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生誕100年特別企画
ジャン=ピエール・ランパル

Jean-Pierre Rampal x Denis Verroust

Vol.5 並外れたディスコグラフィー(最終回)

録音中のジャン=ピエール・ランパル(ド・クルスの協奏曲、ジェリー・ルメール指揮リエージュの奏者と、1970年1月、「エラート」レーベル)(©AJPR)

ランパルは録音の分野において特別な存在です。78回転のSPレコードからデジタルまで、1946年の最初の録音から1999年の最後に至るまで半世紀以上にもわたり、そのディスコグラフィーはランパルの音楽を広める大きな決め手となりました。いつの時代もフルート奏者にとっては非常に重要な音源であり、フルートの録音においてランパルのレパートリーの広さは唯一のものとなっています。商業録音として手に入るオリジナルのディスクだけで350枚以上を数え、220人の作曲家の1,000曲近い作品を演奏し、信じられない数の世界初演を果たしました。これはフルートにとって音楽の理想的な例となっています。歴史的に彼のディスコグラフィーは、音楽界の発展を反映しており、大変魅力的です。具体的には、レーベル、室内オーケストラ、音楽学、古楽、国際的なネットワーク、通信伝達手段の発展、発達が挙げられます。それと同時に、何十年にもわたる音楽活動において、比類のない総合的精神を示してくれました。そして芸術的な面では、万人に認められた超絶技巧、魅力、完璧な音楽性の模範的な録音である、ということの他に何が言えるでしょうか。

  • 録音中のジャン=ピエール・ランパル(ド・クルスの協奏曲、ジェリー・ルメール指揮リエージュの奏者と、1970年1月、「エラート」レーベル)(©AJPR)

録音でのレパートリー

  • (78回転、1950年)

  • (1958年)

  • (1965年)

  • (1967年)

  • (1978年)

  • (1980年)

  • (1985年)

  • (1993年)

キャリアの初期から一貫して、ジャン=ピエール・ランパルはその録音において途方もない数のレパートリーを提供してきた。(©AJPR)

  • (78回転、
    1950年)

  • (1958年)

  • (1965年)

  • (1967年)

  • (1978年)

  • (1980年)

  • (1985年)

  • (1993年)

キャリアの初期から一貫して、ジャン=ピエール・ランパルはその録音において途方もない数のレパートリーを提供してきた。(©AJPR)

活動の初期からランパルの録音はあらゆるジャンルにわたっており、レパートリーを余すところなく再構築するという考えのもと、その全体像を練り上げるというのが彼の目的でした。

モーリス・アンドレ、ジャン=フランソワ・パイヤール、ミシェル・ガルサンとJ.S.バッハのブランデンブルク協奏曲の録音(1973年6月、「エラート」レーベル)(©AJPR)

まず、活動時期全般にわたり、既存の傑作と新作とのバランスが完璧に図られていました。初期のSPレコードではバッハ、モーツァルト、ルーセルに多くの時間を割きましたが、それだけではなく、テレマン、ルクレール、クープラン、さらには当時ほとんど誰も知らなかったベートーヴェンの変ロ長調の《ソナタ》にも光を当てました。彼の功績とも言えるレパートリーは常に最重要なポジションを占めています。1955年以前に既に、彼はJ.S.バッハのソナタ集とヴィヴァルディの作品10の協奏曲集に関して2つのバージョンのディスクを録音しています。またモーツァルトの協奏曲集やドビュッシーの《フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ》も忘れてはなりません。その後の4年間でハイドン、シューベルト、シューマン、ジョリヴェと収録曲を増やしていき、おおよそ10年ごとに重要な作品の新録音を行うことになります。例えば、J.S.バッハのソナタ集に関しては、1947-50年(SPレコード)、1954年、1962年、1973年、1985年といったように行われました。

  • モーリス・アンドレ、ジャン=フランソワ・パイヤール、ミシェル・ガルサンとJ.S.バッハのブランデンブルク協奏曲の録音(1973年6月、「エラート」レーベル)(©AJPR)

並行して、オーケストラとの共演や室内楽で演奏され、当時徐々に再評価されつつあった作曲家、テレマン、ヴィヴァルディ、ルクレールと同様に、当時は全くと言っていいほど忘れ去られていた数多くの作曲家、ボワモルティエ、ビュファルダン、コレット、ド・クルス訳注訳注、ガルッピ訳注訳注、サンマルティーニ、タルティーニ、クヴァンツ、ベンダ、ディッタースドルフ、リヒター、クレメンティ、ドヴィエンヌ、ホフマイスター、プレイエル、レイハ、グレトリ、ゴセック、クーラウ、オンスロー、メルカダンテ、ロンベルク、ライネッケ等の日の目を見た楽譜のページ数は目も眩むほどです。とはいえ、バロック、古典派あるいはロマン派のレパートリーが中心となる中でも、20世紀の音楽がないがしろにされることはありませんでした。それどころか、約60枚のディスクは1980年以前に録音されたものがほとんどでしたが、それぞれ1曲から数曲ずつ現代作品が収録されていたのです。

