2026年は武満徹没後30年にあたります。
武満氏と公私ともに親交があり、現代音楽の第一人者として数多くの初演を手がけた小泉浩氏と、愛弟子の織田なおみ氏との対談を【上】に引き続きお届けします。
織田:
日本人フルーティストにとって現代音楽の入口となる作品というと何でしょうか。
小泉:
まずは福島和夫の《冥》(ID:9872)から始めるといいでしょう。
織田:
なるほど。福島和夫さん。
福島和夫さんや、同時代ですと八村義夫さんも大変重要な作曲家でしょうか。このお二人は年代的に野口龍先生と関わりが深かったというイメージですね。
小泉:
八村義夫さんの《マニエラ》(ID:35149)は難しすぎるかな。
織田:
ちょっと激しいですね。エキセントリックな感じがありますからね。
小泉:
福島和夫の《冥》がとにかく入門じゃないかな。吹きやすいし、美しいですしね。あと、福島和夫の《春讃》(ID:12152)もいいかもしれない。日本風だから入りやすいと思います。
織田:
まずちょっと譜面を見てみようかなと思った時は、福島和夫さんがおすすめですね。
織田:
これから現代音楽を聴いてみようと思う方や、あまり現代音楽に馴染みない音楽愛好家の方たちに、何かメッセージはありますか。
小泉:
既定概念にとらわれないで、凝り固まらないで、まあ聴いてごらんということです。
私の主治医はフルートを趣味で吹いていたんです。バッハやモーツァルトが好きで、「現代音楽なんかなんでやるんだ」って言っていました。それが湯浅譲二の《ドメイン》の初演を聴きに来て「小泉先生が何をやりたいのかが、この曲でわかった」と言って、それから現代音楽ファンになりました。
織田:
いい演奏を聴くことは大切ですね。
小泉:
音楽観や人生観が変わるぐらいの作品もあります。ぜひ、いろんな音楽会に顔を出してください。あまり、嫌だという気持ちで行かないでね。試しに聴いてみたら、中にはいい曲もあるから。単純にこれは好きだ、これは嫌いだという感覚で聴くのも大切ですよ。
織田:
これからの現代音楽はどうなって欲しいと考えていますか。最近の日本の若い作曲家についてお伺いできますか。
小泉:
昔、福士則夫が国立音楽大学で教授を務めているとき、毎年クラスで作品発表会があって聴きに行っていました。名曲を作った生徒が何人もいました。だから楽しみは楽しみですよ。ただものすごくいい曲なのに、曲名の付け方が良くなかったな。武満さんは、まず曲名を考えるとおっしゃっていました。曲名が決まったらもう曲ができたようなものだと。タイトルは重要ですよ。
織田:
すごく面白いですね。福士先生も作曲途中でタイトルを決められますよね。今回も、タイトルが決まったと先生から連絡をいただいて、でも楽譜はまだだとおっしゃっていました。確かにタイトルは重要ですね。どんな曲だろうって、想像を掻き立てられます。
小泉:
あとは若い演奏家、それと大学の先生にもうちょっと現代音楽の勉強をしてもらいたいな。学生に教えられるぐらい、先生自身もやらないといけませんね。
織田:
武満徹さんをはじめ、池辺晋一郎先生もそうですけど、とにかく音楽だけではなく、映画分野、文学者、芸術家、画家と、芸術ジャンルを超えた交流というのが当時の音楽家にはたくさんありましたよね。武満さんはルドンの《閉じた眼》という作品からピアノの作品を残しています。やはり様々な芸術に触れていたというのは作曲家の作品作りにも影響があったと思います。もちろん演奏家にとってもすごく多彩なイマジネーションを与えたと思いますが、その辺の印象はいかがでしょうか。
*『オディロン・ルドン(1840-1916)』フランス象徴主義を代表する画家。後のシュルレアリスムの先駆けといわれる。
小泉:
(『世界美術大全』を見せながら)これ見て、名画ばかり。世界美術大全。やはりこういうものを見るというのも重要です。とにかく一番印象的だったのはジェリコー。
*『テオドール・ジェリコー(1791-1824)』フランス・ロマン主義の先駆者で、ドラクロワにも影響を与えた天才画家。
織田:
綺麗ですよね、この陰影が…。私も絵画は大好きです。
小泉:
(ページをめくりながら)ターナーもいいですね。
