加藤:
前回のフォーレの分析のところで「形式論」みたいなのを簡単に説明したんだけど、その「形式」は何かっていうと…。例えば、提示部とか中間部とか再現部みたいな事をまず言葉で把握するっていうことで、それで時間的な流れの中の位置関係っていうのがすごく把握しやすくなる。
それによって時間の流れの中の「地図」みたいなものが出来あがるんですよね。
その「地図」が出来上がったところで、例えばそこに音の高低差があって、上がって行くんだったら単純に5度上がればドミナントにいくわけだし、そのままトニックに降りるだろうなと。おそらくドミナントに登るためには一生懸命登らないといけないんです。坂道みたいに。そこから下ってくるときは勝手に降りてくるんだろうなと。で、降りてきた先の道が右に曲がってますよ、とか、左に曲がってますよ、とか、そういう位置関係だとかルートだとか、ストーリーが分かっていた方が、演奏した時の表現っていうのがはっきりするっていうのがありますね。だからそれが頭に入っているか、入っていないかでだいぶ違ってくるっていうところがまずひとつです。
加藤:
今まで演奏してきた曲の中で、ブレスに関して辛かった曲はどんな曲がある?
生野:
今回演奏するシャミナード(コンチェルティーノ)、ライネッケ(コンチェルト)、バロックだとJ.S.バッハの無伴奏パルティータのアルマンド、イベールの小品、コンチェルトの2楽章とかもそう思いました。
加藤:
その辺りっていうのは、特徴的に誰が吹いてもちょっと面倒くさいところがありますね。それで今言った中で、基本的にブレスが辛いっていうのは、フレーズ1コが長いっていう場合もあるんだけど、もっと「ツラい」っていう状況になるのは前回やった「エリジオン」っていうのが…、フレーズがくっついちゃっているっていうのが原因っていう場合が多い。
それでシャミナードでもそう。フォーレでもそれは起きているんだけど、フォーレの場合はそれでも若干下の和声でちょっと区切っている。だからブレスはシャミナード程はキツくないんじゃないかな。それと、ライネッケは後期ロマン派なのでやっぱり元々のフレーズが長い。
元々のフレーズが長いのにさらに繋がっていかれたんじゃ、それは大変だなってところがありますよね。
で、バッハの場合は少し違って、アルマンドに関して言うと、対位法的にいろんな声部が並行して動いているはずのものを一つにくっつけて単旋律化していっている。そうやってくっついているところっていうのは、あれは16分音符で構成されているので、その16分音符の隙間のところでブレスしないといけない。そうすると元々16分音符の時間が短いのに、その隙間でブレスをしなきゃいけないっていう…、ちょっと面倒くさいことになりますね。しかも、そのフレーズが終わったら、対位法的にその1コのブロックっていうのがその次にもう1コ、ぼん、っと長いフレーズが出てきちゃうんで、その分結構大変になるっていう所がありますね。
で、そういうブレスがキツイ時って、何をどうやったら上手くいくかって色々やってみたりする?
生野:
やってみたり…します。
加藤:
結論はなかなか出ないでしょ??
生野:
なかなか、出ないです…。
加藤:
基本的にエリジオンが明らかで、っていう形であれば、エリジオンした後の音、つまりカデンツが終止した後でブレスをしてしまえばそれで済むんだと思うんですよね。
ロマン派の人たちは、どんどんどんどんフレーズが長くなっていって、フルートで吹くことをほとんど考えてなかったと思うんですよね。やっぱり音楽としてしか考えてなかったっていうところと、作曲の方法論としてどんどん伸びていく。で、一番すごかったのが、特にワーグナーがそうなんだけど、何が起きたかっていうと、メロディーの下にあるはずの…、要するにエリジオンする時の、フレーズが切ってあるはずのカデンツが解決しなくなっちゃうのね。解決しないっていうことは、どこに行くか分からないわけで、それをやられてしまうと上のメロディーもどこに行くのか分からないで繋がっていくっていう形になる。結果的に、ずーっと音楽が流れていくような状況っていうのがでてくるんです。これはメロディーの永遠性という事なんだけど…我々はワーグナーのソロの曲なんかないわけで、オケの中でしかでてきませんけどね。
フランスのロマン派では、あんまりそういうことはなかった。それは、一つは中心になってた人達がオペラの作曲家だったこと。もう一つはフォーレみたいにオルガン系、宗教音楽、もしくは教会の讃美歌に近かった人たち。だからどっちにしても一つのフレーズっていうのは鼻歌で歌えるフレーズしか作らなかったのね。
だけどもやっぱり、長くしたい。
そこでエリジオンが起きたということです。
それによってフレーズはどんどん長くなるんだけども、あくまでもフレーズとしては切れているんで、フレーズで切ってブレスをしてしまえばいいと思いますね。
で…
息が長いか、短いか。長く続く方がいいんですけど、なんて言うのかな。
それはフルートをずっとやってきた人間の本能みたいなもので、やっぱりここまで続けたい。みたいな。
時々、無理してブレスしないでいって失敗することってあるでしょ?
