バロック・フルート奏者の前田りり子さんに執筆していただきました。

※この記事は2017年に執筆していただいたものです。

第3回

二重奏とメトーディッシュソナタ

18世紀のヨーロッパは、啓蒙主義の時代でした。「啓蒙」とは、無知に理性の光を当てるということですが、具体的にはそれまで教育が受けられず無知だった人々に、教育、教養の機会を与えることで人類全体を進歩・改善しようという考え方でした。

当時のヨーロッパは、王を頂点とする絶対君主制が、市民中心の近代社会へと生まれ変わる過渡期でした。啓蒙思想は、産業、商業、科学などの進歩によって急激に力をつけてきた、上り調子で怖いもの知らずの裕福な上流階級の人々によって始められた思想で、次第に上は君主や貴族、下は中流階級の市民にまで広がっていき、結果として古い秩序を破壊するのに大きな役割を果たしました。

音楽においても啓蒙思想の影響は大きく、裕福な家庭の子供達は教養の一環として小さい頃から楽器を習得することが奨励されるようになりました。そのためアマチュア音楽家の数は18世紀以降急速に増加し、彼らのためにたくさんの教則本や家庭で気軽に楽しめる室内楽の楽譜が出版されました。そんな啓蒙思想の影響を大きく受けたテレマンも、たくさんの楽譜を出版しました。

出版されたテレマンの室内楽には「フルートまたはヴィオリンのため」というタイトルがつけられたものがよくあります。さらにそれに「オーボエ、リコーダーでも吹ける」と小さく付け加えられている場合もあります。バロック時代のフルートは最低音がDなので、ヴァイオリンでこうした曲を弾くと、最低弦であるG線を一切使えないということになり、ヴァイオリン的には低音が足りなくて少し残念なことになります。それでも両方の楽器のために出版された曲集が多いのは、ヴァイオリンがプロフェッショナルな楽器として需要が高かったのに対して、フルートはアマチュアに人気があったため購買層に広がりが期待できたからです。アルト・リコーダーの最低音はFでフルートより3度高いため、フルート用の曲を演奏する時には短3度高く移調して演奏しました。
  • 二重奏 Op.2の初版譜

  • カノン風ソナタ Op.5

「フルートまたはヴァイオリン、リコーダーのための二重奏 Op.2」「フルートまたはヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバのための6つのカノン風ソナタ Op.5」もそんな様々な楽器のために書かれた作品です。これらの二重奏は、両方の声部が完全に対等で、Op.2の方では、最初主導権を持っていた1番フルートは、途中で2番フルートに主導権を譲り渡し、再現部では立場が入れ変わるのがパターンになっています。カノン(Op.5)は1番と完全に同じメロディーを2番フルートが少し後から追いかけて演奏します。そのため、楽譜は1パート分しかなく、2番フルートが入ってくるタイミングと終わる場所だけがマークでしるされています。音楽的にも素晴らしい曲集で、演奏しても聴いていてもワクワクするような、スリルにあふれていますが、これらの曲集はコンサートなどで演奏するためだけでなく、教育用としても使われていたと思われます。

フリードリッヒ大王のフルート教師で、「フルート奏法」という非常に詳しい教則本を書いたクヴァンツも先生の演奏するメロディーを真似する練習をするといいと本の中で述べていますが、相手が何をやったかを素早く聞き取り、次に同じメロディーが出てきたときには相手の真似をして同じように演奏するというのは、アンサンブルの基本中の基本です。先生もしくは上手な人とデュエットをして、ぜひ相手の技を盗んでみてください。

メトーディッシュ・ソナタ

1728年と1732年の2回に分けて6曲ずつ出版されたメトーディッシュ・ソナタもタイトルの通り教育を意識して書かれた曲です。この曲集にあるすべてのソナタの第1楽章は、本来の旋律と装飾がたくさんついた2つのバージョンが書かれています。バロックの作品、特に緩徐楽章の中には非常に単純で音の数が極端に少ない曲がよくあります。これは当時ゆっくりした楽章には奏者自身が即興で装飾をつける習慣があったためで、作曲家は演奏者により多くの自由を与えるために、あえて音数の少ない曲を書きました。残念ながら当時の人たちがどれほどの即興をしていたか、今ではもう分かりませんが、メトーディッシュ・ソナタの装飾付きバージョンにはすでにびっくりするほどたくさんの装飾がつけられているにもかかわらず、テレマンが序文で「装飾をあまりにたくさんつけすぎている人が最近多すぎるから、私の書いた例を参考にしてほどほどにしておいた方が良い(要約)」と述べているところを見ると、当時の装飾は相当すごかったことが想像できます。クヴァンツも教則本の中で何度もつけすぎてはいけない、和声とあっていない装飾はつけてはいけないと警告しています。しかしながら、現代人にとっては一度失われた即興の技術を復活させることはなかなか至難の業です。メトーディッシュ・ソナタで当時の装飾技術のすごさを体感した上で、ぜひ自分なりの装飾を作ってみてください。

前田 りり子(Liliko MAEDA バロックフルート)


モダン・フルートを小出信也氏に師事。
高校2年の時、全日本学生音楽コンクール西日本大会フルート部門1位入賞。
その後バロック・フルートに転向し桐朋学園大学古楽器科に進学。
オランダのデン・ハーグ王立音楽院の大学院修了。
有田正広、バルトルド・クイケンの両氏に師事。
1996年、山梨古楽コンクールにて第1位入賞し、1999年、ブルージュ国際古楽コンクールで2位入賞(フルートでは最高位)。
バッハ・コレギウム・ジャパン、オーケストラ・リベラ・クラシカ、ソフィオ・アルモニコなど、各種演奏団体のメンバーとして演奏・レコーディング活動をしているほか、日本各地でしばしばリサイタルや室内楽コンサートを行っている。
また2006年には単行本「フルートの肖像」を東京書籍より出版し、執筆活動にも力を入れている。
現在、東京芸術大学、上野学園大学非常勤講師。
前田りり子の公式ホームページは「りりこの部屋」で検索。