1904年パリ音楽院卒業試験課題曲。初版の出版社はEnoch、エネスコがまだ23歳の時の作品で、フォーレのファンタジー以後第二次世界大戦までに書かれた卒業試験課題曲の作曲者として最も若い。これに続くのがゴーベール(ノクチュルヌとアレグロスケルツァンド1906年27歳)。1907年5月16日には出来たばかりのテアトル・フェミナ(Théâtre Femina シャンゼリゼ通りに1929年まであった)でのコンサートでゴーベールのフルートとエネスコのピアノ伴奏で演奏されている。
1904年という年は、5月にFIFA(国際サッカー連盟)がパリで設立され、フランス全土が異常気象に見舞われた年でもある。試験は7月28日に行われたがその10日ほど前、7月17〜19日は熱波がパリを襲い、気温は39度に達した。(卒業試験の結果はこちら)
エネスコは審査員としては参加していない。このあたりのいきさつは不明だが、審査員をする予定だったようだ。一部の新聞には、「受験者に本人の親族がいるためBass氏が代理として参加」と書かれているが、この理由に関して真偽は疑わしい。パリ音楽院の卒業試験の審査員の規約は、審査委員長を音楽院長とし、他に8〜10名の審査員、その半数は音楽院外部からとなっていたが、実際の記録を見ていくと厳格に行われた訳ではなく、音楽院外審査員の割合は「だいたい」という感じで行われた形跡が多い。もしかしたらエネスコの場合政治レヴェルで不参加になったのかもしれない。この辺りはシャミナードが参加しなかったのも不可解な事だ。シャミナードは初見課題もしっかり書いている。1904年の初見課題曲は、ポール=ルシアン・ヒルマッハー(Paul-Lucien Hillmacher)が作曲したが、この人(達)は、兄のポールと弟のルシアンによる共同作曲をしていた作曲家。
今回はリズムの分析に関して少し解説します。
リズムの分析は、1. 最小単位のリズムがどの様な構造のものか、2. そのリズムがどのように組合せられた構造になっているのか(縮小、拡大、変形)、3. 拍子の状態(変拍子、変拍子化)、4. 特徴的なリズムの抽出(よく知られた何らかのリズムに相当するものかどうか)といった事になると思います。
今回は、最も基礎的な最小単位のリズム構造の考え方とカンタービレとプレストの中で特徴的に使われているポリリズムについて説明します。
新しく登場する言葉はイアンブ格、トロシェー格、アンフィブラック格、アナペスト格、Décor(デコ)等です。
アナリーゼでリズム分析を行う方法として、メシアンは古代ギリシャの詩や韻文の韻律分類(Modes rythmique)を当てはめる方法を取り入れた。アナリーゼではこの韻律分類をRythme grecs(リトゥム・グレック)と呼んで使っている。(直訳だとギリシャ・リズム。ギリシャ韻律の方がしっくりくる。ここではRythme grecsと表記する)
まず短い音を)で長い音を _ で表すのだが、メシアンによれば五線譜が確立されてからの記譜においては長い音は短い音のほぼ倍と考えるのが基本になったという事で、ここでは分かりやすいように単純に♪と♩で表す。この2つの長さの音の組み合わせをイアンブ、トロシェー(英語圏ではトロキー)等と言う名称で呼ぶ。短い音はもっと短くても、長い音はもっと長くてもグループ化されればこの考え方を当てはめる。日本語では「韻律」として扱う時、例えば「イアンブ」等には「格」あるいは、「脚」を最後に付けて「イアンブ格」や「イアンブ脚」と言うのだが、フランスではイアンブ、トロシェーというようにそのままで使う。
古代ギリシャ韻律は細かく分類されているが、その中から基本的にはDissyllabique(ディシラビク 2つのシラブルからなる)のイアンブ、トロシェー、Trisyllabique(トリシラビク 3つのシラブル)のダクティル、アンフィブラック、アナペスト、Tétrasyllabique(テトラシラビク 4つのシラブル)のエピトリートを使って分析する。その他の韻律に関してはこちら
では実際の曲ではどうなっているのか
以上の楽譜で分かる事だが、リズム構造は、いくつかの階層で出来ている事が多い。
リズムでは、本質的に長い音に重さがあり、短い音に軽さや鋭さがある。音の重さはアクサンエクスプレッシフ、鋭さはアクサントニックであり、アーティキュレーションや、音の高さ、アナクルーズ、付点等によってリズム構造は影響を受ける。イアンブ、トロシェーは単純に考えれば3拍子にそのまま当てはまるリズム。
フォーレのファンタジーの前半や子守歌でリズムペダルの事を説明したが、今回のリズムの分析を含めると両方とも「イアンブのリズムによるリズムペダル」という事になる。子守歌では第3音がミュエットになっているため均等の3音でも性格的にはイアンブである。
オスティナート(一定のリズム、音形がずっと繰り返されるパターン)に特定のRythme grecsが使われる時、メロディー側では異なるRythme grecsが使われることがほとんどで、この時、2つのリズムパターンの長さが一致するものも一致しないものもある。一致せずにオスティナートが続けばそこには2種類の拍子が存在する事になるが、その中でパターンの頭がある周期で一致するものを、Polyrythmie(ポリリズム)と呼ぶ。原点は、バロックにおけるヘミオラにある。ヘミオラとは例えば♩. ♩.と♩♩♩の組み換えの事で、元々はギリシャ語のhemiola(hemiolia)、3対2の比率の事。