ベンダ、リヒターの協奏曲の録音(プラハ、1955年と1956年)。このディスクは有名な「ムジカ・アンティカ・ボヘミカ」シリーズの一枚として大きな成功をおさめ、再版を重ねたことで知られる。(©AJPR)

ベンダ、リヒターの協奏曲の録音(プラハ、1955年と1956年)。このディスクは有名な「ムジカ・アンティカ・ボヘミカ」シリーズの一枚として大きな成功をおさめ、再版を重ねたことで知られる。(©AJPR)

40社ものレーベルとの見事な調整

このようなレパートリーでの録音を実行に移すためには、レーベルの段階で合理的な調整が必要不可欠でした。1950年代がレコードの発展に伴う前例のない拡大期であったとすると、この時代では、ランパルとヴェイロン=ラクロワのデュオとフランス木管五重奏団を受け入れた「オワゾリール」、パリ・バロック・アンサンブルのプロデュースを行った「ボワット・ア・ミュジーク」、カール・リステンパルトのザール室内管弦楽団との共演による協奏曲集を制作した「ディスコフィル・フランセ」といった各レーベルを、非常に明確な方針でランパルは録音先を割り振っていました。1960年から1980年代にかけては、一時期フィリップスと契約したこともありますが、この時期が一つの頂点で、且つ、「エラート」レーベルの黄金時代に相当します。それに対し、続く20年間は「CBS」、次いで「ソニー・クラシカル」と新たに専属契約を結びました。しかし、彼のディスコグラフィーを上述のレーベルとの共同作業だけに限定するのは大きな誤りです。というのも、定期的に30社を超える他のレーベルにも録音していたからです。それらの録音の中には、フランスの小規模レーベル(「アレグロ」、「オルフェ」、「ヴェルサイユ」、「クラブ・フランセ・デュ・ディスク」等)、あるいは外国のレーベル(「ダイアル」、「オセアニック」、「エデュコ」、「ハルモニア・ムンディ」等)のものがあり、その他には「クラシック・バークレー」、「デュクレテ・トムソン」、「RCA」、「デッカ」、あるいは「ドイツ・グラモフォン」といった重要なレーベルとの録音もあります。さらに、ランパルはツアーで各地を回った際、外国の様々なレーベルからの依頼に応えることがしばしばありました。例えば、チェコスロバキアの「スプラフォン」、メキシコの「ムサルト」、カナダの「バロック・レコード」、アメリカの「コニサー・ソサエティ」、「ドーヴァー・プロダクション」に「デロス」、日本の「日本コロムビア」などです。


ジャン=ピエール・ランパルの初期の録音の中には忘れられていたルクレールのソナタ、ヴィヴァルディの室内協奏曲に光を当て、パスキエ三重奏団とのモーツァルトのフルート四重奏曲、さらには1953年の高名なピアニスト、リリー・クラウスとのリサイタルといった非常に重要なものが含まれている。(©AJPR)

ジャン=ピエール・ランパルの初期の録音の中には忘れられていたルクレールのソナタ、ヴィヴァルディの室内協奏曲に光を当て、パスキエ三重奏団とのモーツァルトのフルート四重奏曲、さらには1953年の高名なピアニスト、リリー・クラウスとのリサイタルといった非常に重要なものが含まれている。(©AJPR)

エラートの黄金時代(©AJPR)

「エラート」の黄金時代(©AJPR)

1980年からの「CBS」専属アーティスト時代(©AJPR)
1954年から1981年にかけてのランパルの「エラート」レーベルへの録音は大変網羅的なディスコグラフィーで、資料的な価値も併せ持つ。「マスターワークス」、次いで「ソニー・クラシカル」の録音ではレパートリーを刷新し、他ジャンルとのクロスオーバーに乗り出したことで際立っている。

1980年からのCBS専属アーティスト時代(©AJPR)
1954年から1981年にかけてのランパルの「エラート」レーベルへの録音は大変網羅的なディスコグラフィーで、資料的な価値も併せ持つ。「マスターワークス」、次いで「ソニー・クラシカル」の録音ではレパートリーを刷新し、他ジャンルとのクロスオーバーに乗り出したことで際立っている。

「フィリップス」での録音は1961年から1965年までのほんの数点しかないが、いずれも良く知られている。(©AJPR)

