フルート奏者の竹澤栄祐さんに執筆していただきました。

※この記事は2025年に執筆していただいたものです。

第6回

フルーティストと深掘りする

対談

竹澤 栄祐
×
神田 寛明


第6回は、NHK交響楽団 首席奏者の 神田寛明さん をお迎えし、フルーティストの視点から『〈バッハのシチリアーノ〉は真作なのか?』を深掘りします。
これまで多くの方にお読みいただいた記事も、今回が最終回です。


竹澤:
私が東京藝術大学の4年生だった頃、神田さんは1年生として入学してきました。
あれからもう何十年でしょうか。36年ほどになるかもしれません。
大学時代も長く一緒に過ごしましたが、その後も東京藝術大学で非常勤講師として共に働いてきました。しかし、神田さんとは何度か共演をしているものの、実はあまり真面目な話をする機会はありませんでした。だからこそ、今回のようにやや踏み込んだ話をする機会をいただけたことは、大変光栄に思っています。
神田さんは、私が本を出版したときに、誰よりも早く反応してくれた方です。Xで最初にコメントをくれて、さらにリポストしてくれました。「え、もう読んだの?」と思うほどの速さで、本当に驚いたのを覚えています。

神田:
本を送っていただいて、読む前にまずポストしました。

竹澤:
ありがとうございます。では、本を読む前に「<バッハのシチリアーノ>は真作なのか?」という点について、どのようにお考えでしたか?

神田:
偽作とされている3作品については、高校生の頃からCDを聴くときに、解説を読んで知っていました。「これは偽作であろう」とか、「BWV1020は確実に偽作らしい」「他の2つは真偽が分からない」、といった解説があちこちに書かれていたので、「そういうもんなのか」と思っていていました。特に深く掘り下げて考えず、そのまま吹いてましたね。偽作とされている曲も、真作とされている曲も、どちらも良い作品なので、当時はスタイルの違いなどあまり意識していませんでした。その頃は、そこまで気づける耳も、考える余裕もなかったのだと思います。
徐々に、「なんとなくテイストが違うのではないか」と感じ始める瞬間はあったんです。でも、それをうまく言葉で説明できるわけではなくて…。
それよりも先に、「これは偽作だ」「偽作らしい」という文字情報を解説で読んでいたので、そちらが先にインプットされていました。だから、そもそも「なぜ偽作と言えるのか」について深く考えることがありませんでした。

今回この本を読んで、「なるほど、そういう謎解きの仕方があるのか」と思いました。
私は『刑事コロンボ』が好きなのですが、このドラマは、最初に犯人が分かっている状態から、コロンボがどのように謎を解いていくのかを見る作品ですよね。ちょうどあれと似ていて、すでに「偽作らしい」という前提が頭にある中で、「じゃあそれをどう実証するのか?」という逆の道筋をたどる面白さがありました。もちろん、実証することの難しさについては本にも書かれていますが、まさに「音楽の謎解き」として、とても面白く読ませていただきました。

竹澤:
「謎解きの本としても面白かった」と言っていただけて、とても嬉しいです。
これまでも『“深掘り”<バッハのシチリアーノ>は真作なのか?』の記事や動画で取り上げてきましたが、もともとは博士論文で発表した内容が出発点です。それをアジアフルート連盟の会報で、長い時間をかけて書き溜めていきました。
ただ、そのままでは出版できないという指摘を受けて、改めて見直し、あえて「謎解き」のような構成に作り直しました。その方向性を出版社が認めてくれて、今回の本になったわけです。だからこそ、謎解き的で面白かったと言っていただけるのは嬉しいですね。
それも含めて、ぜひ改めて本の評価をお聞きできればと思います。ただ、ネタバレはできないので内容そのものには触れられませんが、読後の印象などについてお聞かせください。

