今回はアナリーゼの予備知識として組曲と倍音に関して説明します。
バロック期では、「組曲 Suite」という名称はソナタ以前から使われていたもので、ほぼソナタと同じものだった。ソナタは教会ソナタと室内ソナタ(舞曲中心の構成で世俗的であるという事から教会では演奏できないもの、これは舞曲構成の組曲も同様)に分類されていたが17世紀にその違いが次第に曖昧になり、組曲の方はコンセール、序曲、パルティータなど様々な名称と形式で書かれるようになる。J.S.バッハは組曲の基本形としてプレリュード、アルマンド、クーラント、サラバンド、メヌエット(ブーレ/ガヴォット)、ジグーの構成を定着させたが、フランスでは例えばプレリュードが14曲とかクーラントが4曲とか、フランソワ・クープランでは組曲の事をオードゥル(ordre=順番)と呼んで、中には23曲構成というものもあった。そして時代と共に変化し、ロマン派時代では舞台音楽から抜粋して集めた曲を「組曲」とする事が多くなり、フランスでは普仏戦争後、フォーレの回で書いたように国民音楽協会の理念、フランスの芸術(Ars Gallica)を主張することで、再びクープランやリュリのスタイルに基づく構成が多くなった。
バッハよりもっと昔、アルマンド、クーラントがあくまで「踊り」だった時代、この2つは連続した踊りだった。アルマンドの2拍子に対してそれを3分割することで3拍子になり速いステップの踊りになる。それが後期バロックの組曲では独立した2曲になった。ここでポイントになるのが本来舞曲であるのでステップの踏み込みのための一歩が拍より前にあるという事。この「はじめの一歩」が「アナクルーズ」なのである。だとすると元々アルマンドと一体で続いていたクーラントにも絶対にアナクルーズがある。でなければ拍が足りなくてつながりようが無い。つまり、楽譜にアルマンド、クーラントと書かれていても(繰り返しの有無も判断要素だが)アナクルーズが無ければ本来違う曲だった可能性やアルマンドとクーラントの関係にはなっていない、あるいは出版段階でかってに付けられた名前と考えるのがアナリーゼでの常識である。
作品の中の音階や和音が倍音列の影響を受けたり倍音列を利用したりしている場合がある。このあたりもアナリーゼの対象となる。作曲技法に倍音概念が取り入れられるのは20世紀に入ってからだが、アナリーゼ的にみるとバロック期から倍音関係によって生み出された作曲技法は存在する。
一つの音程の音が鳴ればその音波の周波数の整数倍の周波数が自然に発生する。
フルートの場合最初のオクターヴを基音として、第2、第3オクターヴは倍音を使っているのは誰もが分かっているが基音にも当然倍音はすでに含まれている。
20世紀以後の作曲家達の倍音に関する共通した概念は、例えば Cの倍音列構成音G、E、B、D、FisはCに対して全て協和音関係 であり、この音どうしの組み合わせは和声論的に不協和音だったとしても安定した純粋な響きをもたらすので協和音であるという考え方。
では倍音の存在は、曲の中でどんな事を生み出したのか。
前出の「倍音列構成音は協和音」という原理からすると例えばC-durの主和音C、E、Gは根音の倍音列の低次倍音列の構成音だがc-mollではC、Es、Gとなり根音Cの倍音列にはないEsが入る事になり安定した響きにはならないと考える。バッハや他のバロックの作曲家たちは感覚的にそれを感じていたのだろう。特にバッハにおいては短調の曲の終止において、例えばそれが終曲である場合や次の楽章(大抵は長調)とのハッキリした切り離しを考えている場合、最後の和音の第3音を半音上げて長調にする、いわゆるピカルディの3度を使用することが多い。ピカルディを使わない場合は第3音(と第5音)を抜いてオクターヴで終止する。そうすれば完全協和音の安定した響きが得られる。
これは18世紀の作曲家ジャン=フィリップ・ラモーの理論書に書かれていたものでトニックとサブドミナントの3和音に根音の長6度音程を付加するという考え方。C-durトニックならばC E G Aになる訳だが、これをA C E G の第1転回形とは考えず、あくまで6度の付加と考える。これも前出と同じで倍音で考えるとCを根音としてC E Gは協和音、Aを根音としてA C Eは、不協和音となり音響的に違いがある。この手法はドビュッシーにより拡大され、ラヴェルはさらに発展させて属7、属9への付加、さらに短6度音程の付加が使われている。ゴーベールの作品でも多く見られる。
