生野:
「ヴィルトゥオーゾ」という言葉はよく聞くことがあるのですが、正しい意味はよく分かっていないかもしれません。
加藤:
だいたい「名人芸」という意味で使われますけど、元々は音楽用語ではなかったみたいですね。バッハの時代にはもう使われていたみたいで、そこから名人芸を讃える名称として「ヴィルトゥオーゾ」という言葉を使うようになったと思います。
バッハの時代にそういう名人芸的な演奏を「ヴィルトゥオーゾな演奏だ」と本当に言っていたかどうか、あまりよくわからないんですけれども、少なくともそれが後期ロマン派ぐらいになると、そういう言葉をはっきりと使うようになってきたということですよね。
例えば、我々から見たら、ヴィヴァルディは結構難しいパターンが多いから、やっぱり「ヴィルトゥオーゾ」の感じがある。C.P.E.バッハもそういう方向でしょうか。バッハはヴィヴァルディの合奏協奏曲みたいなものの楽譜を手に入れて、自分で編曲して勉強していた節があるんですよ。だからヴィヴァルディが持っている「ヴィルトゥオーゾ」な部分を取り入れようという考え方がちょっとあったんですね。バッハのフルート・ソナタは、それほどそういう感じはないけども、ヴァイオリンのソロ・パルティータやソナタは、とんでもなく難しく書いてある。1人で3声部のフーガをやったりしている。そう考えると、やっぱりそこら辺は「ヴィルトゥオーゾ」なんだろうなっていう感じがしますね。
C.P.E.バッハを経て古典派になると、ちょっとそれが落ち着きます。バッハの時代は宮廷や教会での演奏会にソリストが来て、そのソリストがすごく上手い人だったりしますが、古典派になると、音楽家の仕事は、ほとんどアマチュア相手になります。アマチュアの人たちが教会や宮廷で使われていた音楽を楽しむようになっていって、アマチュアの人口がものすごく増えた。だからモーツァルトも、すごく細かい音符で構成する曲はないでしょう。難しいけど16分音符までですよね。そういう形の楽譜を売ってお金にする。だからモーツァルトのG-durのコンチェルトも、結局、趣味でフルートをやっているお金持ちの人がオーダーした曲でしたね。ところが2楽章にはちょっと32分音符が入っていて、そうなると吹けないんですよ。それで困っちゃって、他の曲なんかあてがおうかなっていうようなことがありました。モーツァルトの場合は、最近の研究によると、ピアノ・コンチェルトに関しては、元々は自分で演奏するための曲だった。そうすると、出版用に書いた楽譜が存在して、みんなそれを今使っているんだけど、それ以外に自分が装飾をいっぱい書き加えた楽譜というのが実は存在していることがわかって、それ結構ね「ヴィルトゥオーゾ」なんです。だから、脈々とそういうところはあったと思いますね。
フランスだとパリ音楽院初代のフルート科の教授だったドゥヴィエンヌが「ヴィルトゥオーゾ」の方向性を持っていましたが、そこから一気に「ヴィルトゥオーゾ」の方向性が強くなったのはトゥルーの時代。トゥルーはパガニーニの影響を完全に受けていると思いますね。そこにベーム式フルートができたので、もっともっと「ヴィルトゥオーゾ」の方向に進むということでしょうね。ベームの《グランド・ポロネーズ》は典型的な例で、おそらく楽器を作った段階で、「ヴィルトゥオーゾ」の方向性を考えていたんです。だから《グランド・ポロネーズ》もそうだし、エチュードの《24カプリス Op.26》もそうですけど、曲中で右手の小指の動きがすごく多い。それまではトゥルー式のいわゆるキーが2つあるフルートで、最低音はCisまでしか出せなかったんだけどもCが出るようになりました。しかもキーがいっぱいある状態になって、これをどうやったらどう動かせるのかということを、主張したかったように感じます。それでそういう曲を書いたんじゃないかな。