神田:
この本については「どの章から読んでもいい」と書かれていて、それが本当にその通りなんです。構成がとても良くて、どこから読んでもいいし、タイトルを見て「これなら読めそうだな」と思わせてくれる。興味の湧いたところから読み始めて、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりしながら一つずつ入っていける。その自由さがすごく良いと思いました。
バッハの真贋問題だけでなく、ベートーヴェン、シューベルト、ショパンまで幅広く扱われていますし、何より「楽譜の見方の基本」がきちんと解説されている。本書はバッハに限らず、ショパンやそれ以降の作曲家にもそのまま通じる内容だと思います。一般の音楽愛好家にとっても読み物として楽しめるし、学んでいる人にはぜひ最初に読んでもらいたい本ですね。

学生の頃、無理して「演奏の原理」を読もうとしたことがあるんですが、文章が非常に格調高く難しくて、私の理解力では読み進めるのが本当に大変だった。あれは「1ページ目から順に読まなければいけない」という意識もあって、なおさらハードルが高かったんです。
その点、この本はそうではない。内容はしっかり押さえられているのに、読む側に「入り口の自由」を与えてくれる。その意味でも、今、学生たちに強く薦めている本です。

竹澤:
ありがとうございます。構成についても、神田さんがおっしゃった通りで、「最初から最後まで全部読まなければいけない」と思わせてしまうと、それだけで読む側はどんどん大変になってしまう。そこは特に意識して、何ヶ月もかけて工夫しました。
各章を独立させて、必ず一つの「謎解き」があり、その章の中で完結する構成にしようと決めました。同時に、全体としても最終的には一つの流れとして完結する構成を目指しました。章立てや章のタイトルも工夫をしています。そうした細かな点まで受け取っていただけたのは、とてもありがたいですね。

神田:
ショパンまで広がっているという話をしましたけれど、それだけでなく、絵画における真贋問題まで取り上げているところが、この本をより面白くしていると思います。

竹澤:
今回は、できるだけ多くの人に読んでもらいたいという思いがありましたし、音楽関係者だけでなく、美術の分野の方にも読んでもらえたら、ということは最初から考えていました。
このホームページで連載している記事は、かなり踏み込んだ「深掘り」になっていると思っています。内容としては、今お話ししてきたようなテーマを、さらに別の形で掘り下げていくことになると思いますが、そのあたりについてはいかがでしょうか。

神田:
動画はまだ全部見れていないのですが、やはり音を実際に聴くこと、動く映像で確認することはとても大事だと思います。これはバッハに限らずですが、感覚だけで演奏してしまう人も多い。感覚そのものはとても大切ですが、それだけではやはり限界があります。
感覚がなければ演奏として面白くならないし、かといって何も考えていない演奏でも困る。この二つは車の両輪のようなものです。この本にも書かれているように、楽譜を見ただけで「ここに十字架がある」とか、さまざまな意味が読み取れるわけですよね。
しかし、勉強したことをそのまま発表するのが演奏でもない、という点もとても重要だと思います。本の最後に書かれている、演奏家としての感覚、いわば香りを嗅ぎ取るような感性の話ですね。あの<シチリアーノ>のたとえは、とても鋭い表現だと感じました。
研究者としての視点を持ちながら、同時に演奏家でもある竹澤さんがこの本を書いた。その価値は、まさにそこにあるのではないかと思います。少し話が深掘りから逸れてしまいましたけれど。

竹澤:
改めてお聞きしたいのですが、ある作品が「バッハが書いたのか、書いていないのか」という真贋問題は、演奏に何か影響を与えるのでしょうか。

神田:
根本的に演奏を変えてしまうほどの影響はあまりないのではないかという気がします。というのも、昔の大演奏家たちは、現在では偽作とされている3つの作品を、真作だと思って吹いていた人もたくさんいたわけですし、その逆もあったでしょう。「これは偽作だろう」と思いながら演奏していた人もいたかもしれない。
ただし、演奏する側の人間は、やはりその仕組みや裏側を知っていなければいけない。だからこそ、「これはバッハとは少し違うな」と嗅ぎつける感覚は必要なんだと思います。学生の頃の自分には、正直そこまで嗅ぎ取る力はありませんでしたけれど。