*『ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851)』イギリスを代表するロマン主義の風景画家。代表作は≪雨、蒸気、スピード−グレート・ウェスタン鉄道≫≪戦艦テメレール号≫など。
小泉:
これだ、ジェリコーの《メデュース号の筏(いかだ)》。絵とは思えない、すごい迫力。かすかに遠くに船らしきものが見える。習作にはこの船の絵はもともと無かったそうです。それだとあまりにも夢も希望もないから本編では描かれている。これが希望なんですね。この絵を見た時はショックでした。ドラクロワも素晴らしいですが、やっぱりジェリコーの方がいいな。こういう芸術に影響を受けています。目から入ってくる芸術というのはすごいね。
*『ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)』19世紀フランスのロマン主義を代表する画家。代表作に≪民衆を導く自由の女神≫がある。
織田:
先生、この美術大全すごく立派だけど大変ですね、大きくて、重くて。
小泉:
大江健三郎さんに貰ったの。
織田:
先生は大江健三郎さんとは武満さんを通して知り合ったのでしょうか。
小泉:
いいえ、NHKの番組『大江光の音楽』で大江光さんと共演したのがきっかけです。武満徹さんと大江健三郎さんは友達でした。近所に住んでいたこともあるし、大江健三郎さんは音楽を聴くのが好きなんですよね。
*『大江光(1963-)』作曲家。ノーベル文学賞作家である大江健三郎の長男。
織田:
大江健三郎さんの小説に小泉先生が演奏したフルートの音色について一節書かれていますね。また、武満さんの曲を演奏すると、大江さんから感想のファックスが届いていましたね。
小泉:
あまりうまくいかなかった時は、「今日の《巡り》は、あまりよくなかった。僕は小泉さんの《巡り》で、もっとすごいのを聴いたことがある」ってはっきり言われたことがあります。
織田:
大江光さんの曲でCD制作していますね。
小泉:
あのCDはゴールドディスク大賞です。
織田:
そうでしたね。あのCDは話題になりましたね!
*『大江光の音楽』1992年に発表されたファーストアルバム『大江光の音楽』(ID:291)は、クラシック界では異例の大ヒットを記録し、日本ゴールドディスク大賞を受賞。ピアノとフルートの小品が収録されている。
小泉:
武満徹《巡り》(ID:15423)の日本初演は草月ホール。「イサム・ノグチの追憶に」という会で私が日本初演しました。
《巡り》の元々の原譜には、最後の伸ばしの音にはディミヌエンドが書いてありました。ところが演奏が終わったあと私のところにすぐきて、「それはおかしいかな」って言われました。それで武満さん自身で書き直したんです。ディミヌエンドが書いてあるけどクレッシェンドにしたいと。
織田:
そうでしたか。
小泉:
この曲の中で3箇所、タイの音の最後にカッコが書いてあります。これはここでブレスをしてもよろしいということです。
・1ページ目、1段目の最後から2段目につながるASのタイ
(*小泉先生がお持ちの直筆譜には音にカッコがついています)
・1ページ目、4段目の最後から2ページ目につながるCについているカッコ
・4ページ目、3段目のタイでつながるHのフェルマータの後についているカッコ
織田:
ブレスをしていいですよというサインがカッコなんですね。こういうお話は、やはり作曲家と直接付き合いがないと難しいですね。
小泉:
僕は他の現代音楽はどんどん吹けなくなってきている。指の速い曲はもう厳しいですね。湯浅譲二の《ドメイン》はもちろん吹けないし、福士則夫の《夜は紫紺色に明けて》も吹けない。だけど《巡り》だけは一生吹きたいなと思っているの。頑張って、最後まで、死ぬまでこの曲は。どこまでできるかわからないけどね。そのぐらい私は、武満さんの16曲の中で、この曲が一番好きです。これがもうとにかく最高傑作だと思います。今度の演奏会でも演奏しますよ。約7分くらいで、世界観がシュッとできています。深い悲しみを表しているというのもよくわかります。
武満徹 フルート作品一覧