ただ、前回のフォーレのロマンスの最後の方で生野さんがやってたブレスって、かなり長かったと思うんだけど…、これで続けて吹いていってどうなるかなって思っているとそのままいっちゃって、全然クリアしてたってことが続いてた。かなりすごい事だと思ったんだけど…、そこまで出来てもシャミナードの方がキツイ?
生野:
かなり、私的には。
加藤:
そうだよね。ふふ。
加藤:
今回シャミナードで、1900年頃のパリの音楽界のことをひっくるめて観ていったんだけど、ちょうど1900年っていうとオリンピックと万博が一緒の年にあったりして、いろんなことが一気に変わっていった時代で、政治的にも不満がでたりすることはあったんだけど。
シャミナードの一生を生野さんには調べてもらって、こっちは当時の新聞を見ていったりしましたけど…、調べてみてどうでした?
生野:
結構ビックリする部分があって…。もともとその時代の作曲家は男性ばかりというイメージがあったのですが、フルートの世界でも男性ばかりだったんだなというのが意外に思いました。
詳しくはこちら
⇒ Cécile Chaminade セシル・シャミナード
加藤:
うん。
作曲家の方が女性が昔からちらほらいたのかなっていう感じがします。ひとつは女性のフルーティストがいたとしても記録が残ってないのかもしれないっていうところがあって、そこらへんはちょっと分からないんだけど…。
元々、その時代のフルートっていうのは男性の職業。なんでかっていうと、フルートを勉強してそっから先の就職先っていうか、仕事にしていく先っていうのがあるよね。ちょうどシャミナードの時代にはオーケストラがたくさんできて、サロンも華やかになっていった。で、パリ市内ではそういう形でいろんな演奏活動ができた。
あともう一つは、地方にもやっぱり国がちゃんとした音楽院を作っていった。地方音楽院に生徒がいれば当然先生も必要になっていく。そうすると地方音楽院の頂点に立っていたのがパリ音楽院なのでそこから卒業して先生になっていくって人が多かった。
例えば、カルメン・ファンタジーを作曲したボルヌもそういう形でトゥールーズの先生をやっていたのかな。当時のトゥールーズの新聞なんかを見ていくと、時々、演奏会をやったなんてことがでてくる。その中で印象に残っているのが、タファネルのミニヨン・ファンタジーをボルヌが演奏したなんて記事がありましたよ。無理だけど…聴いてみたいよね…。
そして一番の最大の就職先っていうのが軍隊のブラスバンドだったんだよね。
なんでかっていうと、その当時、戦争がしょっちゅう起きるわけだよね。普仏戦争はあるわ、第一次世界大戦はあるわ…。その戦争のために軍隊を整備していた。「連隊」っていう言葉は聞いたことがあるよね。軍隊は組織構成として第何連隊っていう名称で分かれていた。その連隊が200連隊以上ある。そしてその連隊一つひとつが全部ブラスバンドを持ってた。ってことは200と計算してフルートが4本いるとしたら800人でしょ。そうしたら800人の就職先があったってことですね。だから当然パリ音楽院を出てからそのまま軍の吹奏楽団に入る人もいるし。おそらくその頂点にあったのがギャルド・レピュブリケーヌ。
近衛兵音楽隊(このえへいおんがくたい)っていうのかな。ギャルドは僕が向こうにいた時にもいろんな活動をしていましたよ。
加藤:
フォーレのファンタジーでもそうなんだけど、シャミナードの方が音符の動きなんかは細かかったりとか、ちょっと「ヴィルトゥオーゾ」の側面があるよね。フォーレとシャミナードでは、生野さんが吹いた感じはではどうですか?
