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生誕100年特別企画
ジャン=ピエール・ランパル

Jean-Pierre Rampal x Denis Verroust

Vol.3 ランパルと日本との関係

1950年代が終わる頃には、ジャン=ピエール・ランパルは演奏家として世界的に輝かしい名声を得ていました。彼は演奏旅行で当時の共産圏であるチェコスロバキアを含むヨーロッパ、アフリカ諸国、インドネシア、カナダ、アメリカ合衆国、メキシコといった多くの国々を訪問していたからです。それに続く10年間でランパルはバルカン諸国、中近東諸国、オーストラリア、そして日本において新たな聴衆に迎えられることとなります。

初来日と瞬く間の成功

1964年4月15日、ジャン=ピエール・ランパルの到着時の様子、当時フィリップス・レーベルの販売元であった日本コロムビアの代表者による歓迎を受ける。(©AJPR)

ランパルは1964年春に初めて来日しました。録音のおかげで既に有名であっただけに、人々の期待は大変高まりました。ランパルの録音は様々なレーベルから発売されていましたが、特にフィリップスと、日本コロムビアが契約していたクリテール、ボワット・ア・ミュジーク、エラートのものが挙げられます。

  • 1964年4月15日、ジャン=ピエール・ランパルの到着時の様子、当時フィリップス・レーベルの販売元であった日本コロムビアの代表者による歓迎を受ける。(©AJPR)

彼は読売日本交響楽団の招聘で来日し、1964年4月17日、東京での最初の演奏会ではイベールとモーツァルトの協奏曲KV313を演奏し、1975年までの演奏ツアーは同楽団が企画しました。ホールは満員で、たちまち聴衆に大きな印象を与えました。

『ランパルはフルートのフレンチ・スクールの偉大な伝統を代表する素晴らしい演奏家である。聴衆は難しいパッセージをいとも簡単に、そして優雅に演奏するさまに驚嘆した。つまりは、人々は終始、その純粋で、透明な音色、滑らかで抒情的な音楽の流れ、アラベスクのように複雑かつチャーミングな演奏のとりこになったのだ。ピッチに問題は全くなく、きらめくようなトリルとカデンツァはリズムの安定性とクリアな音楽の中でほとばしった。』
(1964年4月20日 マルセル・グリリの批評より引用)

初来日時の小林道夫との録音風景(小林氏のご厚意による)(©AJPR)

「東京のランパル」(©AJPR)

他のいくつかの公演に関しては、ピアノ兼チェンバロ奏者の小林道夫訳注訳注との共演で行われましたが、その中の公演の一つは1963年に悲劇的な死を遂げた、ランパルの輝かしい弟子の一人、加藤恕彦訳注訳注の思い出に捧げられました。ランパルのレコードが成功したおかげで、この最初の来日ツアーにおいて、さっそく共演者たちとの録音が2つ企画されたほどです。一つは有名なアルバム「東京のランパル」(フィリップス)で、もう一つは読売日本交響楽団とのモーツァルトの協奏曲集(日本コロムビア)でした。前者はすぐに大変な反響を呼び、後者は協奏曲の名盤と評されました。

  • 初来日時の小林道夫との録音風景(小林氏のご厚意による)(©AJPR)

  • 「東京のランパル」(©AJPR)

日本ツアー時のランパルの共演者

1967年2月、神戸駅で出迎えられるパリ・バロック・アンサンブルのメンバー(左よりポール・オンニュ、ロベール・ヴェイロン=ラクロワ、ランパル、ピエール・ピエルロ、ロベール・ジャンドル)(©AJPR)

1965年、ピアニストの井上二葉と(©AJPR)

1965年よりピアニストの井上二葉訳注訳注がランパルのリサイタルの共演者を務めることとなりました。彼女は1981年まで100回を超える演奏会と数々の録音で共演しました。演奏ツアーは札幌交響楽団との共演も含めて次第に日本の各地に拡大し、1968年まで毎年続けられることとなりました。1967年にはパリ・バロック・アンサンブルを招聘し、同時にヴェイロン=ラクロワとのリサイタルを開催したことから特別な年となりました。その後、ランパルのスケジュールはあまりにも過密になってしまったため、日本では文字通り賞賛の嵐だったものの、例外を除いて一年おきに来日することとなります。1970年までは日本ツアーの日程は10日程度でしたが、それ以降は20日程度にまで増えることがありました。

  • 1965年、ピアニストの井上二葉と(©AJPR)

  • 1967年2月、神戸駅で出迎えられるパリ・バロック・アンサンブルのメンバー(左よりポール・オンニュ、ロベール・ヴェイロン=ラクロワ、ランパル、ピエール・ピエルロ、ロベール・ジャンドル)(©AJPR)