まず、この曲の背景について述べます。
親友であった、イサム・ノグチ氏の死を悲しんで書かれた曲でして、全体的に「深い悲しみ」を感じます。それを表わす為にホロートーンとか、ポルタメント、また、重音も大切に吹かなくてはいけません。
私が100回以上練習で吹いているうちに、この曲から「輪廻」を感じるようになりました。その事を武満さんに話したところ、『それはうれしいです』と言われました。それを感じるような演奏が良いようです。
なぜ「輪廻」を感じるのかを考えていましたが、ある時、急に分かりました。
四国の高松に「イサム・ノグチ庭園美術館」があります。そこにイサム・ノグチ氏の代表作である「エナジーヴォイド」(=エネルギーの空間)という作品があります。巨大な楕円形の作品です。(写真を参考に)
この作品の前で「巡り」を演奏した時に、「ああそうか、そういう事か!」とひらめきました。「エネルギーの空間が『巡る』という事は、すなわち、『輪廻』を表わすのではないか」と。
「巡り」は武満さんのフルート曲で最高傑作だと思います。
皆様も100回以上、1,000回吹けば、おのずとそれを感じる時が来るはずです。
私は毎日の練習の最後に必ず「巡り」を吹きます。
つまり1年に300回は吹いております。
イサム・ノグチ作/
「エナジーヴォイド」=エネルギーの空間(1972年)
スウェーデン産 黒色花崗岩/高さ3.6m、幅3m、奥行き0.525m
2016年11月17日 イサム・ノグチ庭園美術館
開館17周年記念見学会・コンサートにて
織田:
フルートを持って吹きはじめた学生の頃から今現在までで、演奏する上で一番気をつけていることはありますか。
小泉:
難しい質問だね。健康と、やはり音色だと思います。とにかく《ソノリテ》。《ソノリテ》がもう全ての基本ですね。自分の音を自分の耳で聴くということです。それが良い音なのか、悪い音なのか。
織田:
私、初めて小泉先生のところにお稽古に上がったきっかけは、先生が私の大学での特別レッスンの際に「君へたっぴだね」っておっしゃって…。「試しにうちに来てみる?」とお声がけいただき、2〜3週に1回ぐらいのペースでレッスンに伺い、そこから3ヶ月間、私は《ソノリテ》の1番初めの「シ」の音しか吹かせてもらえなかった。だいたい1時間から1時間半ぐらいの間ずっと、一音。すごく衝撃的なレッスンでした。「じゃあ《ソノリテ》吹いてみて」っておっしゃるから「シー」って吹き始めると、「違う。もう1回」 それでもう一度「シー」って…。それが3ヶ月続きました。
小泉:
そう、それで。
織田:
とにかくそうじゃないんだって、先生がおっしゃるので、先生の録音を聴きまくったり、先生の当時の演奏会全て聴きに行ったり…。先生が、一体何が違うとおっしゃっているのかなんとか知ろうとしました。その当時、小泉先生の音色はかなり研究しましたね。
でも3ヶ月過ぎた頃にやっとシのフラットに進みました!(笑)。
小泉:
よかったね。
織田:
よかったですよ!もう先生の所へなんか行くもんかって思った頃でした。でもおかげで音色から何から矯正していただきました。
小泉:
武満さんも岩城宏之さんも言っていましたよ。大阪のいずみホールで一緒に演奏した、武満さんの《マスク》(ID:9119)と湯浅譲二の《相即相入》(ID:12179)。岩城さんと武満さんがリハーサルを聴いていて「どっちが吹いているかわからない」「おんなじ音だ」って言っていました。それはそうだよ、私があれだけ鍛えたんだから。
織田:
武満さんも聴いていらしたのですね。大江健三郎さんからお褒めの言葉をいただいたこともありました。私の名前はなくて〈ご一緒されたお嬢さん〉って書いてありました。「非常によく、あの小泉さんについていっていて、音も本当にどっちがどっちだかわからない」っておっしゃっていて。大変光栄でした。私が若かりし頃の、今より少し控えめな時の思い出です(笑)。懐かしいですね。
現代音楽を演奏するのは、私はとても重要なことだと思っています。フルートには名曲と呼ばれる作品がそれほど多くないからこそ、現代音楽はとても貴重だと感じます。本当にもっともっと学生にも、現代音楽を恐れずに果敢にチャレンジして欲しいですね。
