ムラマツ・フルート・レッスンセンター講師の森岡広志先生に執筆していただきました。

※この記事は2012年に執筆していただいたものです。

第5回

フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ

ドビュッシーのフルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタをお聞きになってみなさんはどう感じられるでしょうか?「繊細で美しい」、「たおやかでエレガント」、「三つの楽器の音色のコントラストと融合が素晴らしい」など様々な感想をお持ちになると思います。ドビュッシー自身はこの曲について次のように述べています。「おそろしく悲しい」と。なぜドビュッシーはそのように言ったのでしょうか?

この曲が作曲された1915年、ドビュッシーは二つの大きな不安と悲しみの中にいました。ひとつは病気です。1905年ごろから彼は身体の不調を感じていました。ひどい痛みのために「麻薬を用いることもないではなかったようだ。」(「ドビュッシー」 平島正郎著/音楽之友社)とあります。そして1915年に病状はますます悪化しついに直腸ガンの診断が下ります。「私は地よりも低く打ちのめされた気持ちでした。」と診断が下された時のことをフォーレに宛てた手紙に書いています。手術が行われ一時的に良くなりますが、その後、「彼は、久しぶりに会った友人が驚かずにはいられないほど、目に見えて痩せて行った。」(「ドビュッシー」 平島正郎著/音楽之友社) ドビュッシーはその肉体の衰えの中で6曲のソナタを作曲する計画を進め、3曲完成した1918年、ついに息絶えたのです。第一番はチェロとピアノのためのソナタ、第二番がフルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ、そして第三番がヴァイオリンとピアノのためのソナタでした。3曲とも何とも独創的な、個性的な傑作です。ドビュッシーはどんな気持ちでこのソナタを作曲したのでしょうか。日ごとに悪化する容体、そして癌の宣告。現代ほど医学の進んでいない時代にまさに耐え難い苦痛と苦悩を味わったはずです。弱気にもなったはずです。「私には音楽がパンと生命の代わりだった。あの絶えず前進しようとする欲望も、これでおしまいだろうか。」(「ドビュッシーとピアノ曲」 マルグリット・ロン著、室淳介訳/音楽之友社) しかし、彼の才能はその悲しみと不安を音楽の中に昇華させました。 ドビュッシーのもう一つの悲しみと不安、それは1914年に始まった第一次世界大戦でした。この戦争はそれまで「Belle époque 」(良き時代)と呼ばれ平和と繁栄を享受していたヨーロッパ全体を巻き込んだ史上初の世界大戦でした。友人に宛てた手紙にこう書いています。「緊張と混乱した日々が、私にのしかかる。それらの日々にあって私は、この恐ろしい大動乱によって転がされているみじめな一原子でしか、もはやないのです。私の出来ることは、どうにも情けないほどちっぽけに見えます。」「二ヶ月の間一音も書かなければ、ピアノに触りもしなかった。これはこの戦争という視点からすれば、 取るに足らないことです。」(「ドビュッシー」 平島正郎著/音楽之友社) フランスを愛し、大自然を愛したドビュッシーにとって、すべてを破壊する戦争は耐え難い暴挙でした。自分には何もできない歯痒さがひしひしと伝わってきます。しかし、その歯痒さ悔しさを彼は作曲することによってなだめ、不安と闘っていたのです。
このように自分の内と外から来る、不安と悲しみ、どちらも自分ではどうすることもできないのではないか、その思いが「恐ろしく悲しい」傑作『フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ』を生み出したのではないでしょうか。 というように、この曲の書かれた当時のドビュッシーさんのことに思いを馳せるとこの曲の感じ方、演奏の仕方が変わってきます。多用されるアルペジオは先に進もうとしても進めない切なさ、一瞬現れる太陽の光のような輝く音色、淡い希望にも似た微笑みをたたえたメロディー、これらはドビュッシーの絶望と希望の間を揺れ動く内面の現れだと私には思えるのです。

この曲、私はパリ留学時代によく聞きました。何と言ってもクリスチャン・ラルデ先生と奥様のマリー=クレール・ジャメさんの十八番です。ジャメさんのお父様のピエール・ジャメさんは、なんと!このソナタを初演したハーピストです。ですからマリー=クレール・ジャメさんは、お父様から、ドビュッシーがどんな人であったとか、この曲のレッスンをドビュッシーに受けた時どういうことを言われたとか、貴重な話をたくさん聞いたそうです。私は、ピエール・ジャメさんが初めてこのソナタのレッスンを受けにドビュッシーの家に行った時の話をマリー=クレール・ジャメさんからうかがいました。ピエール・ジャメさんは、ドビュッシーの親しい友人から「彼は演奏が気に入らないと部屋を出て行っちゃうからね。」と言われて大変緊張して演奏したそうですが、ドビュッシーは最後まで聞いてくれたそうです。そして、ハープの奏法についていろいろ話し合って試しているうちに、ドビュッシーは自分の望んでいた音色が見つかって大喜びしたということです。
ピエール・ジャメさんはとても痩せて背が高く、手足の長い、まるでハープを弾くために生まれてきたような体型でした。奏でる音色、音楽はその人柄のように、とても丸く優しかった。私が受けたピエール・ジャメさんのレッスンでは、「フルートは吹きすぎないでね。大きい音はいらないよ。軽く軽く。ドビュッシーを吹く時は楽譜をよく読んでそのとおりに吹くんだよ。ルバートを特に注意深く吹いてね。」とおっしゃっていました。
ぜひピエール・ジャメさんの演奏するフルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタを聞いていただきたいと思います。楽譜は以前は、デュラン版だけでしたが、今はヘンレ版もあります。どうしても吹いてみたいけど、美人のハーピスト(私の知っているフランス人女性ハーピストは全員美しい)が知人にいないし、ヴィオラの友達もいない、という方には、フルートとピアノ用の楽譜もあります。この楽譜にはピアノ伴奏CDもついています。

ドビュッシー生誕150年記念企画に一年間お付き合いくださいましてまことにありがとうございました。これが最終回です。私はとても楽しく書いておりましたが、不慣れな点、不備な点が、多々あったことと思います。お詫び致します。また、私を暖かく暖かく励ましてくださった読者の皆様、ムラマツのスタッフの皆様、ありがとうございました。

森岡広志


桐朋学園大学に入学。林リリ子、小出信也の両氏に師事。1976年渡仏。ヴェルサイユ国立音楽院に入学し、J.カスタニエ氏に師事。1979年同院を金賞で卒業。1981年パリ・エコ−ル・ノルマル音楽院に入学。C.ラルデ氏に師事。1983年演奏家資格を得て卒業。この間、サンマキシマン音楽祭、サンポ−ルドヴァンス音楽祭、他フランス各地で演奏会を行った。1987年よりメゾンラフィット音楽院教授を勤め、1988年に帰国。ムラマツ・フルート・レッスンセンター講師。