ポリリズムの例
ポリリズムは、例えば楽譜上で4分の2の声部と8分の6の声部が同居しているような状態にも使う言葉。
ドビュッシー以降、教会旋法、全音階、クロマティック、5音音階等、異国的な要素を作品
に取り入れ始めた。ここで民族的特徴のある音階について説明する。特に短調で特徴が現れ、
長調は変わらない場合が多い。
ハンガリー音階
和声的短音階の第4音を導音としたもの
ロマ音階(ジプシー音階)
地域的にはハンガリーを含む広範囲に及ぶものと考えられる。ルーマニアの音階は、ハンガリー音階も使われるが、ロマ音階の方が多い。
スペイン音階
A.ロマ音階の導音を無くしたもの
B.スペイン8音音階
スペイン音階にesを加えて8音としたもの
全体の構成
カンタービレは、2つの大きなフレーズから成り立っている。このフレーズは基本的には同じもので2回目には1回目の装飾、変奏、一部小さなコマンテールが挟み込まれる等の変化が見られる。最後にこの2つのフレーズを小さなカデンツァ(ほぼバロックでの任意の装飾に近い)で締めくくる。この構成からセクエンツィア形式である。
曲の始まり、ピアノによる前奏部分(Es-dur)はトロシェーのリズムから続く16分音符の流れを経てイアンブのリズムに変わって一つのモチーフを作っているが、これによってバルカローラ風になっている。このピアノパターンはそのまま続き、フルートのテーマAを支えるが、テーマのリズムはイアンブが中心になる。このイアンブのリズムはヨーロッパでも東欧からロシアにかけての特有のリズムである。前奏部分のピアノの音形はフルートのテーマが始まってもそのまま続くが、このようにテーマの背景の様な伴奏形がテーマ出現に先立って演奏されるものをDécor(デコ、背景)と呼び、accompagnement(伴奏)やintroduction(イントロダクション)と区別して使う。
フォーレのファンタジーも前奏部分はデコの様な感じなのだが、ファンタジーではフルートのテーマが始まるとバスが通奏低音のように対位法的に動くので「背景」というよりはもう一人の主役(助演 ?)という意味合いが強い。フルート名曲♪研究所の動画の中でデコで始まる曲は、フォーレ/コンクール用小品、子守歌、シシリエンヌ、ガンヌ、デュヴェルノワ、カミュ、エネスコが相当する。
メロディーは明るく自由に動き、リズムは即興的な印象。細かく見るとテーマの最初の2度音程の下行から3度上がって今度は6度下行するという音程関係が印象的で、特に6度下行して解決する進行はモーツァルトが好んで使った事に留意しておきたい。テーマCはテーマBから2回目のフレーズを始めるための帰結の役割を果たしている。この部分では6度音程がクロマティック進行によって上昇し元のEs-durに戻るが、ここでEs-durのドミナントのBを響かせる辺りも即興的である。
安直な見方をすると師であるフォーレのファンタジーに近い構成、あるいはフォーレの教えに基づく曲、あるいはファンタジーを手本にした、とも思えるがメロディーの即興的な自由さと調性の扱いもあり雰囲気は全く違う。明るく暖かく、歌い上げる部分はより情熱的で魅力的な曲に仕上がっている。
まずダイナミックなピアノのファンファーレで幕を開け、一瞬の場面転換のDの音からプレスト全体にわたって間欠的に現れるピアノのオクターブの16分音符の動き(フュゼーといって良いだろう)が暗示的に現れて前奏部分を構成する。ここはDécorとは全く性格の違う、いわば「イントロダクション」で、テーマ以外の断片的に現れるモチーフが提示されている。モチーフAは前出のフュゼーの拡大形を対旋律としたピアノの右手とGをバスとしてドミナントのDを重ねた5度の響きのペダルを伴う。全体調性としてはg-mollとして書き始めているが、モチーフAはDから始まるロマ音階であり、ほぼd-mollに相当し、ここからd-mollと考えられるが、たとえばモチーフA伴奏形のバスはGとDの5度の和音がペダルとなっていて、一応g-moll根音とドミナントと考えると、メロディーはd-mollだがg-mollも存在する複調性(polytonalité)と考えられる。フォーレのクラスで一緒だったラヴェルは、複調性の曲を多く書いたが、多くは聴感上調性のぶつかりを感じる関係の調性を使っている。この曲の場合5度関係の調性なのでぶつかりはほぼ気にならない。モチーフBではポリリズム化されたアルペジオの伴奏になり、モチーフCではピアノのフュゼーが伴奏(対旋律)になる。3つのモチーフは2度ずつ繰り返されセクエンツィア形式となり、さらにこのテーマA全体が繰り返され2重のセクエンツィア形式となる。場面転換の橋渡しを挟んでテーマAのコマンテールに進む。ここではフルートのヴィルトゥオーゾな面をアーティキュレーションを含め全面的に開放し、最後に高速のポリリズムを伴う即興的な音形で締めくくる。ここでフェルマータがついているが、前半のカンタービレ同様にここで大きく区切られる。この先ではテーマAとは対照的な明るく情熱的なメロディー、テーマBが現れて性格は一転するが、ここにテーマA(イントロダクションを含む)のモチーフたちは調性や音高を変えて挟み込まれる。最後はテーマAのコマンテール部分に帰結するように曲を終える。