年によっては特別な演奏家と共演することもありました。たとえば、1968年にはオーレル・ニコレとランパルが東京文化会館でジョイント・リサイタルを開催し、大きな成功を収めました。1972年にはアマデウス四重奏団訳注訳注と共演。1973年には新たにマクサンス・ラリューがバロック音楽のトリオ・ソナタなどでいくつかの公演に参加しました。1988年にはザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団との共演で、ランパル、工藤重典、マリエル・ノールマン訳注訳注をソリストに迎えた4公演行なわれます。また、ジョン・スティール・リッターは1970年代中盤からアメリカ合衆国で既にランパルと演奏活動を行っていましたが、1983年より日本ツアーに同行するようになり、またランパルはNHK交響楽団、東京都交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団といった日本を代表する交響楽団と共演し、名古屋や大阪のオーケストラにも招かれました。1997年と1999年に行われた最後のツアーは主にカタルーニャ人のクラウディ・アリマニー(Fl)とのデュオ・コンサートとなりました。

1973年10月、東京、日本コロムビア第1スタジオ、テレマン、J.S.バッハ、C.P.E.バッハのトリオ・ソナタの録音、共演者:マクサンス・ラリュー(Fl)と鍋島元子(Cemb)(©AJPR)

ランパル、工藤重典、ジョン・スティール・リッターにより1987年10月に録音されたソニーのディスクのジャケット(テレマン、バッハ、クーラウ、ドップラー、モーツァルト)。(©AJPR)

1999年、最後の来日におけるランパル。これは22回目の日本ツアーであった。(©アルソ出版株式会社)

  • 1973年10月、東京、日本コロムビア第1スタジオ、テレマン、J.S.バッハ、C.P.E.バッハのトリオ・ソナタの録音、共演者:マクサンス・ラリュー(Fl)と鍋島元子(Cemb)(©AJPR)

  • ランパル、工藤重典、ジョン・スティール・リッターにより1987年10月に録音されたソニーのディスクのジャケット(テレマン、バッハ、クーラウ、ドップラー、モーツァルト)。(©AJPR)

  • 1999年、最後の来日におけるランパル。これは22回目の日本ツアーであった。(©アルソ出版株式会社)

日本での演奏会や録音のための特別プログラム

この驚異的な成功に関連して、3つの重要な点を指摘しておきましょう。1点目は日本における録音活動で、1975年まで来日するたびにレコーディングを行い、ディスクの数は13枚に上りました。その大半は日本コロムビア・レーベルより発売されましたが、中でも特筆すべきはDENONの協力によって1972年に実現した初めてのデジタル・レコーディングによるテレマンの《12のファンタジー》の録音でしょう。そしてこれらの録音の重要な点は、その多くが「リサイタル」に用意した楽曲を収録したことにあり、短い小品から構成されることで、ランパルの才能が持つあらゆる面に光を当て際立たせることができました。小林道夫の共演による録音のすぐ後に、フランスにおいてフィリップス・レーベルにより別のアルバムが製作されました。フランソワーズ・ボネ(Pf)の共演により『ジャン=ピエール・ランパルの黄金のフルート』とタイトルが付けられましたが、これは日本での限定発売のために特別に録音されたものでした。他の2枚は1967年と1975年に井上二葉との共演によるものです。また、1966年に最初のディスクが出た日本音楽の録音に関しては3枚にとどまりません。さらにリリー・ラスキーヌ訳注訳注との共演による録音は、ランパルのディスコグラフィーの中でも最も大きな成功を収めたものの一つとなりました。そして最後の録音は箏の合奏との共演によるものでした。

テレマンの《12のファンタジー》(©AJPR)

井上二葉との1967年の録音(©AJPR)

井上二葉との1975年の録音(©AJPR)

  • テレマンの《12のファンタジー》(©AJPR)

  • 井上二葉との1967年の録音(©AJPR)

  • 井上二葉との1975年の録音(©AJPR)


2点目は、ランパルが日本で行ったコンサートプログラムは、ヨーロッパやアメリカ合衆国で行なった内容と明らかに異なっていたことです。ランパルは国によって聴衆の好みが異なることを完全に意識しており、レパートリーに反映させる必要性を感じていたので、2度目の来日からはハイブリッドのプログラムを組むようになります。つまり、前半は古典的なレパートリーで構成され、後半は20世紀(同時代)の作品を紹介することに充てました。しかし、フレンチ・スクールの金字塔というべきフォーレやエネスコの作品や、ドップラーやファルカシュといった独特な色彩のある音楽、さらにはジュナンの《ヴェニスの謝肉祭》やボルヌの《カルメン幻想曲》といった超絶技巧の作品といったものも同時に組み込みました。もちろん、日本の音楽に対する目配りも欠かさず、《さくらさくら》や《春の海》といった曲はほぼ全ての演奏会で取り上げられました。こうすることで、クラシック音楽愛好家にも、超絶技巧の演奏を楽しみにしている人にも、フレンチ・スクールに魅了された多くのフルート吹きにも、そしてクラシックの音楽と同様に大衆的な音楽にも関心のある日本の多くのファンの期待に応えました。