生野:
かなり違うなと、思いました。
コンチェルティーノはフュゼーがたくさん出てきたと思うのですが、コンチェルティーノのフュゼーはフォーレよりもかなり高速で、軽やかで、鮮やかさみたいなものも感じます。
加藤:
【25小節目】なんかは一応調性の中に入れてる音階なんだけども、たぶん最初の下降形の音階【25小節目】はきちんと16分音符とか32分音符で書いていない。8分音符と16分音符で書いてその中(2拍分)に適当に入れてくださいみたいな。これはシャミナードのピアノの曲の中で、グリッサンド等でよく使ってる書き方。てことは、ひょっとしたらあそこは本来グリッサンドのつもりで書いたのかもしれない。ピアノだったら鍵盤の上を指をそのまま滑らせて弾くでしょ。おそらく下の調性で合わないので音階で書いているだけで、本来だったらC-durの音階で下に落としちゃってもおかしくないんじゃないかって思いますよ。
フュゼーの速さっていうのは、確かに僕もそう思う。
フュゼーだけじゃなくて、【73小節】とか、タンギングしながらわけの分からない跳躍しながらでも速い。
結局…、なんていうのかな。
本人が演奏していた作曲家、特にこの時代の人達っていうのはどちらかというと、いわゆる「ヴィルトゥオーゾ」っていうか「超絶技巧」的な技術の方向性っていうのをすごく意識していたんじゃないかな。
例えば、ロマン派の時代でライネッケにもそういうところはあるんだけど、おそらくモーツァルトとかベートーヴェンの時代と決定的に違うのが、根本的には「パガニーニ」という人間の存在なんだと思うんだよね。
突然、パガニーニっていうわけの分からないとんでもない演奏をする人がヴァイオリンで現れましたと。それでその当時だから、情報がないから噂になって、噂が噂を呼んで色んなところでコンサートがあるっていえば、みんなが行くようになった。
たとえば、シューベルトなんかは自分の家財道具を売り払って聴きに行ったっていう経緯がある。
リストはリストで、パガニーニの演奏を聴いて「私はピアノ界のパガニーニになる!」って言ったという話があるのね。その時代のサロン文化の中で、そういう圧倒的なテクニックを披露して喝采を得られるっていう世界があったと思うんだよね。
タファネルやジュナンがオペラ・ファンタジーなんかを書いたっていうのも、その流れなんじゃないかな。
シャミナードはピアニストとしてデビューしている。それとル・クーペっていうピアノの先生にしてみれば、シャミナードはかなりピアノが弾けるっていう状態だった。リストもパリに来ていたんだけど、その次の時代のピアノのスターっていうとショパンだよね。ショパンは色んなところでしょっちゅう演奏会をやっているので、恐らくショパンの方向性っていうのをちょっと考えていたんじゃないかな。
で、そうすると当然速いんですよ。音階やろうが何しようが。だからおそらくシャミナード本人が考えていたものは高速なんです。全てが。
そしてたぶん師匠のゴダールもかなりのヴァイオリニストだったので本能的にヴィルトゥオーゾ感覚を持っていたんじゃないかな。3つの小品の組曲やヴァイオリンソナタで書いているヴィルトゥオーゾ感は、しっかりシャミナードに受け継がれているんだと思う。
今の日本のフルート界で、コンチェルティーノなんかは中学生くらいからやる子がいるだろうから、本人も先生もきちんと吹こうと、吹かせようとする。でもきちんと吹く以前にまず速い。だから速いものがきちんとするのであって、きちんとしたものがいつか速くなるって考え方は全く違うのね。要するに音楽の根幹を全く無視してやってるってことになる。
生野さんの高速で鮮やかっていう実感は非常にいいことだと思います。
加藤:
シャミナードの場合はメロディーの美しさがあるよね。やっぱり最初のテーマなんかは印象的だし。コンチェルティーノでここがいいなっていうところはある?
生野:
【57小節】から…、間奏から入ってくるところの、差みたいなdolceで吹くところがいいなと思います。
加藤:
場面転換のすごく急なところだよね。シャミナードの作品だと、もっと昔に書いたピアノとオーケストラのためのコンチェルトシュテュックっていう曲があるんですけど、そこでも同じような場面っていうのはいっぱい使われているのね。やっぱりすごく魅力的に感じます。で、♪ファレ〜ドラシ〜ファ♪の前の間奏が結構かっこいいので、考え方としてはフォルテで思いっきり強く歌ってもおかしくないのね。だけどもdolceになっているってことで、そのギャップみたいなのがはっきり出てくるところだよね。
高速のところはどこが好き?
生野:
a tempo、vivoの【74小節】のところです。
加藤:
ここは結構特徴的なところだよね。この曲全体がそうなんだけれども、クロマティックをすごくよく使ってるよね。ここは伴奏系にも8分音符でタッタッタってクロマティックがでてくるんだけど、上昇しては下がるって形をとっているんで、支えている方の表情っていうのが緊張感をあおっては落ち着く、あおっては落ち着くみたいな形になっているのね。それに対してフルートはとにかく軽快に動いていくと。こういう音形っていうのもピアノ曲でも出てくることが多いみたい。例えばちょっと意味合いは違うけどショパン・エチュードの「黒鍵」の速い3連符を連想させるような…。カデンツァはどう?
生野:
カデンツァも結構好きです。
オクターヴで上がるメロディーのところが難しいですけれど、いいなって思います!
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