竹澤:
例えばC.P.E.バッハやクヴァンツは教本なども残っていて、トリルをどうするか、装飾音をどう扱うか、といった具体的なことが書かれていますよね。
もし、ある作品がC.P.E.バッハのものだと分かれば、物理的にトリルをどうするか、といったことは演奏に関係してくるとは思います。
ただ、私たちが学んだ先生は、トリルを上から始めるか、その音から始めるかといった細部に非常にこだわる先生でした。それは確かに重要ですが、それがそのまま「感動」に直結するかというと、また別の話でもあると思うんです。

神田:
その通りだと思います。C.P.E.バッハ的に演奏するのか、クヴァンツの教えに従うのか、あるいはもっとロマン派の発想で、スラーや強弱記号を付け足したバッハの演奏もありますが、それはそれで一つのあり方として成立している。結局のところ、違いはあっても、それぞれが音楽として説得力を持っていれば、それでいいのではないかと思いますね。

竹澤:
いろいろな演奏の話にも通じますが、私の音楽学の先生がよく「偉大な作品は、どんな演奏にも耐えられる」と言っていました。たとえばN響の《運命》の冒頭一つ取っても、指揮者によってまったく違う始まり方をしますよね。それでも成立してしまう。その強度こそが、やはり素晴らしい作品の条件だと思います。
そう考えると、バッハという作曲家は、そうした“耐えうる作品”を本当にたくさん残した。その点にこそ、彼の価値の大きさがあるのではないかと思います。
もう一つお聞きしたいのですが、音楽学者は徹底的に研究し、一方で、演奏家は「こう感じる」「こういう香りがする」といった感覚で判断する部分もある。その二つが食い違うことも多いと思うのですが、その点についてはどうお考えでしょうか。

神田:
楽譜というのは、作曲家が残した唯一の「作品」ですね。画家なら絵を描いて「どうぞ見てください」で済むし、文学者なら文章を書いて「どうぞ読んでください」、料理人なら「どうぞお召し上がりください」となる。でも作曲家の場合、「書きました」と楽譜を渡されても、それを読める人は限られている。第三者がアウトプットしなければ、音楽にはならないわけです。
あれは「演奏の原理」だと思いますが、「音楽は、音が鳴っている間だけに存在するものである」と書かれていて、まさにその通りだと思いました。だからこそ、演奏家の責任は非常に大きい。
そもそも、完璧な楽譜というものは存在しません。この本にも書いてありますが、作曲家自身が演奏家であった時代には、すべてを書く必要がなかった。ところが、作曲と演奏が分業になっていくにつれて、アドリブが許されていた音楽が、次第に細部まで指定されるようになり、音楽記号だけでなく言葉による指示もどんどん増えていく。
それでも、どこまで書いても、楽譜は完璧なコンピュータープログラムのようにはなり得ない。だから私はいつも学生たちに、「作曲家が何を考えていたかを考えてみよう」と言っています。そのためには、その作曲家が何を食べ、どう暮らし、どんな性格だったのかまで知りたくなる。楽譜を読むというのは、そういうところまで含めた行為だと思うんです。

竹澤:
完璧な楽譜なんて、もちろんないですよね。私が生徒によく言うのは、「楽譜は絵文字と一緒だよ」ということです。スマホで「今向かってます💦」と送られてきたら、その汗マークから「急いでいるんだな」と読み取りますよね。
同じように、ターンが書いてあったら、それを単に「ターン」と読んで音形に置き換えるだけではなく、音楽の流れの中でどういう役割を果たしているのかまで考えてみる。書かれていること以上に、もう一歩先を読み取らないと、作曲家が本当に言いたかったことは見えてこないんじゃないか、という話をいつもレッスンでしています。
そもそも演奏というのは、ある意味で即興だと思っています。即興だからこそ、完璧な演奏というものは存在しないし、楽譜をどう解釈するかは、最終的にはその人それぞれに委ねられている。