ジョン・スティール・リッター、赤星恵一らと(©AJPR)

3点目は、ランパルが日本のフルート奏者から熱烈に支持を受けていたことです。日本フルート協会の創設メンバーであり会長を務めた吉田雅夫の友人であったランパルは、来日のたびに定期的にインタビューを受け、協会の25周年記念コンサートの際にオーレル・ニコレ、ジュリアス・ベーカーと「三大巨匠によるフルートの祭典」として招聘され、今でも伝説となっています。そして、毎年横浜に招かれ、何度も一緒に演奏した赤星恵一との美しい友情も忘れるわけにはまいりません。さらに、1980年の第1回ジャン=ピエール・ランパル国際フルート・コンクールの第1位グランプリを受賞した輝かしい弟子、工藤重典とランパルが出会ったきっかけも日本においてでした。

  • ジョン・スティール・リッター、赤星恵一らと(©AJPR)

ランパルが特に愛した国、日本と日本の聴衆

1985年のツアーにおいてジョン・スティール・リッターと。ランパルは日本料理をこよなく愛し、1981年には大前錦次郎、立花譲の共著による『The book of sushi(すしの本)』に序文まで寄せました。(©AJPR)

ランパルは日本料理も含めて、日本に特別な愛着を抱いていました。何とお寿司の本に序文まで寄せており、喜んで書いていました。さらに、1991年には東芝のレーザーディスクのために、これまでのディスコグラフィーの中でも特に人気のある曲を含めてランパルのお気に入りの作品を取り上げ、日本のファンに対する感謝のしるしとしての特別プログラムの録画を行いました。1995年には日本政府より勲三等瑞宝章が叙勲され、名誉館長に就任した、源内音楽ホール(さぬき市志度音楽ホール)訳注訳注の敷地内には現在も彼の胸像が設置されています。

  • 1985年のツアーにおいてジョン・スティール・リッターと。ランパルは日本料理をこよなく愛し、1981年には大前錦次郎、立花譲の共著による『The book of sushi(すしの本)』に序文まで寄せました。(©AJPR)



<執筆者プロフィール>
DENIS VERROUST
ドニ・ヴェルスト(ジャン=ピエール・ランパル協会 会長)

1958年生まれ。ピエール・ポーボン、イダ・リベラ、レジス・カル、フランシス・ギャバンにフルートを師事、ブール=ラ=レーヌ公立音楽院、サン=モール=デ=フォセ地方音楽院卒業。1980年よりフルート講師としての活動を始め、パレゾー音楽院講師を務める。教育、演奏活動、音楽学研究に従事。世界各地のフルートの国際イベントに招かれ、ジャン=ピエール・ランパル、クラウディ・アリマニー、フィリップ・ベルノルド等とソリストとして共演、録音を行う。ビヨドー、ストラヴァガンツァ等の出版社の企画に参画し、フルートやその演奏家、そのレパートリーについての多くの記事を寄稿。1991年には『ジャン=ピエール・ランパル-録音の半世紀』を出版。フランス国立放送のラジオ番組の構成にも長年携わる。
1991年より2000年まで「トラヴェルシエール・マガジン」の編集長を務め、ラ・トラヴェルシエール協会(仏フルート協会)の会長を2004年までの15年間務める。その間、1996、2000、2008年のフランス・フルート・コンヴェンションを組織する。
現在は2005年創設のジャン=ピエール・ランパル協会会長を務め、CDレーベル(プルミエ・ホリゾン)を主宰し、ランパル生誕100年の2022年秋にはランパルの伝記『普遍的なフルート』を出版予定。ユニヴァーサル、ワーナー等多くのレーベルにおいてランパルの録音の再編集に参画し、「ランパル:現代のヴィルトゥオーゾの始祖」と題して、多くのフルート・フェスティバルや音楽学校(大学)で講演を行う。
その他にもフルート界におけるレジェンド、特にマクサンス・ラリュー、オーレル・ニコレ、アラン・マリオン、ロジェ・ブルダン、ペーター=ルーカス・グラーフについての記事をフルート雑誌に寄稿し、録音の再編集に携わる。2016年より、上記各氏についての講演活動も行う。

※プロフィールは、掲載時のものとなります。


<ジャン=ピエール・ランパル協会 公式サイト>
https://www.jprampal.com/

<フランス・フルート協会主催 第6回 国際フルート・コンヴェンション 公式サイト>
https://latraversiere.fr/evenements/6eme-convention-internationale-de-la-flute/

「生誕100周年 ランパルへのオマージュ」
2022年10月26日(水)~30日(日)
ダリウス・ミヨー音楽院(エクサンプロヴァンス)

<ランパル協会 販売CD>
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※動画サービスやストリーミング配信では聴けない貴重な音源が含まれます。

Vol.4(準備中)