母校での私のフルートのレッスンに伴奏で付き添ってきた作曲科の学生が、こんなことを言いました。
「もはや普通のクラシックの曲は美しいと感じなくなったんです。」
つまり彼は、シェーンベルクが始めた十二音技法の音楽に代表される、調性を持たない音楽こそ美しいと感じる、というのです。いわゆる「現代音楽」と呼ばれる前衛音楽には、私たちが一般的に「美しい」と感じる協和音はほとんどなく、音と音がぶつかり合う不協和音によって、それらの音楽は成り立っています。その言葉を聞いたとき、私は「人間の耳はこのように変わって行くのか」と軽いカルチャーショックを受けたことを覚えています。
なぜ名演奏家や編纂者は、わざわざ音楽記号を加筆したのでしょうか?
前回の動画では、バロック時代からロマン派の時代にかけての不協和音の代表格ともいえる「減7の和音」を取り上げ、その和音が音楽修辞法の観点からも強調され、アクセントすることが求められることを、実演を交えて解説しました。
「減7の和音」については、本ホームページの記事アーカイブのなかにある、
拙稿「日本・オーストリア友好150周年特別企画 W.A.MOZART」第4回をご覧ください。
この記事では、いかにモーツァルトがシンコペーション、半音階進行、減7の和音や倚音などを巧みに駆使し作曲していたのかを解き明かしています。もちろんこれはなにもモーツァルトに限ったことではありません。バッハも、さらにバッハやモーツァルトを学んだベートヴェンや、次の時代のショパンやシューマンにも当てはまります。当時の多くの作曲家もこれらの音楽的技法を用いて作曲したのですが、大作曲家と呼ばれる彼らは、こうした技法を誰よりも自在に使いこなしたのです。
シンコペーション、半音階進行、減7の和音や倚音――これらと不協和音は、切っても切り離せない関係にあります。なぜなら、シンコペーションでは拍の頭に不協和音が響きやすく、半音階進行では必ず不協和音が生じるからです。
では、そもそも不協和音はいつ、どのようにして「美」と結びつくようになったのでしょうか?
実のところ、クラシック音楽の歴史は、協和音から不協和音への変化の歴史だったとも言えるでしょう。そこで、倍音という視点から音楽の歴史を振り返ってみましょう。
たとえば「ド」は、周波数が2倍になるとオクターブ上の「ド」、3倍になると「ソ」になります。バッハの活躍した前の時代であるルネサンス時代を代表する教会音楽は、そのほとんどがこのオクターブ(完全8度)の音と完全5度上(「ド」の上の「ソ」に当たる音)の音のみで構成されていました。時代が進むにつれ、協和音だけで構成された清らかな神の音楽から、人間の心を表現する音楽へと移り変わり、やがて5倍の周波数にあたる「ミ」の音が加わりました。このことによって、皆さんご存じの「ド・ミ・ソ」という主和音(トニック)が誕生しました。
そして、長調と短調という調性が生まれました。調性は、曲の雰囲気や感情を決定する重要な要素です。また「ソ・シ・レ・ファ」というドミナントからトニックへの和声進行が、曲のまとまりや終結感をもたらしました。さらに、教会音楽では忌避されていた不協和音をあえて使うことで、より複雑な人間の心を表現しようとしました。
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J.S.バッハ<ヨハネ受難曲>冒頭 Fl.とObの不協和音から始まる
この不協和音を巧みに扱った作曲家の一人が、まさしくバッハだったのです。実際、不協和音が協和音に変わる瞬間に音楽的な美しさが生まれますが、この美しさを追求した歴史こそ、「バロック」「古典派」そして「ロマン派」へと続く、クラシック音楽の歴史であると言っても過言ではありません。
一方で、それまでのクラシック音楽ではフォーカスされなかった7倍の周波数に当たる「シ♭」の音が使われたのがジャズです。この「シ♭」より実際には少し低い音は「ブルーノート」と呼ばれ、ジャズを象徴する音です。さらに9倍、11倍、13倍の周波数の倍音が使われることによって、ジャズ独特の響きが生まれているのです。かのドビュッシーも早くからこの響きに注目しましたが、やがて「不協和音を協和音に解決する必要はない」「不協和音そのものが美しい」という考え方が広がっていきます。フリージャズが不協和音だらけなのは、その極端な例です。実は、この不協和音は皆さんの身近な音楽にも溢れています。たとえば“Official髭男dism”の音楽には、ジャズの影響が色濃く反映されているため、不協和音が多く使われています。それと同時に、私はバッハが得意とした「音楽修辞法」の技法が活かされ、歌詞と音楽が見事に融合している点も、彼らの音楽の特徴だと考えています。
話をクラシック音楽に戻すと、ロマン派の時代には調性音楽でのロマンティシズムが極限まで追求され、ついにワーグナーが無調の音楽を生み出しました。さらに無調から発展し、調性を持たない12音技法の音楽が発明されます。
こうしてクラシック音楽の歴史を振り返れば、作曲家の学生が調性を持たない不協和音の音楽を美しいと感じるのは、ある意味で必然だったのかもしれません。
私の拙著『<バッハのシチリアーノ>は真作なのか?』の第13章では、バッハと不協和音の関係について詳しく解説しています。今回の動画では、著書の中の譜例を通して紹介したショパンやリストのピアノ作品を取り上げ、ピアニスト東浦亜希子さんの演奏とともに、不協和音と半音階進行について深掘りしていきます。
【第4回 不協和音について深掘りする】バッハの時代に培われた半音階と不協和音が時代とともにどのように発展したのか深掘りします。Fl.解説 竹澤栄祐、Pf.東浦 亜希子