隣接する低音(半音程)が同時に響いた時に、その上にそれぞれの倍音列に含まれる音を混合して鳴らすという手法。典型的な例が「リノスの歌」で、最初の部分の音の全てはピアノのバスのGとAsの倍音のみで書かれている。全てが一体化した協和音状態なのでその中で動くフルートの速いパッセージは必然的に32分音符の高速フュゼーの必要性があり、カデンツァ風にゆっくりから動くなんて演奏は作曲の意図とは全くかけ離れている。
≪シャルル=マリー・ヴィドール 組曲 作品34≫
構成上は一見4楽章ソナタに見えるが各曲の形式は様々で、全体としてソナタの形態には当てはまらない。特徴的なのは第1曲のモデラートが4分の2拍子、第2曲のスケルツォが8分の3拍子で、両方ともアナクルーズから始まる前奏部分を持つ。この拍子の関係とアナクルーズによるつながりは、J.S.バッハにおける組曲のアルマンドとクーラントの関係そのものである。そうするとロマンスはテンポ的にはサラバンドに相当するようではあるが、これはベートーヴェン以後よく使われてきたいわゆる「ロマンス」と考えられる。4曲目もFinalという題名がふさわしいだろう。これまでフルート名曲♪研究所で扱ってきたパリ音楽院卒業試験課題曲と違うのは多声部による対位法が使われている点。これによって違うメロディーがフルートと並行して一緒に動いたり、3度音程で重なっていたり、フルートが伴奏にまわったりという様な、他声部とのアンサンブルの要素が強くなっている。
ヴィドールのこの作品の最大の特徴は、「即興」としてのペリオドがふんだんに使われている点。演奏してみてすぐに気が付くのは、短めのカデンツァ風パッセージが幾つも挟み込まれているという事。これはカデンツァと言うよりは「書き込まれた即興音形」と考えるべきである。ヴィドールは即興の名手でありオルガニストとして活躍中の作品だ。
何と言っても印象的なのが曲の冒頭の短い前奏、特にピアノの右手の高い音域でのオクターヴが魅力的に響く。この部分パッと見にはリノスの冒頭と譜面的に似ている。ジョリヴェのドゥーブル・バスは、あくまでバスの響きとその上声部の関係なのだが、このピアノの右手をドゥーブル・バスと見なせば高い音程の倍音では同じ様な関係が当てはまる。この印象的な響きはしばらく頭の中で響き続ける感覚がある。これに続くテーマのメロディーはロマン派的な普通のメロディーラインだが、このメロディーを含め、ピアノ右手の内声の16分音符も全ての音がAsとGの倍音に相当(5小節1拍目のウラにDesが出てきてここで転調するまで)する。そのためかなり自由な動きの内声音形もごく自然に響きの中に安定して溶け込む。オルガニストとして複雑な倍音の中に生きた作曲家の独特な感性であり、ジョリヴェのドゥーブル・バスより70年も前に感覚的に導き出した作曲技法である。構成としては基本的にセクエンツィア形式で、フレーズは2回繰り返される。
第2曲スケルツォも即興的な短い前奏を持つ。今度はオクターヴのHのみで書かれている。構造的にはピアノのオクターヴにフルートをユニゾンで重ねてあり、オルガンに例えるならオクターヴ・ストップとフルー管ストップ使用の響きだ。伴奏形は、コントルタンで止まるイアンブのリズムのリズムペダル、フルートのメロディーはトロシェーのリズム、フルートは途中から16分音符の下行形の連続になるがここではわずかな転調が連続する。フルートがトロシェーのペリオドがテーマA、16分音符のペリオドがテーマAのコマンテール。次にピアノ右手が奏するたっぷりとしたメロディーがテーマBで、ここではフルートのアルペジオにかけられたスラーとピアノ左手のイアンブの上行アルペジオ、右手はヘミオラとなるポリリズム的な対位法を構成する。再び前奏が1音上がって現れ、高揚感を誘うが、元に戻ってテーマA、テーマBからコーダに至る。形式は2部形式。
第3曲ロマンスは3声で書かれているがバロックのトリオ・ソナタに近い書法と考えられる。最初にAs-durのドミナントEsのオクターヴが響きテーマAがフルートに現れる。Esのオクターヴはすぐにピアノ左手に移り、通奏低音的なバス、オクターヴを重ねるところはオルガンのペダルの16ftストップの様である。30小節からテーマAのコマンテールが始まるが次のペリオドではこのコマンテールのフレーズを基にしたテーマBとなって変化に富んだ即興演奏を楽しみ、その後にテーマAが再現する。テーマBがテーマAとは、特に即興性と言う点で性格が異なりコントラストが明瞭なので3部形式である。
