ムラマツ・フルート・レッスンセンター講師の森岡広志先生に執筆していただきました。

※この記事は2012年に執筆していただいたものです。

第4回

ビリティスの歌、牧神の午後への前奏曲

「ビリティスの歌」は、私にとって、とても懐かしい曲です。何十年も前の話ですので、私の記憶を辿ってムラマツで調べていただきました。それは、1972年3月14日(なんと40年前!! 私は高校生です。)東京文化会館大ホールで行われたバーゼル・アンサンブルの特別演奏会でのことでした。『ドビュッシー・プログラム』と題されたその演奏会で「ビリティスの歌」が演奏されたのです。私はオーレル・ニコレさんのフルートを聴きにそのコンサートに行ったのですが、それまであまり耳にしたことのなかったドビュッシーの不思議な音の世界に魅了されました。そして、ピアノの曲やクラリネットの曲、それに「シランクス」や「フルート、ヴィオラ、ハープのソナタ」などの数々の名曲の中で、最も印象に残ったのが、「ビリティスの歌」だったのです。照明に輝く銀のフルート、そしてそのフルートの音色と重なり合い混じり合う、チェレスタとハープの柔らかでありながら確固とした響きの感触を、ステージの様子と共にはっきりと覚えています。特に曲の一番最初のフルートのソロがドビュッシー独特の音階と色調で、どこか日本の民謡を思い起こさせる忘れられないメロディーでした。それ以来一度も「ビリティスの歌」を聞く機会はありませんでしたが、そのコンサートの他のどの曲にも優って強い印象を与え、40年経っても忘れられないドビュッシーの「ビリティスの歌」の魅力とは何だったのだろうか?と思います。

さて、この曲はドビュッシーの終生の友人であった詩人ピエール・ルイスの詩に基づいて作曲されました。紀元前6世紀の女流詩人ビリティスの残した詩が19世紀に発見されて…とルイスは発表しましたが実際には彼自身が創作した詩集です。なぜ最初から自分の詩だと言わなかったのか、そのあたりも興味深いですが、ドビュッシーはこの詩をたいへん気に入り、3回も編成を変えて作曲しています。最初は1897年、この詩集から3編を選び、歌曲としました。これは1900年3月17日、ブランシュ・マロという歌手とドビュッシー自身のピアノで初演されています。この曲の第一曲目の題は “La Flûte de Pan”「パンの笛」です。そして1900年、ドビュッシーは詩集から新たに12篇を選び直して「ビリティスの歌 パントマイムと詩の朗読のための音楽」を作曲します。フルート2本、チェレスタ、ハープ2台そして詩の朗読とパントマイムという編成です。この年はパリ万博が開催された年で、ドビュッシーはそこで聞いたバリ島のガムラン音楽に大変興味を持ちました。この2度目の「ビリティスの歌」にはその影響がでているのかもしれません。冒頭のフルート・ソロの東洋的な雰囲気はその表れでしょうか。この編成での公の演奏はされなかったそうなので、どういうパントマイムをドビュッシーが考えていたのかわからなくなってしまいました。私の記憶に残る40年前の演奏にも詩の朗読はありましたがパントマイムは入っていませんでした。パントマイム付きでコンサートしたらおもしろいでしょうね。どなたかやってください!絶対聞きに行きます。(スコアは出版されています。) ちなみに、昔、この編成のCDが出ておりました。詩の朗読は、なんとあの大女優カトリーヌ・ドヌーヴさんです。そして1914年、今度はピアノ連弾用にビリティスは改編されます。2回目の曲と選んだ詩をもとにして「6つの古代碑銘」として発表します。これは後に指揮者のアンセルメやパイヤールによってオーケストラ用に編曲されたり、フルートとピアノ用に編曲されてもいます。3回も「ビリティスの歌」に挑んだことを考えてみると、この詩集に対するドビュッシーの思い入れは相当なものである、と推察できます。古代ギリシャという背景に惹かれたのか、自分を最後まで支援してくれて、しかし、詩人としては不遇だった友人ピエール・ルイスの才能を世に知らしめたかったのか…。この3つの編成を比較すると私はなんと言っても2番目が好きですけど、実現がなかなか難しい場合は、フルート、ピアノ版をフルートとハープにしたり、フルートとピアノと詩の朗読版もオススメだと思います。

さてさて、フルートのソロから始まり、詩人から啓発を受けた曲というと「牧神の午後への前奏曲」を挙げないわけにはいきません。この曲は、1892年から1894年にかけて詩人マラルメの「牧神の午後」という詩からインスピレーションを得て作曲されました。初めは前奏曲、間奏曲そして終曲の三章になるはずでしたが、「前奏曲が94年に完成してみると、他の2曲はもう存在理由を失っていた。それだけで完全な作品の世界をかたちづくっていたからだ。」(「ドビュッシー」 平島正郎著/音楽之友社) 。 その完成度は自分の詩に音楽をつけることを認めていなかったマラルメをも驚嘆させるものでした。ドビュッシーがこの曲を初めてマラルメにピアノで弾いて聞かせた時、しばらくの沈黙の後に、こう言ったそうです。「この音楽は私の詩の情熱をさらに充分に人々に広めるとともに、色彩感だけでなくこの詩の背景を鮮やかに描き出している。」1894年12月22日ギュスターヴ・ドレの指揮で初演された「牧神の午後への前奏曲」は、聴衆のアンコールによって2度演奏されるという大成功をおさめました。この曲によってドビュッシーは彼独自のスタイルを確立したといわれています。そんな記念碑的作品でフルートが大活躍というのは嬉しい限りですね〜。ドビュッシーさん、ありがとう!さらにドビュッシーはこの曲をフルートとピアノに編曲したいと思っていたという話もあり、それは友人の作曲家サマズイユによって行われ、出版されました(JOBERT版)。(他の人による編曲もあります。)また現在ではフルートオーケストラや木管六重奏による楽譜も出版されています。

フルートたった1本のソロから始まる「ビリティスの歌」と「牧神の午後への前奏曲」。まず私達を惹きつけるのはドビュッシーの作曲上のあれこれよりもフルートの、その音色です。ドビュッシーのフルートの用い方、響きには独特の魅力があります。ドビュッシーはフルートの持っている、人々の心を一瞬で魅了する妖しい不思議な力のようなものに気づいていた作曲家だったと思います。私達も、ダブルタンギングが少々苦手でも、循環呼吸など夢のような話でも、聞いている人々の心を虜にするような「音色」でフルートを、ドビュッシーを吹きたいと思います。

森岡広志


桐朋学園大学に入学。林リリ子、小出信也の両氏に師事。1976年渡仏。ヴェルサイユ国立音楽院に入学し、J.カスタニエ氏に師事。1979年同院を金賞で卒業。1981年パリ・エコ−ル・ノルマル音楽院に入学。C.ラルデ氏に師事。1983年演奏家資格を得て卒業。この間、サンマキシマン音楽祭、サンポ−ルドヴァンス音楽祭、他フランス各地で演奏会を行った。1987年よりメゾンラフィット音楽院教授を勤め、1988年に帰国。ムラマツ・フルート・レッスンセンター講師。