生野:
フルートの作品で「ヴィルトゥオーゾ」という名前が入っている曲はあるのでしょうか。
加藤:
題名に「ヴィルトゥオーゾ」って入ってるものはないんじゃないかと思うね。「ヴィルトゥオーゾ」っていう方向性を目指した段階で、エチュードが生まれてきて、そのエチュードの中には「ヴィルトゥオーゾ」っていう名前がついているものがいくつかあります。
ケーラーの《30のヴィルトゥオーゾのためのエチュード》(30 Virtuosen Etuden Op.75)は、いわゆるケーラーのOp.33のエチュードと同じように3冊に分かれていて、全部難しいんだけど、3冊目が一番ボリュームがある。30曲の中の30番だけはやったことあります。昔、国際コンクールの一次の課題曲で出たことが何回かあって、それで練習しましたが、曲としては結構いい曲だと思います。それと、ガリボルディの《完全な演奏とヴィルトゥオーゾのためのエチュード》(12 Etudes de Perfectionnement et de Virtuosite Op.217)。私は全然見たことがない。あとアンデルセンの《ヴィルトゥオーゾ・エチュード》(24 Virtuoso Etudes Op.60)はランパルのクラスでやりました。


タファネルとゴーベールは、結局エチュードは書いていません。コンセルヴァトワールができてから、教授をやった人は、その時代その時代の教則本を作ることを一生懸命やっていたので、ドゥヴィエンヌも教則本を作って、その次にトゥルー、そしてアルテスが作って、アルテスのボリュームがものすごく大きい形になっていきました。だけど、アルテスの中に書かれているものだけじゃちょっと物足りないなっていうので、タファネルはもう一つ新しい教則本を作ろうとしていたんです。ところが、その途中で亡くなってしまって、その仕上げをゴーベールに託すという形になりました。その中の一部分が、今我々が使っている「タファネル&ゴーベール」です。だから、そういう意味ではアルテスに続くものとして重要なものですが2人ともエチュードは書いていません。多分、タファネルの時代にコンセルヴァトワールの卒業試験のシステムができて、毎年新しい、難しいけれどもすばらしい曲が出てくるわけです。それを吹いたらいいじゃないっていう感じがあったのかもしれない。一応補足ですが、タファネルは《シシリエンヌエチュードOp.7》という題名のピアノ伴奏付きの曲を書いていますが、これはエチュードっていう名前の曲という考えで、エチュードではないですね。
生野:
その後の印象派、ドビュッシーの時代には「ヴィルトゥオーゾ」は出てきますか。
加藤:
少ないですね。ヴィルトゥオーゾ感が出るための一つの要素としては、フレーズやモチーフが1つあるとすると、それが3、4回繰り返されて、それを細かく割ったものが連続して続いていくと、これはすごいなって聴こえるパターンが多いです。ところが、ドビュッシーの音楽の作り方は、元々ものすごく小さいモチーフの集合体なんです。だからそこにそういう形を作るっていうのは難しいというか、やる必要がないという風に考えたんじゃないですかね。一応、ドビュッシーもピアノのためにエチュードを書いていますが、ちょっと方向性が違って、ほとんど「ヴィルトゥオーゾ」な感じではないです。印象派で圧倒的に「ヴィルトゥオーゾ」な曲を書いているのはラヴェルです。ラヴェルはもう何を書いても「ヴィルトゥオーゾ」。ピアノもヴァイオリンも、とんでもなく難しい曲を書いている。我々フルートが直面するのが《ダフニスとクロエ》で、ダフニスの有名なソロがあるわけだよね。それからピッコロもソロがある。何が難しいって、後ろの方の速くなったところのトゥッティで、みんなで動いているところの音型を完全に吹くのがすごく難しいです。
