エッセイ

フルートで料理

4.想像から創造

  • 冷蔵庫の扉を開けて、中身を調べる。以前、主役として活躍した材料が、あの華々しい頃がまるで嘘のように、奥の方でひっそりと眠っている。思い掛けない物に出くわして、逆にこちらがびっくりすることも多いが、楽しい一時である。

    過去に華々しく大活躍をしたこれらの主役達を集めて、その功績を称えつつ、改めて最後の一花をもう一度咲かせてあげようと、取り出した物をテーブルの上に並べて眺めながら、暫く策を練る。他人にとっては短いかも知れないが、自分では結構長く感じる。

    まな板の上では、過去の主役が脇役に、脇役が主役になったりして刻まれていく。刻まれながら、その役目を決められていく物もある。料理として盛りつけられた姿は、この段階で既にもう決められているし、当然、大雑把な味つけの方向も決定している。

    流石に何れ劣らぬ過去の主役達だ。一つ鍋の中で大人しくしている訳がない。夫々が主義主張を誇示したがるのを宥め賺しつつ、新しい一つの味にしていくためには、逆に、自分の頭の中で決定していた方向を大きく変更しなければならなくなることもある。
  • 挿画
どの段階で変更を決心するかは難しいが、結局、素人料理は、自分の想像した物に向いながら、この戦いに一つ一つ勝ち抜いていくところに、その妙趣があるような気がする。そして、想像から創造に移行出来るかどうかが、この妙趣にかかっているのだろう。


ところで、楽譜を読んでいくときに、音の高さと、その音の持つ時間経過の計算だけしか考えていない人が多いような気がする。楽曲分析とかアナリーゼなどというと、何だか難しくなってしまうが、せめて、動機や旋律、和声の変化などには敏感でありたい。

世の中にまだテレビという物が無かった頃、ラジオ放送に “朗読の時間” というのがあった。朗読を聞きながら、それを映像として捉えていた記憶があるから、今で言えば、テレビでドラマを見ているという感覚だろうが、想像力の育成には随分と役立った。

旋律だと思っていたら対旋律だったり、意気揚々と一つの音を伸ばしていたらバス声部が格好いいことをやっていたり、というようなことによく出くわす。楽曲全体を見通しながら細部を検討していくことは大切だが、更に、主張する意思の決定も重要だと思う。

楽譜をきちんと読んでいく習慣を身につけると、どうしても必要になってくるのが、その時代その時代のスタイルの問題かも知れない。これも難しく考えないで、とにかく耳で体験することから始めたい。理屈ではなくて、身体がそれを覚えていけば良い。

音楽には正解が一つということは無いのだから、思い切って答えを出してみよう。今日と明日で答が違ってもいいから、大いに悩めば良い。そこに音楽の妙趣があるような気がする。想像から創造に移行出来るかどうかが、この妙趣にかかっている。

文:齊藤賀雄(元読売日本交響楽団フルート奏者 東京音楽大学教授)

画:おおのまもる(元読売日本交響楽団オーボエ奏者)