「フィリップス」での録音は1961年から1965年までのほんの数点しかないが、いずれも良く知られている。(©AJPR)

レコードの中には、海外を含む様々なレーベルで製作されたものがあり、ピエール・ブーレーズとの稀有な顔合わせによるC.P.E.バッハのニ短調の《協奏曲》やテレマンの《12のファンタジー》といった録音は、今や伝説となっている。(©AJPR)

レコードの中には、海外を含む様々なレーベルで製作されたものがあり、ピエール・ブーレーズとの稀有な顔合わせによるC.P.E.バッハのニ短調の《協奏曲》やテレマンの《12のファンタジー》といった録音は、今や伝説となっている。(©AJPR)

コンサートとディスク

演奏会の分野と同様に、録音でもいつも演奏するお決まりのパートナーが存在し、この「共犯関係」のおかげで、芸術的に大きな一貫性のある録音の数々を造り上げ、熱心な固定ファンを獲得することができました。こうして数えてみると、ロベール・ヴェイロン=ラクロワとは(パリ・バロック・アンサンブルや通奏低音としてオーケストラに参加したものを除いて)80枚、ジョン・スティール・リッターとは12枚、カール・リステンパルトにソリストとして呼ばれたものは17枚、クラウディオ・シモーネ訳注訳注のイ・ソリスティ・ヴェネティとは17枚、ジャン=フランソワ・パイヤール訳注訳注とは17枚、ブダペストのフランツ・リスト室内管弦楽団訳注訳注とは15枚あります。さらに、フランス木管五重奏団では12枚、パリ・バロック・アンサンブルでは9枚あり、ピエール・ピエルロ、リリー・ラスキーヌ、マリエル・ノールマン、アイザック・スターン、ミスティラフ・ロストロポーヴィチもおなじみのメンバーです。とはいえ、バッハのソナタ集やヴィヴァルディの作品10の協奏曲集のような全集録音の場合を除いて、演奏会と録音の間でのプログラム構成は明確に異なることを指摘しておきます。リサイタルにおいては、聴衆にフルート音楽の最良のレパートリーを披露するためにバロックから20世紀の多岐にわたる作品を演奏しますが、それに対し録音では、本質的にテーマを絞ったプログラム構成(ポツダムにおけるフルート、マンハイム楽派、イタリアの協奏曲といった企画が代表的なもの)となるため、忘れられた作品を再発見すると同時に、レパートリーを掘り下げる機会となりました。

ロベール・ヴェイロン=ラクロワと(シューベルトの1959年のものか?)(©AJPR)

ジョン・スティール・リッターと有名な「CBS」の30番街スタジオで(1980年)(©AJPR)

クラウディオ・シモーネとルイージ・ジアネッラの協奏曲の録音(イタリアのピアッツォーラ・スル・ブレンタ、1974年)(©AJPR)

アンドラーシュ・アドリヤンとフランツ・ドップラーの2本のフルートのための《協奏曲》の録音(モンテカルロ、1976年)(©AJPR)

マクサンス・ラリューにアラン・マリオンとクーラウの作品13-2の《三重奏曲 ト短調》の録音(パリ、1967年)(©AJPR)

  • ロベール・ヴェイロン=ラクロワと(シューベルトの1959年のものか?)(©AJPR)

  • ジョン・スティール・リッターと有名な「CBS」の30番街スタジオで(1980年)(©AJPR)

  • クラウディオ・シモーネとルイージ・ジアネッラの協奏曲の録音(イタリアのピアッツォーラ・スル・ブレンタ、1974年)(©AJPR)

  • アンドラーシュ・アドリヤンとフランツ・ドップラーの2本のフルートのための《協奏曲》の録音(モンテカルロ、1976年)(©AJPR)

  • マクサンス・ラリューにアラン・マリオンとクーラウの作品13-2の《三重奏曲 ト短調》の録音(パリ、1967年)(©AJPR)

最後に

ランパルのディスコグラフィーを分析しようとすると一冊の本ができあがることでしょう。すべてを詳述することはできないので、今回の連載では3つの特徴を取り上げて締めくくりたいと思います。

まず強調すべき1点目は、間違いなくランパルが同時代のフルート奏者と最も多くの録音を行ったということで、それはランパルが生まれ持つ寛大さを反映しています。彼は自分の父親さえも録音セッションに招いています。ロベール・エリシェ訳注訳注、ジュリアス・ベーカーに始まり、マクサンス・ラリュー、サミュエル・バロン訳注訳注、オーレル・ニコレ、アラン・マリオン、アンドラーシュ・アドリヤン、ランソン・ウィルソンから工藤重典、クラウディ・アリマニーに至るまで、2本フルートのアルバムはフルート音楽のレパートリーを大衆に広めるために必要不可欠なものであり、その中には至宝ともいえる録音を残しました。

