。
1986年帰国。1987年より「サイトウ・キネン・オーケストラ」国内外の公演に参加。現在、桐朋学園芸術短期大学特別招聘教授、武蔵野音楽大学・広島エリザベト音楽大学講師、ムラマツ・フルート・レッスンセンター・マスタークラス講師。
また、ソリストとして幅広い演奏活動を行なっている。