生野:
ジョリヴェやサンカン、デュティユーの速いパッセージも「ヴィルトゥオーゾ」という考え方になりますか。
加藤:
それでいいと思います。さっき言った、繰り返しで色々と盛り上がっていって細かい音符を作っているのとは少し違いますが、演奏の難しいものが名人芸だろうって考えたら、フルーティスト側から見たら、それは名人芸に決まっているよね。ジョリヴェは倍音列を使って音を並べていますが、やはり音の粒立ちをちゃんとしないと論理的に合わないことになる。それをやろうとすると、そう簡単な話じゃないと思います。だから、フランスの印象派よりも、もっと近代の曲というのは基本的に見ると「ヴィルトゥオーゾ」な曲は多いのではないでしょうか。




加藤:
生野さんは結構オペラを見ることがあると思うんだけど、先週パリに行っていましたね。
生野:
はい。バスティーユのオペラ座でヴェルディの《トラヴィアータ/椿姫》を観てきました。現代ヴァージョンで、衣装も現代風のキラキラしたミラーボールみたいなドレスで、男の人はスーツでした。面白かったです。
加藤:
ずいぶん昔だけど、一時期モーツァルトでもそういった演出のオペラが流行ったことがあるんだよね。《コジ・ファン・トゥッテ》や《ドン・ジョヴァンニ》もスーツでやったりね。《トラヴィアータ》は結構いい曲ですね。今回、動画でドップラーの《リゴレット・ファンタジー》をアップしますが、その《リゴレット》もヴェルディの作品で、ヴェルディが描いた作品としては《トラヴィアータ》と《リゴレット》と大体同じぐらいの時期なんです。音楽史上ではヴェルディの作品群の中の第2期にあたる作品で、その第2期の作品では全部最終的にすごくヒットしますね。
ヴェルディの第1期の作品ぐらいまでの時代はドニゼッティなんかと同じ時代なので、どちらかというとソプラノが中心だった。ソプラノが高い声で、煌びやかに歌ってそれでOK。ストーリーはともかく歌声が綺麗なことが大事というような方向性があったらしい。ヴェルディは、ストーリーの展開を重視し、内容を深くするために、男性の歌声の存在っていうのはすごく重要だろうと考えました。《リゴレット》は主役のリゴレットが男性でバリトンだから、低音が中心になる。《トラヴィアータ》も、おそらく中心になっているものは割合としては男性の声の方がちょっと多い。そんなところがある。ジェナンは《リゴレット・ファンタジー》と《トラヴィアータ・ファンタジー》の両方をフルートの曲として書いています。ただジェナンの場合どちらかというとテーマを使って、それに対してのバリエーションが2曲ぐらいありますよという組み合わせになっています。ボルヌやサラサーテやタファネルが書いたようなオペラ・ファンタジーとはちょっと構成が違う感じになっていますね。
オペラ《リゴレット》に使われているメロディーと《リゴレット・ファンタジー》の関係等をまとめましたので、演奏と一緒にお楽しみください。
リゴレットの原曲について説明します。
1850-1851年にかけてジュゼッペ・ヴェルディが作曲した3幕のオペラ。初演はヴェネツィアのフェニーチェ劇場で行われた。ここでは《椿姫》やロッシーニの《タンクレディ》、《セミラーミデ》なども初演されている。
《現在のフェニーチェ劇場》
《リゴレットの像》
オペラの中心的な配役はマントヴァ公爵(テノール)、リゴレット(バリトン マントヴァ公爵に仕える背中の丸まった道化師)、ジルダ(ソプラノ リゴレットの娘)、スパラフチーレ(バス マントヴァ公爵を殺そうと企む殺し屋)、マッカレーナ/マッダレーナ(メゾソプラノ/アルト スパラフチーレの妹 公爵殺しを手伝う)。このオペラでは重唱がかなりあり、音楽として豪華な作りになっている。
【ストーリー】
