バロック・フルート奏者の前田りり子さんに執筆していただきました。

※この記事は2017年に執筆していただいたものです。

第4回

出版者としてのテレマン

私が子供の頃使っていたバッハやテレマンの楽譜は校訂者によって強弱記号や表情記号がたくさん書き込まれているのが普通でした。いつの頃からか、原典版という作曲者自身が書き込んだもの以外を極力排除した楽譜を使うように先生から指示されることが多くなり、はじめは何も書かれていない楽譜を見て途方にくれましたが、何もないからこそ、当時の演奏習慣を知ることの大切さを感じるようになり、楽譜に縛られずに自由に吹くことの楽しさを知ることができました。

しかし次第にそれでも飽き足らず、自筆譜を見て作曲家の意図を直接自分で読み取りたいと思うようになります。とはいえまだネットのない時代、海外の図書館にある楽譜をマイクロフィルムに焼いて郵送してもらうのは、時間とコストのかかる大変な作業でした。

それが最近では、たくさんの自筆譜や筆写譜がネット上に公開されるようになり、誰でもが簡単にアクセスができるようになりました。手稿譜は慣れていない現代人にとっては非常に読みづらく、演奏用の楽譜としては適さないかもしれませんが、誰でも簡単に作曲家自身の思いのあふれる楽譜に触れることができるようになったこと、そしてまだ出版されていない眠れるレパートリーの山に簡単にアクセスできるようになったことは、現代のバロック音楽の演奏に確実に大きな変化をもたらしつつあります。

興味のある方は、テレマンの最大のコレクションを誇るダルムシュタッド大学図書館のページを訪れてみてください。テレマンの自筆譜を公開しています。

そんな便利な時代になりましたが、現代のネット革命にも匹敵するような楽譜の流通革進が18世紀にも起こりました。バロック時代の作曲家といえばかならずどこかの宮廷や教会、都市などに所属し、特定の演奏家や演奏目的を想定しながら曲を作るのが普通だったため、それらの曲のほとんどは再演されることなく忘れ去られていきました。それを変えたのが、銅板による楽譜出版の増加です。

18世紀には楽譜印刷の技術が向上し、アマチュア演奏家の増加などにもより、パリ、ロンドン、アムステルダムを中心に楽譜出版が非常に盛んになりました。印刷楽譜の普及によって、それまで使い捨てられていた音楽は、不特定多数の人によって何度も再現されるものとなり、印刷楽譜を通じて流行りの音楽が広く急速にヨーロッパ中に広がるようになりました。
とはいえ、まだまだ片田舎だったドイツの町では流行の楽譜を手に入れることは簡単ではなく、テレマンの周りの音楽家や愛好家たちはいつも楽譜に飢えていました。そこでテレマンは自宅で銅板を彫って自ら出版を始めます(譜例1)。専門の職人が作る美しいパリの出版譜(譜例2)などと比べると、素人が作ったと分かる読みづらい楽譜ではありますが、それでも内容の素晴らしさからそれらの楽譜の評判は非常に高く、購入者リストを見るとバッハ、ヘンデル、クヴァンツ、ブラヴェなどをはじめ、ヨーロッパ中から注文が殺到していたことがわかります。
  • 譜例1:
    テレマン/フルートのためのファンタジー 第1番
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  • 譜例2:
    ブラヴェ/フルート・ソナタ ト長調 作品2の1
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テレマンの出版譜は企画力という点においても他に類を見ないほど独創的で創意工夫にあふれています。3巻からなる「食卓の音楽(ターフェル・ムジーク)」は饗宴などでのBGMとしてふさわしい曲を集めた曲集で、各巻が序曲で始まり、その後カルテット、コンチェルト、トリオ・ソナタ、ソロ・ソナタ、終曲という順番で構成されています。楽器編成も様々ですが、フルートに関しては第1巻だけでも序曲、フルートとオーボエとヴァイオリンのためのカルテット、フルート・ソナタ、フルートとヴァイオリンとチェロのためのトリプル・コンチェルトなど非常にヴァラエティ豊かな曲が収められています。

「音楽の練習帳」はソロ・ソナタ12曲とトリオ・ソナタ12曲からなる曲集で、特にトリオは、当時としては珍しいフルートと独立したチェンバロ・パートと通奏低音などあらゆる楽器の組み合わせを試みています。

特にテレマンの秀逸なアイデアが光るのは「忠実な音楽の師」です。これは予約した人には隔週ごとに4ページの楽譜が25回届くという、現代のディアゴスティーニのような画期的な商品で、様々な楽器のためのソナタや当時流行ったアリアなどが毎回1〜2楽章ずつ届いて、数回かけてようやく1曲が完成するというマニア心をくすぐる企画でした。

譜例3:
テレマン/忠実なる音楽の師から 2重奏
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例えば第3回目の4ページ目にはリコーダー、またはフルート、またはヴィオラ・ダ・ガンバのための2重奏が載っています。10:1とあるのは、これが10番の第1楽章であることを示しており、第4回目に10:2という2楽章が届いています。音部記号や調号がいろいろあるのは一つの曲がいろんな楽器で演奏できるように工夫してあるからで、リコーダーで吹くときは最初の音がレのB-durで、フルートで吹くときは最初の音がシのG-durで、ガンバの時は最初の音がドのA-durで演奏するよう指示されています。ページの下2段は全く別のチェンバロ・ソロ曲の第5楽章が載っています(譜例3)。

バロック好きの学生やアマチュアの間では「困った時はテレマン」という言葉があります。友人同士でいろんな楽器を持ち寄って演奏したいと思うとき、どんな変った楽器の組み合わせでも曲が見つかるのがテレマンだからです。困ったときはぜひテレマンの作品を見てみてください。

前田 りり子(Liliko MAEDA バロックフルート)


モダン・フルートを小出信也氏に師事。
高校2年の時、全日本学生音楽コンクール西日本大会フルート部門1位入賞。
その後バロック・フルートに転向し桐朋学園大学古楽器科に進学。
オランダのデン・ハーグ王立音楽院の大学院修了。
有田正広、バルトルド・クイケンの両氏に師事。
1996年、山梨古楽コンクールにて第1位入賞し、1999年、ブルージュ国際古楽コンクールで2位入賞(フルートでは最高位)。
バッハ・コレギウム・ジャパン、オーケストラ・リベラ・クラシカ、ソフィオ・アルモニコなど、各種演奏団体のメンバーとして演奏・レコーディング活動をしているほか、日本各地でしばしばリサイタルや室内楽コンサートを行っている。
また2006年には単行本「フルートの肖像」を東京書籍より出版し、執筆活動にも力を入れている。
現在、東京芸術大学、上野学園大学非常勤講師。
前田りり子の公式ホームページは「りりこの部屋」で検索。