小泉:
まずは大学の先生が《ソノリテ》をちゃんと教えて欲しいですね。重要なポイントだと思います。「おお、この子はなんか特徴がある、いい音をしているな」っていうのは最近少ない。自分の音を作る、ということを伝えていかないといけません。
織田:
自分で吹いてみようと思ってもらうために、何かお考えみたいなものはありますか。
小泉:
それはその生徒の先生が現代音楽を吹かない限り、難しいかな。
織田:
私は自分の先生が、野口龍先生と小泉浩先生でしたから現代音楽の分野は先生方の影響もあり全く違和感なく吹いていました。ただ私の場合は、好奇心というものも強かったです。私にとってクラシックももちろん大切ですが、現代音楽はちょっとかっこよさそうだなという感覚もありました。もしも自分の先生が現代音楽を演奏されなくても、たとえば現代音楽に関する小泉浩先生や諸先生方のCDがあったり、本があったり、もちろん楽譜も売っているわけですから、現代音楽に接するチャンスはあります。ぜひ手に取って挑戦してみてほしいですね。
小泉:
そう、やってみたらいいでしょう。
織田:
現代音楽は色々な特殊奏法もあって、すごく演奏家の個性が出ます。同じ曲を吹いてもおそらく他の奏者とは絶対同じ演奏にはならない。私が《巡り》を吹いたり《エア》を吹いても、小泉先生から様々な事を習ってはいるけれど、絶対に同じにはならない。逆にそれがいいことですよね。作曲家もそれを楽しみにしている部分もある。
小泉:
他の人と同じとか、誰がやっても同じなら、やらない方がいいんだから。
芸術というのは、絵だろうが詩だろうが何でも、人と同じじゃやらない方がいい。
織田:
そうですね。コピーになってしまう。この人の演奏は面白かったなという、その人の個性が出せますね。小泉先生の演奏は一番良かったけど、この人の演奏も良かったなとか。
私が経験した中では、末吉保雄先生がご健在の頃《空の一方に…》(ID:24872)を演奏する機会がありました。この作品は野口龍先生が初演してその後も度々野口先生が演奏されていた曲で、私の演奏会前に末吉先生に聴いていただく機会がありました。「作品の全体像がまだうまくつかめなくて、実は悩んでいるんです」とご相談しましたら、末吉先生が「今日はあなたの演奏をすればいいんだから、野口龍は野口龍、あなたの演奏は今日のあなたの演奏でいいから、あまり細かく考えないで、あなたらしくやってください」と言ってくださって、とても印象に残っています。また、野口先生や小泉先生に色々な現代曲のレッスンを受けても、だいたい常に8割方までしか教えていただけませんでした。「じゃあ、これであとは頑張ってね」と。野口先生も小泉先生と同様でした。「えー、ちょっとまだ全然作品を消化してないんだけど…」と思いながら、帰らされてしまう。ここまでは教えてあげたから、あとは自分でね、と。そこが自分らしさが出る究極のレッスンだったのでしょうか。
小泉:
そうですね。
織田:
現代音楽はその人の考えが如実に出ると思うので、非常に面白いです。自分らしさを出すには最高ですね。
小泉:
だからやめられない。
織田:
面白いですね。今回の演奏会での《巡り》もちょっと今までの演奏とは違うかもしれないですね。
小泉:
若い時と違うなと感じます。明らかに違う。でもそれがまたね、また面白い。非常に面白い。年取った《巡り》はこれから。85、90歳に近くなったらどうなるかなという楽しみがあるよ。今回のリサイタル、ぜひ聴きに来てください。
「福士則夫・武満徹2人展」
◆日時:2026年6月24日(水) 19:00開演
◆会場:ルネこだいら中ホール
◆出演:小泉 浩(Fl)/織田なおみ(Fl)/木村茉莉(Hp)/甲斐史子(Va)
◆料金:一般/4,000円 大学生/2,000円 高校生以下/1,000円
◆曲目:
<福士則夫>
・カモメは岬を巡り
・精霊の森
・6月のうた(世界初演)
<武満徹>
・マスク
・巡り
・そして、それが風であることを知った
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