マントヴァ公爵は女好きで放蕩生活を送っていたが、ある時教会で出会った美しい娘が気がかりになっていた。実はその娘はリゴレットの娘ジルダだったが公爵はその事も名前も知らない。リゴレットは娘には自分の事を語らず、世の中から隔離して育て、外出も教会だけにするよう言い聞かせていた。マントヴァ公爵の周囲の廷臣はジルダがリゴレットの情婦だと勘違いしていた。リゴレットの帰宅途中に殺し屋スパラフチーレが現れるが、「何も用は無い」とこれを追い払う。マントヴァ公爵は自分の素性を偽ってジルダに近き、次第にジルダは心を許し始める。ジルダをリゴレットの情婦だと勘違いしている廷臣たちがジルダを誘拐し公爵の寝室に閉じ込める。リゴレットはジルダを助け出し、公爵に騙されている事を説明するがジルダは聞き入れない。リゴレットは殺し屋スパラフチーレにマントヴァ公爵殺害をもちかける。スパラフチーレは妹のマッカレーナに公爵を誘惑させ殺害の機会を狙い、リゴレットはその誘惑する様子をのぞき穴からジルダに見させて、思いとどまるようにさとす。マッカレーナは公爵を誘惑しているうちに次第に公爵に好意を持つ。公爵の死体は袋に入れてリゴレットに渡す事になっていた。館の外で待っていたリゴレットは袋を見つけそれを捨てようとした時に遠くから死んだはずの公爵の歌声、「女は気まぐれ…」が聞こえて慌てて袋をあけるとそこにジルダの姿があった。殺し屋の計画を知ったジルダは自分が身代わりになって殺されたのだった。
ストーリー的には色々な思惑や都合が入り乱れ、この説明以外の登場人物の一言が伏線を張り巡らしていて、この説明では内容に全く追いついていないと思いますが、とりあえずリゴレット・ファンタジーのための知識としてはこんな所かと思います。
【リゴレット・ファンタジーに使われているメロディーとオペラ・リゴレットのメロディーとの関係】
リゴレットのアリア《ふびんなリゴレット》
最初の部分は、オペラの始まりの前奏曲のテーマで、最初の複付点のリズムは全曲にわたって漂う呪いのリズムであり2小節目から3小節目への和音進行は不吉な出来事を予兆させるもの。リゴレット・ファンタジーではそこから第2幕の公爵の廷臣がジルダを誘拐してきたシーンでのリゴレットのアリア「ふびんなリゴレット」につながる。
マントヴァ侯爵のアリア《女はきまぐれ》
この曲は特に有名なアリアでいわゆるカンツォーネと言うべきもの。初演直後、街中でこのメロディーを口ずさむ人が現れたとも言われている。第3幕でジルダがのぞき穴からマントヴァ公爵の様子を見ている時に公爵が陽気に歌うアリア「女は気まぐれ」。
ジルダのアリア《麗しきあなたのお名前》
リゴレット・ファンタジーではこのテーマと変奏曲、そしてフィナーレ部分では8分の6拍子になって現れる。第1幕のジルダのアリアだが原曲での前奏部分がフルート2本によるもので、リゴレット・ファンタジーでもそれをイメージした曲になっている。公爵とジルダが熱烈な言葉を交わし、別れた後にジルダが公爵への思いを込めて歌うアリア「慕わしきあなたのお名前」。
ジルダ、マッカレーナ、マントヴァ侯爵、リゴレットの4重唱《美しい恋の娘よ》
第3幕でのぞき穴から公爵のふるまいを見て動揺するジルダ、公爵殺害に加担しながら心を寄せるマッカレーナ、娘を思い公爵殺害を決心したリゴレットらの複雑に交錯する心を描き出す傑作といえる4重唱「美しい恋の娘よ」のテーマ。
ジルダとリゴレットのアリア
リゴレット・ファンタジーのフィナーレへ向かうピアノの間奏部分だが、第2幕のジルダとリゴレットのデュオ、公爵の寝室から救い出されたジルダとリゴレットの2重唱のアリアへの序曲部分が使われている。
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