ピアノのアルペジオによる4小節のデコ(Décor)からフルートによるテーマAが始まり、15小節で短い即興を挟んでテーマAのコマンテールが続く。コマンテールでは内声にアルペジオを維持し、バスとフルートが対旋律を2回繰り返し(セクエンツィア形式)フルートが上声部ペダルまで上昇するとピアノの右手と左手に対旋律が移行し、さらにドミナントへ一気に高揚してフルートの即興音形で終止する。30小節からはテーマB、38小節からはテーマBのコマンテール、最後にテーマAのモチーフを使った推移部を経てテーマAが再現する。79小節からEs-durに転調しテーマAのコマンテールのメロディーから派生したテーマCが声部を渡り歩きながら変奏を繰り返し、ピアノの即興音形をはさんで、テーマAのモチーフの展開が始まる。147小節でテーマAに戻り、テーマC(Bの派生)のメロディーが現れ、フルートは全面的に即興音形を演奏する。ここでも声部の渡り歩きが起きるがメロディーはオクターヴもしくは3オクターヴのユニゾンで、オルガンならば4、2ftストップで右手で鍵盤3段分を操作しペダルで16ftを使うという構成になっていてこれ程オルガン的な書法のフルートの曲は他に無い。曲の形式はロンドソナタ形式である。
この曲に関してはピアノ譜を含めて声部の関係を把握する事がまず重要だと思います。以前シャミナードの対談でアナリーゼでの形式論を説明した時、演奏するための地図の様なものが出来ると言いましたが、対位法が加わるとそこに音程による垂直方向の立体的なルートができ、それぞれのルートを友人達が歩くといった感じになります。時々一緒になったり違うルートに飛び移ったりという事になる訳です。可能な限り他の声部を聴き、アンサンブルをしていくのがポイントであり楽しみになります。即興音形でのフュゼーは演奏センスを問われる部分であり、何と言っても微妙な転調があるのが厄介です。まずは転調感を頭に刻んでとりかかった方が良いでしょう。実はヴィドールは出版されてしまった自分の楽譜に対して「やっぱりフォルテよりピアノにして欲しい」とか「この音は3度高く」とか変更を要求する事があったようです。印刷原版は金属板に彫師が彫ったもので変更は不可なのですが、それでも変更させたという話が残っています。つまり1ページ分丸ごと彫り直しをさせたという事です。フォーレでもそんな事は拒否されたのに…やはり「えらい」のです。従ってヴィドールの楽譜はほぼミスがないと考えて良いのですが動画の「フィレンツェ組曲」の初版楽譜ではミスが数ヶ所ありました。1919年第一次世界大戦終結直後の楽譜なので仕方がないかもしれません。
ヴィドール第1回で書きましたが組曲 作品34は現在の楽譜(1898年)と初版(1891年)で違います。まず第1曲の94小節から113小節のピアノの音形が変更されています。第4曲、Finalでは、第2主題のピアノの左手で声部が追加され、展開部のTranquillamenteの表示は初版ではPoco meno vivoになっています。再現部以降は曲の終わりまで大幅に変更されており初版では最後の方のフルートのパッセージは即興音形と言うほどの物ではありません。この部分1898年版ではかなり難易度が上がっており、かつ圧倒的に派手な曲想に変更されています。前出の様にヴィドールは出版に関しても「何でもできた」とすれば1898年の出版以後も変更する可能性はあったわけですが。そうしなかったという事はこの1898年版が完全完成形という事で現在の楽譜での演奏に関して「この曲は1898年作である」として良いと思います。そうすると、この1898年という年にフォーレのファンタジーも生まれた事を考えるとヴィドールとフォーレの関係を含めて極めて興味深い事です。同じ年にこれ程の名曲が2曲生まれたのです。若い頃サンシュルピスで転調合戦を繰り広げていた2人です。変更されたFinal後半部分のヴィルトゥオーゾ感、ダイナミックさはフォーレのファンタジーに対抗して書き換えた!!………なんて勝手な憶測はどうでしょうか?
ニュース
関連サイト