2点目はその無限のレパートリーの広さです。リサイタル、協奏曲、あらゆる時代とジャンルにわたるアンソロジー、すなわちフルートとギター、フルートとオルガン、フルートと声楽、二重奏、三重奏、四重奏、五重奏と複数の編成でのフルートアンサンブルと、録音するにあたって特定のジャンルに固執することなく、ジャンルを超えて演奏を行ったという重要な貢献を忘れてはなりません。

3点目は、ランパルが録音で得た成功は非常に並外れたものだったことです。多くの受賞はもちろんのこと、リリー・ラスキーヌとのモーツァルトのフルートとハープのための有名な協奏曲、イ・ソリスティ・ヴェネティとのヴィヴァルディの協奏曲集、バッハのソナタ集や、クロード・ボラン(ボリング)の《ジャズ組曲》第1番、これはプラチナディスクとしておよそ30年前に既にミリオンセラーを突破していたもので、その他世界的に評価された録音のことが思い起こされます。加えて、フルートとハープのリサイタルからテレマンのファンタジーに至るまで、全ての録音が大きな成功をおさめ、大半のディスクは発売一年目にして3万枚以上さらには5万枚の売り上げまで容易に到達しました。あらゆるレパートリーにおいて、ジャン=ピエール・ランパルの音楽には抗しがたい魅力があり、そしてそれは今日においても不変のものなのです。

  • (1958年)

  • (1966年)

  • (1975年)

ベストセラーとして最も有名な3枚(©AJPR)

  • (1958年)

  • (1966年)

  • (1975年)

ベストセラーとして最も有名な3枚

ジャン=ピエール・ランパルのディスコグラフィーは現在200枚以上のCDに再版されている。(©AJPR)

ジャン=ピエール・ランパルのディスコグラフィーは現在200枚以上のCDに再版されている。(©AJPR)



<執筆者プロフィール>
DENIS VERROUST
ドニ・ヴェルスト(ジャン=ピエール・ランパル協会 会長)

1958年生まれ。ピエール・ポーボン、イダ・リベラ、レジス・カル、フランシス・ギャバンにフルートを師事、ブール=ラ=レーヌ公立音楽院、サン=モール=デ=フォセ地方音楽院卒業。1980年よりフルート講師としての活動を始め、パレゾー音楽院講師を務める。教育、演奏活動、音楽学研究に従事。世界各地のフルートの国際イベントに招かれ、ジャン=ピエール・ランパル、クラウディ・アリマニー、フィリップ・ベルノルド等とソリストとして共演、録音を行う。ビヨドー、ストラヴァガンツァ等の出版社の企画に参画し、フルートやその演奏家、そのレパートリーについての多くの記事を寄稿。1991年には『ジャン=ピエール・ランパル-録音の半世紀』を出版。フランス国立放送のラジオ番組の構成にも長年携わる。
1991年より2000年まで「トラヴェルシエール・マガジン」の編集長を務め、ラ・トラヴェルシエール協会(仏フルート協会)の会長を2004年までの15年間務める。その間、1996、2000、2008年のフランス・フルート・コンヴェンションを組織する。
現在は2005年創設のジャン=ピエール・ランパル協会会長を務め、CDレーベル(プルミエ・ホリゾン)を主宰し、ランパル生誕100年の2022年秋にはランパルの伝記『普遍的なフルート』を出版予定。ユニヴァーサル、ワーナー等多くのレーベルにおいてランパルの録音の再編集に参画し、「ランパル:現代のヴィルトゥオーゾの始祖」と題して、多くのフルート・フェスティバルや音楽学校(大学)で講演を行う。
その他にもフルート界におけるレジェンド、特にマクサンス・ラリュー、オーレル・ニコレ、アラン・マリオン、ロジェ・ブルダン、ペーター=ルーカス・グラーフについての記事をフルート雑誌に寄稿し、録音の再編集に携わる。2016年より、上記各氏についての講演活動も行う。

※プロフィールは、掲載時のものとなります。


<ジャン=ピエール・ランパル協会 公式サイト>
https://www.jprampal.com/

<フランス・フルート協会主催 第6回 国際フルート・コンヴェンション 公式サイト>
https://latraversiere.fr/evenements/6eme-convention-internationale-de-la-flute/

「生誕100周年 ランパルへのオマージュ」
2022年10月26日(水)~30日(日)
ダリウス・ミヨー音楽院(エクサンプロヴァンス)

<ランパル協会 販売CD>
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