神田:
たとえば、「どうしてここに>(アクセント)が書いてあるんだろう」「なぜここはp(ピアノ)なんだろう」と考えてみる。書籍には臨時記号の話もありましたけれど、特別に強調したいときには、そこに作曲家の気持ちが込められていることがあります。
それは、絵文字の汗マークと同じです。汗が付いていれば、「この人、相当一生懸命やっているな」「急いでいるのかもしれないな」と読み取ります。
たとえばルーセルなど、フランスの作曲家には(フォルテ)を3つを書く作曲家が多いです。でも、が3つだからといって、必要以上に頑張りすぎてはいけない。大抵の指揮者が言いますが、が1つとが2つは違う。と書いてあるとみんな頑張ってしまうが、しかし「大きい音」と「強い音」は同じではない。
逆に、モーツァルトやバッハの場合、p(ピアノ)と書いてあると、それはエコーを意味することも多い。最初に出てくるpが、必ずしも極端に小さい音である必要はないし、だからといって、過度に大きくする必要もない。
結局、作曲家が何を考えていたのか、その時代の常識は何だったのか、使われていた楽器の音量や、会場の大きさ、響きまで含めて考えなければならない。だからこそ、楽譜の見方は本当に難しいですね。

竹澤:
私たちも年を重ねてきて、「昔とは見方が違うな」と感じます。特に大学でレッスンをしていると、同じ曲を何度も扱う中で、「今だったら、こう読めるかもしれない」と、新たな発見が必ずあるんです。
ある指揮者が「《英雄》を何百回振っても毎回発見がある」と語ったそうですが、このくらいの年齢になると、その言葉が本当によく分かるようになります。

神田:
バッハの曲については、一年中、何人もの学生に何十回も教え続けているわけですが、それでも飽きるということはありません。むしろ、昔の生徒が今のレッスンを聞いたら、「先生、私のときと全然違うことを言ってますね」と思うかもしれない。でもそれは、「こちらも進歩しているんだよ」ということなのだと思います。

竹澤:
逆に、いつまでも同じことしか言っていなかったら、それは良くないと思っています。
研究も、演奏も、本来は進歩していくもののはずです。だからこそ、常にチャレンジすること、いろいろな新しい考え方を持って作品に向き合うことが大切だと思っています。
答えは永遠に見つからなくて、変わり続けるべきもの。発見がなくなったとき、演奏は終わる。いつも発見があり、チャレンジし続けること、それが演奏家にとって一番大事なことではないかと思います。


―――貴重なお話をありがとうございました。今回が最終回となります。最後に、愛読者の皆さんへメッセージをお願いします。

神田:
やはりこの本の結論は、竹澤さんが言っている「におい」ということに尽きるのだと思います。音楽を聴く、演奏する、その根底にあるのは理屈だけではなく、感覚。とくに「嗅ぎ分ける力」なんですよね。舌を育てるにはおいしいものをたくさん食べなければならないのと同じで、目を肥えさせるには美しいものをたくさん見なければならない。この本は、とてもコンパクトで読みやすいのに、音楽から絵画まで話が大きく広がっている。良い嗅覚を身につける、良い耳を育てる、良い趣味を身につける、そのための一助として本当に素晴らしい一冊だと思います。フルートや音楽を専門にしていない方でも、十分に楽しめる内容です。とにかく、多くの方におすすめしたいですね。

竹澤:
この企画を始めたときに思っていたのは、まず「本がモノクロだから、そこに色をつけたい」ということでした。それと同時に、「楽譜からは音が出ないから、やはり音を出したい」そう思って、映像や音を交えた形にしました。正直に言うと、最初に想像していた以上に深掘りできたと思っています。
作曲家との対談も非常に興味深かったですし、神田さんと対談できたことで、面白い話もたくさんすることができました。とても楽しかったですし、心から感謝しています。
そして、これは「終わり」ではありません。できれば続編として、さらにその先へと発展させていきたいと思っています。
それが、今の私の目標です。
ぜひ、これからも楽しみにしていてください。





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