では構成全体を整理してみよう。テーマAからテーマAのコマンテールへ続く。原則コマンテールは主調のドミナントへ上昇しそれを少し維持するがこれはDのトリルが相当する(ロマ音階d-mollのトニックでもある)。次に推移部を経てテーマBに移行する。ここではテーマAのモチーフが使われて次第にテーマAに戻る。以上から2部形式である。2部形式では、テーマBは原則開始調だが、バロックではほとんどが近親調だ。もう少し厳密に言うと、この曲の様にテーマBでテーマAのモチーフを使っているものをフランスのアナリーゼではForme binaire arrondie(フォルム・ビネール・アロンディ 増殖した2部形式)と言う。
モチーフAはロマ音階によるもので、d-mollに相当する。
シャミナードの回で楽譜でのフランス語表記について書いたが、1899年のデュヴェルノワはフォーレ同様イタリア語表記、1901年のガンヌでは表情などに少しフランス語が使われている。1903年のペリルーでもわずかに使われているがエネスコになると一気にフランス語が増える。カンタービレとプレストで使われているフランス語について少し説明する
ダブルタンギングについて
今回エネスコのプレスト部分で低音のダブルタンギングが出てきます。ダブルタンギングに関して学生時代はさらったのですが…という位私にとっては「いにしえ」の事で、特殊な練習方法を使っているわけでもないのですが少し考察してみましょう。
私個人の事を話すと大学入学時、シングルタンギングで16分音符4つを♩=144で普通に吹けていました。これは多分黄色い本のアルテスに♩=120で出来るようにとか書いてあって、じゃあもっと早く出来ればいいかなと思ってやっていたのではないかと思います。ダブルタンギングに関してはTuとKuが完全に均等になるようにとか書かれているのではないでしょうか。まあ親切なアドバイスですがそんな事アルテス原本には書いてありません。アルテス原本は、これはこれで言っている事があまりにも古めかしいのですが…。例えばタファネルの作品でのアーティキュレーションからは、おそらくこれ位という速度感が感じられるのですが私にはアルテスが♩=120ですら演奏できたとは全く思えません。学生時代の私には周囲のシングルタンギングが異常にトロく感じられる一方自分のダブルタンギングは下手だと思って練習していましたが、ある時、同門のある先輩が「ボク、シングル全然遅くてゆっくりからダブルなんだ」とポツっと言ったのです。ところがこの人のゆっくりのタンギングはそばで聞いてもダブルだとは全く分からず、確実で自由でパーフェクト !! 「えっ ?そうなの ?」…衝撃を受けその瞬間から考え方を切り替えた。TuとKuの発音は基本的に均等である必要は無い。例えば♩=120位のゆっくりの速度ではKuは当然8分音符のウラなので弱拍もいいところで、ここに強拍と同じタンギングをもってくる事自体が間違っている。TuとKuでは舌の伸び方が違うのでタイミング的に不均等になるかもしれないが1拍の中の16分音符が上行スケールの様な音形ならばやや加速気味にいわば不均等に動く方が自然で、均等に吹くトレーニング自体が音楽の本質から外れた練習だという事です。まあ舌のための「筋トレ」として均等化は効果はあるでしょうが自然な音楽とは関係ありません。クヴァンツは「フルート奏法」のなかでかなり複雑なタンギングの仕方を示しています。この時代にはイネガル(note inégales フランス語)という、リズムを不均等にして演奏するスタイルが普通で、つまりタンギングは不均等にできなければ話にならなかったのです。アルテスが教則本の中で誰にでも分かりやすく、シングルとダブルの二元論とその応用としてトリプルを加えた事により指の動きまで均等化を強いられることになったという面があります。ダブルタンギングの切れに関しては考え方として音が出ている時間と止まっている(タンギングで切っている瞬間)時間の割合によって決まりますが実際に止まっている時間はほとんど変えられないと考えると舌が自由に動かせる速度範囲においては速くなれば音の切れはより良くなるのが物理的に当たり前なのです。
考え方は色々あるのですが、それはさておき、アーティキュレーションは言葉と同じ様なもの。「よく聞きよくしゃべる」のが言葉に慣れるための近道 ! エネスコやホラ・スタッカートを見ていればダブルタンギングが少し楽に出来るようになると思います。残念ながら舌の動きは映像では見えませんが…
今回の動画ではデュヴェルノワとペリルーで少しだけ、ディニクのホラ・スタッカートではわざとらしく循環呼吸を使っています。お楽しみ下さい。
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